第49話 ファイナルステージ
「あきと、俺は嬉しいぜ……! 『デートの為におめかししたい』だなんて言葉、あきとの口から聞けるとは思ってなかったからなぁ!」
「わざわざ家まで来てもらって助かるよ、カズ」
七月二十五日。土曜日の午後三時を回った頃、カズは慣れた手付きで僕の髪をワックスで整えながら感動している。
普段オシャレに無頓着な僕では、力が足りないと確信して彼に頼み込んだ。すると二つ返事どころか、喜び泣きながら了承してくれたのは先週、姫と作戦会議をしたあとの話。
そうと決まればといった具合で平日の放課後、カズはわざわざ時間を作って若者向けの服を取り扱っている専門店に付き添ってもらい、服選びをしてくれた。
率直に言えば、カズのセンスは間違いなかった。
ボーダーカットソーにネイビーのシャツと、黒のパンツでカジュアルながら落ち着きのあるデザインで、僕好みの服装でもあった。
試着した姿も見てもらって、「うん、似合ってるぜ!」と太鼓判を押されたからきっと大丈夫。カズいわく、その人の雰囲気に似合ってるかどうかがオシャレで一番重要らしい。
「やっぱ行くのは今日の花火大会か? ここまで気合入れるってことは、本気なんだな!」
「まぁ、諸々の報告は終わってからするよ。それまでは、できるだけ内緒で」
「よっしゃ! 連絡待ってるぜ!」
カズは覚悟の決まっている僕を見て、安心したように笑ってくれた。
本格的に夏へと入り、陽は傾いてきているけどまだまだ明るい時間帯。夕方の五時に、白刃さんと一階のエレベーターホールで待ち合わせとなっている。
駅まで歩いて、そこから電車で十分ほど揺られた先の所で今日は花火大会がある。天候も問題なく、雲はほとんどないと言っていいぐらいの晴れだった。
『良いか? この作戦で二番目に重要なのは第一印象だ。普段よりしっかりとオシャレして、今日が本気である事を態度と服装で見せつけろ。それは絶対、美銀にも伝わるからな』
神来社さんから教えてもらった作戦を問題なく行うために、洗面台で鏡を見つめる。そこに居たのは、いつもよりしゃんとした面構えをしている御船和士だ。無自覚でも鈍感でもラノベ主人公でもない、ありのままの自分。
今日だけは、普段心を守るために利用している精神の盾を、守りに使わず攻めに使う。素の自分をさらけ出して、白刃さんと正面から向かい合う。
借りている物を壊すような真似は、無礼極まりないのだろうけど。
そもそも、この盾を借りた相手はもうこの世には居ない。であるなら、そのまま貰い受けても文句は言われないはずだ。
(今日だけは、僕に力を貸してください)
今は居ない想い人に心の中で訴える。いつも守ってもらってばかりの彼女に、この日だけは背中を押して欲しいと願う。
ずいぶん自分勝手な男だと自嘲し、鏡の中に映る男を嗤う。
ああ、それでこそ僕だ。
こんな風に、卑屈に笑っている顔が一番似合うさ。
スイッチをぱちぱちと押して電気を消し、玄関へ歩みを進める。
足取りは軽かった。前のめりになり過ぎて、転んでしまいそうなぐらいに。まるで誰かに押されているような錯覚は、ただの思い込みだろう。
緊張はしているが、気分は晴れやかなままエレベーターへ向かう。
一階へ着き、開いたエレベーターの扉の先で姿勢良く座っている私服姿の白刃さんが見える。
「早いね白刃さん、まだ十五分前だよ?」
「和士君こそ、今日の夏祭りが楽しみで少し急いでしまったのでは?」
「半分はそう。けど半分は違うよ」
座っている彼女を見下ろせるほど近づいて、真面目に言い放つ。
「待ちたかったから、ここであなたを」
「……気合入ってますね。その、身だしなみもいつもよりカッコイイですし……」
「もちろん。女の子とデートなら、それぐらい当然」
「あ、あの……本当にいつもと違いません? あなた和士君ですよね? 影武者じゃないですよね?」
「なんなら触って確かめてみる?」
彼女の細く奇麗な手を取って、心臓近くの胸筋へ持っていこうとする。
が、直前でぐっと腕を引っ込められた。
「い、いいですっ!」
「それはイエスってこと?」
「日本語難しいです、大丈夫ですってことです!」
「それもイエスだね?」
「ほ、本当にどうしたのですか! 何か悪い物でも食べました!?」
「まさかぁ? ちゃんとメニュー考えてご飯作ってるんだから、日頃から体調管理は万全だよ?」
何間抜けなことを言ってるんだと嘲笑するように、ひらひらと手を振る。そんな僕の仕草を見て、白刃さんは目を丸くする。
「あの……やっぱり触って確かめても良いですか?」
「えー? 一回ノーって言われちゃったからなぁ」
「い、意地悪ですっ!」
ほんの少し頬を赤らめてむすっと怒る美銀を見ると、普段湧いてこない嗜虐心がそそられる。
「筋肉を触りたい口実でしょ? 僕くすぐったがりだから、あんまりなぁ」
「もし影武者だったら私、今日どう過ごせばいいのですか! 知らない男の人と二人きりになりますよ!?」
