第48話 盾代わりの心魂
「おわ、どしたの御船。毒でも盛られたみたいな顔色してるわね」
「ああ……やぁ、姫……」
白刃さんから夏祭りへのお誘いを受けた翌日の日曜日。
ちょうど午後を回った頃、アマリリス近くの河川敷にあるベンチで項垂れていたら、姫が話しかけてきた。
「というか珍しいな、本も読まずにただ座っているだけなんて。まるで誰かを待ってたみたいね」
「はは……会えたら相談をしたいなって思ってさ……」
無理矢理表情を作り、彼女の方へ笑いかける。眠り姫のテリトリーでもあるベンチで白刃さん以外の誰かを待っていた。ここはカズや姫とも出会った場所で、近くにアマリリスもあることから葵先輩や翔君とも出会える可能性がある。
あまりの生気の無さを心配してくれたのか、姫はしげしげとこちらを覗き込む。
「マジで気分悪そうだな。天気はこんなに昼寝日和なのに」
「僕の心は真っ雲だよ」
「まっくも……? 新しい言葉だな、めっちゃ気分悪そう」
「うん……どうしたら良いのかホント分からない……」
さっきまでは河の方を眺めていた視線を、地面に落とす。
人を見る事も姫と視線を合わせる事すら、億劫で憂鬱な気分だった。
「……はぁ。おい、そっち寄りな」
「え……?」
彼女は突然、落とした視線にも見える位置まで手を下ろしてひらひらと振る。「右側に寄れ」といった仕草だった。
「ここあたしの定位置でお気に入りスポットなのは知ってるでしょ。一人で占領するなって話。真ん中じゃなくて、端に寄りな。そしたら御船の相談、聞いてやる」
「あ、ありがとう……!」
素早くベンチの右側に移動すると、姫はとすんと軽い音をたてて座る。耳を隠している髪の毛がふわりと浮き上がり、前にも見たことのあるピアスが一瞬きらりと輝く。
「で? 毒を盛ってきたのは誰なのよ」
「毒じゃないけど、あのね……」
*
数分使って説明を終えると、彼女は「はああぁぁぁ……」と長くて重い溜息を吐いた。
まるで失敗した言い訳を聞き終えて、なのに弁明の一つにもなっていないことを呆れ果てたかのように。
「あ、あの姫? 僕どうしたら良いと思う……?」
「いや、どうしよこうしよもねえよ、行けよ」
「あっさりだぁ!? 真面目に考えてくれた!?」
「お前の方こそ考えたのかよ! ツッコミ待ちされてるのかと思ったぞ!」
「ち、違う! 冗談とか嘘とかじゃなくて本当なんだって!」
「そりゃ、そんな質の悪いジョークを言う奴じゃないでしょ、美銀は。それは御船だって分かってるんでしょ?」
目を瞑ってパーカーのポケットに手を突っ込みながら、姫は続けて言い放つ。
「あいつが面と向かってちゃんとお誘いしてきたなら、本気で一緒に行きたいって思ってるわけでしょ。それをあんたは『一日待ってください』ってぇ? そんなとこでヘタレ全開になってどうすんだ!」
「あの、でも! 夏祭りを男女二人でなんて、デートじゃん! そんなのだめだよ!」
「……なにがだめなのよ?」
姫が苛ついているのが声色だけで伝わってくる。覇気だけで芯から震えてしまうほど恐怖心に包まれながらも、なんとか言葉をひねり出す。
「その、僕はあの人の彼氏には相応しくないから。恋人みたいなこと、したらだめだ」
「なんで?」
「なんでって……」
「どうして『相応しくない』なんて思うの? 美銀が美人だから? あいつが他の誰かと付き合ってるから? 御船が別の女と付き合ってるから?」
「いや……違う。僕は今まで誰かと付き合ったは無い、だから彼女も居ない」
「美銀は彼氏いないって公言してるわよ」
それは、知っている。「彼氏はいたことありません」と晩御飯を一緒に食べた時、世間話の中で言っていたのを覚えている。
もしそれが嘘だとして、本当に彼氏が居たら異性の僕とあんな親しく関わる事はきっと無いはずだ。
「御船、あんた何を迷ってるの? 『美銀の事は異性として好き』って言ってたけど、あれ嘘だったの?」
「嘘じゃない、本当だよ」
「それなら夏祭りデートでビシッと決めてきたらいいじゃない。あんたどこまで受け身でいるつもりなのよ? あそこまでストレートに攻めさせておいて、自分はずっと守ってるつもりなの? あいつは、間違いなく最強の矛だよ? あんたが最強の盾を持ってるのなら話は別だったけど、そうじゃないでしょ?」
「うっ……」
痛いところを突かれてしまう。
僕の持っている守りの盾は強いけど、最強では無い。
それは完全に自分の物ではない、人からの受け売りで借り物の精神だから。
使いこなせていないのだ。「人に対して優しくあれ」という考え方を。
「あたしはさ、あんたの過去を全部知ってるわけじゃないし踏み入ろうとも思わない。いつか御船自身から言い出せるようになるまでは、触れるつもりもない。けどそうだとしても、あんたは人に対して甘すぎるのよ」
「甘いのかな……やっぱり……」
「甘いわよ。気が回って優しくて、なのにそれが行き過ぎて他人に甘くなってる。優しさは『自分を大切に』してないと意味が無いのに、あんたのそれは『自分を捨ててでも』なんだよ」
彼女の言葉が胸のあたりを深くえぐる。自覚がないわけでもなかったからこそ、真実をはっきりと口で言われて後ろめたさで気持ちが沈む。
「どこでどんな考え方になったかなんて、人それぞれだと思うし、個性って言えるんだと思う。けどさ? あたしはあんたの友達で、美銀の友達でもあるわけよ。友達同士が関係悪くなりそうな原因を、片方が担いでいるんだったらあたしは迷わず忠告するわ」