「僕は君を知ってるから問題ないよ」
「偽者疑惑増してますよ!?」
立ったまま会話するのも疲れてきたので、さりげなく美銀の隣に座る。
今日の彼女の私服はふわっとしながら主張は控えめなフリルの付いた白いトップスで、台形のデニムミニスカートにウエストポーチを付けている。
涼しそうで白く絹のような肌もよく見え、可愛らしさもありながらどこか落ち着きもある魅力的な格好である。間違いなく似合っている。
だが、それが夏祭りである今日とは別の日なら、何も疑問は抱かなかっただろう。
「白刃さん、浴衣じゃないんだね?」
「あの、実は持ってないのです……」
「そっか、白刃さんだったら間違いなく浴衣を着てくるかなと思ってたから、ちょっと意外」
「……和士君は、浴衣の方が良かったですか?」
こちらに視線を向けて、小動物のように恐る恐る伺ってくる。僕の希望を叶えられなかったことを酷く後悔しているような暗い表情だった。
「うん、絶対あなたは着物が似合うから」
「そうですか……」
僕の言葉を聞いて彼女は悲しそうに俯いてしまう。
それなら、僕のするべきことはもう決まる。
ロビーにあるソファーから立ち上がり、美銀の方へ手を差し出す。
「ん、白刃さん」
「え?」
差し出された手の意味がよく分かっていないようで、きょとんと首を傾げていた。しおらしい今日の彼女は、どこか小さく見えてしまうな。
「浴衣が無いなら、借りればいいよ」
「かりる?」
「ほら、早く行くよ!」
花火開始が決まっていて時間が惜しい今、悩んでる暇すらもったいない。僕は手を掴まない彼女の腕を少々乱暴に掴んで立ち上がらせ、外の世界へと連れ出した。
*
「あのっ! こっち駅とは逆方向ですよ!」
「着物のレンタルをしてくれるお店が、こっちの方にあったんだよ」
「今から行っても、着付けに時間がかかって花火に間に合わなくなるかもしれませんよ!」
「タクシーを呼ぶよ」
言葉では逆らっているのに、引いている彼女の手先からは抵抗の意志が感じられない。ずるずると、僕の意志に引っ張られているようだった。
「どうして、そこまでするんですか!?」
「白刃さんの浴衣姿が見たいからだよ」
びくっと繋いでいる手先が震えたのを感じる。歩みを止めて振り返ると、頬にしっかりと赤みを含め、呆けて口をぱくぱくと開け閉めしている女の子が居た。
「なんか信じられない物でも見てるような目を向けられてるけど、白刃さんは分かってないよ」
「な、な、なにが……!?」
「良い? 着物って昨今だと着れる機会が少ないんだよ? 結婚式とか卒業式とか成人式とか、あとはもう数えるぐらい。夏祭りやお正月だとか、そういうイベントでもない限り普段着れない物なんだよ? それを大事にしなくてどうするのさ」
現実的な意見で説明し、外堀を埋めていく。
「それは、そうかもしれませんが……」
「大体さ、なんでも似合う美人さんなんだから何でも着てほしいんだよ。目の保養にもなるし」
「ほ、保養だけですか……?」
「それだけじゃない、たくさんの男子にモテる」
「それは、求めてませんっ!」
ぎゅっと手に柔らかな感触の圧力がかかる。けどそれは、引き止めたいわけではなく何かに気付いてほしい素振りにも感じるが、今は深くは考えない。
そうこう話していると、一つ目の目的地にたどり着く。
「よし、白刃さん、レンタル代や諸々は全部僕が払うから」
「は!? 何言ってるのですか!」
驚嘆している彼女は気にせず続けて言い放つ。
「いやー、実はこうやって奢り返すのを楽しみにしてたんだよね! アマリリスでの手痛い失敗をバネにしないとなって思ってたから!」
「いや、幾らになると思ってるのですか! とてもお茶代程度で釣り合う金額じゃないですよ!」
「それを言ったら、僕こそいつものおすそ分けに見合う金額を出せる気がしないよ」
「あれは、好きでやってるから良いんです!」
「じゃあ僕もそれで」
それの意味が伝わってくれなかったのか、彼女は首を傾げながら僕を見る。
「好きでやってるんだよ、僕も。ほら、人の好意を無下にしないの。さあ入った入った!」
「え、ええっ!?」
理解が追い付いてないのか、まだ実感が湧いていない背中を押して彼女を無理やり入店させることに成功したのだった。
「レンタルはお二人ともでしょうか?」
「いえ、こちらの女性だけで」
「かしこまりました。プランはいかがされますか?」
「えーと、この浴衣レンタルプランで」
「着付けやヘアセットも一緒でよろしいですか?」
「はい。あと借りた浴衣は翌日返却でお願いします」
入店してからレンタルプランについて細かく話す後ろでもじもじと縮こまるように立っている白刃さんは、いつものクールで堂々とした調子とは違った。
「では、ごゆっくりお選びください。お茶をお持ち致しますね」
店内にある浴衣の柄が写真で載っているファイルをこちらに見せるように広げて、店員は奥の方へ消えていく。
「さ、どうする? なんか気になる柄とかある?」
「あの……本当に良いのですか……?」
「ここまで来て何言ってるのさ、良いに決まってるよ。今回はドッキリじゃないんだから」
申し訳なさそうに後ろで佇んでいた彼女は、一歩足を踏み出してファイルを覗く。
店内で飾られている着物に目を向けながら僕は世間話を持ち出す。
「白刃さんは浴衣とか着物って、着たことある?」
「……昔に」
「へぇ、最近は着てなかったんだ」
「一番最後に着たのは、小学二年生の頃です」
「おお、結構前だ。七年ぐらい経ってる?」
「そうなります。着る理由が無かったので」
寂しそうに表情を曇らせる美銀を見て、触れてはいけない所に触れた気もするがここで怖気づいてはいけない。
「久々の下駄で疲れるかもしれないけど、ちゃんと家まで送るから安心してね」
「あ、ありがとうございます……」
どうやら話しているとあまり選ぶことに集中できないようで、普段物事を即決断する人だとは思えないぐらい悩みながらファイルのページをぺらぺらとめくっている。
「あ、ごめんちょっと電話してくる。ゆっくり選んでて」
「……はい」
告げて一度店外へ出る。タクシーを呼ぶ電話をするためだ。
近くのタクシー会社に電話を入れている最中、手持ち無沙汰で何気なくあたりを見ていたらショーケースに飾られている浴衣が目に入る。
「っ……!」
息を呑むという表現が、こうまで的確であることを初めて知る。
そこに飾られていたのは、淡い青色を基調に大輪の白い彼岸花が咲いている、清涼で凛とした空気を感じる浴衣だった。その美しさと儚さにどうしようもないぐらい魅入ってしまう。まるで、彼女の為に存在しているかのような浴衣を見つけることができて、心が決まってしまう。
タクシーの予約を終えて、店内へもう一度入るとお茶を持ってきた店員に聞いてみる。
「すみません、ショーケースにある浴衣って借りれますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
微笑と共に答える店員の言葉に安堵し、静かにお茶を飲んでいた白刃さんへ向き直る。
「白刃さん」
「はい?」
「あの浴衣を、着てほしい」
僕は指の先をショーケースにある、青と白い彼岸花の浴衣へと向けた。
*
髪のセットと着付けでおよそ一時間弱はかかる。始めたのが五時半ぐらいだったために、およそ六時半ぐらいにできあがる。それに合わせてタクシー会社にもう一度電話を入れて時間予約をしておいた。
待っている間、スマホで電子書籍を読んでいたがいまいち内容が入ってこない。それは、あの浴衣を着た白刃さんを見られるのが楽しみで待ち遠しくてしょうがなかったから。
「お、お待たせしました……」
か細い声と共に、おずおずとした様子で伏し目がちに美人さんが現れる。
淡い青の布地は、彼女の美しさを象徴するように。
白く大きく咲く彼岸花は、お淑やかさと可憐さに合わせ、どこか儚さを感じさせる。
水色と白の華の簪で髪をまとめていて、浴衣の色とも合っている。
そしてそれ以上に、大人びた清楚さと年相応な女の子が持つ愛らしさを、お互いに邪魔することなく引き立たせている。
この浴衣姿は誰が見ても、きっとこう思う。
「うん、似合ってる。本当に、似合ってるよ」
感想を言いながら自然と笑顔になる。
ちょっとでも無理して来て良かったと、迷いなく思えるぐらいに彼女は麗しかった。
「彼岸花が似合う人だよ」
「それ、褒められてるのですか?」
「当然。あんな寂しげな花が似合うなんて、よほどの美人さんでない限り無理だよ」
「……まぁ、気にいってくれたのなら何よりです。それより和士君、時間が!」
人差し指を立てて彼女の視線を注目させ、店外の方へ向ける。ガラス越しに、タクシーがきているのが確認できたようで口を抑えていた。
「あっ……!」
「先に乗って、運転手さんに駅までって言っておいて? お会計済ませておくから」
「わ、わかりました!」
美銀は慣れない下駄の所為か足取りはゆっくりだった。タクシーを呼んでおいて正解だ。あれで駅まで歩かせるわけにはいかない。
会計を済ませるためレジを挟んで店員と向かい合うと、にこにこと微笑みながら話しかけられる。
「素敵な彼氏さんですね」
「まだです。それにどちらかといえば、彼女が素敵なんです」
「あらまぁ、見てるだけでお腹いっぱいになりそうです」
「同感です。僕も彼女の事を見てるだけでそんな気分になります」
「ふふ、夏祭り楽しんできてくださいね?」
密かな応援を貰い、背中をさらに押してもらえた。
しっかりとしたお辞儀で出口まで見送られ、タクシーに乗り込む。
隣にいる白刃さんからどことなく甘い香りを感じつつ、本番はこれからだという事を思い出しながら、彼女の浴衣姿に見惚れてしまうのだった。