姫は顔を上げ、目線をこちらに向けてきた。今は完全に眠り姫の称号が外れている。本気であることが、態度で感じられる。
彼女にそこまで言われるほど、言わせてしまった自身の不甲斐なさを、改めて痛感する。
「……ごめん」
「ほら、なんでそこで謝るの! 同い年にめっためたに言い負かされて悔しくないの!? あんたの盾はそういうところが弱いのよ!」
「えっ……?」
疑問が浮かびあがり、今まで地面や空の方へ逸らしていた視線を姫の方へ向ける。
ぎょっとした。
眠り姫は目を涙で濡らし、午後の日差しを瞳の中できらきらと溜めていたから。
「え、どうして泣いてるの……?」
「友達が、辛そうにしているのを聞いてっ……! 同情して泣くのがそんなにおかしい!?」
「いや、返答を待ってもらっている白刃さんならまだしも、僕は……」
「お前も友達だ! 御船は、自分で自分を追いつめ過ぎだ! 痛ましくて見てられないんだよ!」
そう言うと姫はすんっと一回だけ鼻を吸い、涙を落とさないように何回も瞬きをして視線を僕の顔から逸らし、空を仰いだ。
「全くホントに、見たくないわ……。なんでこんなやつを好きになったのかしら、あいつは」
目尻にたまった涙が、彼女の頬を伝っていく。友達が泣いている姿に慌てて、ポケットからハンカチを取り出した。
「あの、良ければ使って?」
「いらんっ、自分のがある!」
怒ったまま僕の言葉を跳ね返し、花柄のハンカチで荒々しく目元を拭っている。
厚意と優しさを無下にされたが、なぜそうなったかは自分自身もよく分かっている。こういった行いが優しさじゃなく、甘さだから。
「あの、姫?」
「なによ」
「聞いても良いかな、僕のどういったところが弱いのかを」
彼女はハンカチをパーカーのポケットにしまいながら、呆れつつ諦めたように渋々話し始める。
「あんたの守り方は、『絶対に通さない』っていう覚悟が感じられないのよ。選別するみたいに、もしくは避けるみたいに他人をはじいてたと思ったら、ある地点でひっくり返ったかのように在り方が変わる。考え方の芯が見えないの、ちゃんと持っているはずなのに」
「…………」
彼女は、どこまで見えているのだろう。
全てではなく、ある部分だけ見透かされているから、どこまで話せばいいのかも分からない。
「それが『弱い』って話。自分を守るためにじゃなくて、誰かを守るために自分を盾代わりにしてる。そんなの、いつかガタがきてひびが入るわ」
「じゃあ、捨てた方が良いのかな……?」
家の鍵以外、何も持ってきていない。手持ち無沙汰な両手を絡めて握りながら、視線を地に向けつつ言う。
「そんな柔な考え方、無かった事にしたほうが……」
「二択しかないのか? なんで両極端に考えるんだ。あ、いやだから尚更か……」
姫は自分の放った言葉で突然我に返ったのか、腕を組みながらぶつぶつと独り言を呟いている。
「えと、姫?」
「拾った考え方で……自分の物じゃない……だから振り回されている……」
「あのー、神来社さん……?」
あだ名ではなくちゃんと本名を呼んでも応じてくれない。かと思ったら、指をぱちんと鳴らしながら声を上げた。
「……ははっ! おい御船! あたしに良いプランがあるぞ!」
やばい、良い考えが思いついたのか自信満々な笑みを浮かべているけど、不安が勝る。姫が笑うのは、大体良からぬことを考えている時だからだ。それを僕は、ここ数か月で学んでいた。
「ど、どんなプランですか……?」
「題して! 『武器が無いなら盾で殴ればいいじゃない』だ!」
「ええ……?」
なんだその、ゲームの世界じゃできそうで、できなさそうでたまにできる芸当っぽいネーミングは……。
冗談かと思ったら、姫は真剣な表情に少しだけ微笑みを混ぜ、こちらに向き直った。
「良い御船? 夏祭りの誘いは、ちゃんと行って来い。あんたは別に、鈍感でも無自覚でもアホでも無いでしょ? ハーレムを望んでいるようなチャランポランでもない。だから美銀の気持ちは分かっている、そうでしょ?」
「……はい」
さすがにごまかせなかった。
「良いね、ちょっと男前な表情になったじゃん。あんたが美銀の気持ちと向き合えない理由があったとする。けどそれとは別に、あんたは美銀の純粋な想いに応える義務があるの。それは、一度避けたら一生付きまとうよ?」
一生という鎖のような重さに、はっとする。
それは、痛いほど経験があるから。なあなあで過ごしてきて、一番後悔をしたのがある人との別れだったから。
何かしらの決断を迫られたら、無かった事にはできない。
先延ばしにはできても、無くなることはない。
いつか決めなければ、その問題は一生叶えられず、鍵の無くなった拘束具の如く離れない。
だから決めなければならない。イエスかノーを。
「……やるよ」
「お、おう……」
「神来社さん、その作戦を詳しく教えてください。恋愛に関しては未熟者な僕に、ご教授願います」
「わ、分かった……。御船、あんたってそんな覇気のある顔できたんだな……」
真剣な面持ちで居る僕を見て、彼女は頬をほんのり赤く染めているのが分かる。誰かと心の底からきちんと向き合う事は、久しぶりだった。
決意は固まった。
答え方や答えはまだできていない。
それでも、今僕は「白刃さんと二人で夏祭りに行く」ことだけ、心に誓うのだった。




