第47話 セカンドステージ
『こんばんは和士君。今日はお暇ですか?』
七月十一日の土曜日。
昼食を食べ終えて帰ってきた期末テスト用紙を軽く見ながら復習していた頃、電話がかかってきた。相手はもちろん、白刃さん。僕を和士君と呼ぶのは、彼女ぐらいしか居ない。
電話から耳元に響く静かでお淑やかな彼女の声は、心地よい音のはずなのにどこか緊張する。
『あー、暇だよ。どうかした?』
『お菓子を作ったのですが、味見してほしいのです。和士ママに』
『ママでもおかんでもないけど、僕の味覚で良ければいくらでも使って』
『ありがとうございます、今から伺っても大丈夫ですか?』
『良いよー、家に居るから』
『はい、ではのちほど』
それで電話は切れるかと思いきや、なぜか通話画面が開いたままだった。
原因は彼女が通話終了ボタンを押したつもりで、押せていなかったらしい。スマホのスピーカーから、彼女の鼻歌と独り言が聞こえてきた。
『どんな格好なら気に入ってくれますかねー』
電話越しでもわりとはっきり聞こえるぐらいには、大きな独り言だった。スマホを机に置いたままなのか、なにやらぶつぶつ言っているのが聞こえてくる。
『ワンピースは……ちょっと力み過ぎですよね。ノースリーブも少し浮きそうですし、けどシャツにデニムだけも味気ない……』
どうやら服選びをしているみたいだ。というかこれ完全に盗み聞きだ。早く僕が通話を切らないと!
理性ではそう思えるのに、女の子の秘密をこっそり覗いている現状に逆らえず本能が邪魔してくる。
(ぶ、武士道はどうした! はやく! ご先祖様降りてきてください!)
完全に神頼み、ならぬ武士頼み。携帯から耳を離せず、むしろ何を喋っているのかを知りたくて聞き耳を立ててしまう。葛藤に苛まれている時、電話越しに彼女がため息をついた。
『スマホのメモを見ましょうか、彼の好みをまとめたリストがあったはず』
(……スマホのメモ!? まずいっ!)
その独り言を聞いて、僕の心はようやく理性が打ち勝つ。
今通話中であることは、スマホの画面を見たら一発でばれる。そうなれば、僕が盗み聞きしていたことも知られてしまう。
慌てて通話終了のボタンを押し、液晶の中はホーム画面に切り替わる。間一髪だった……。
というか、僕の好みのリストとか言ってたけど、そんなものをメモしているのか?
何故だ……弱みを握るどころか分析されてる? もしそれを使っていつも弄ってきているなら……。
いや、これ以上考えるのはやめておこう……。
*
「どうでしょう?」
「美味しいよ。塩気もあって甘さのバランスも最高。オーソドックスなクッキーだけど、ここから色々アレンジしていけると思う!」
彼女が持ってきたのはごく普通なプレーンクッキーだった。洋菓子を作るようになったのは最近らしく、基本で初歩的なお菓子から手を出しているようだ。
けれどさすが普段から料理をする女の子。お菓子は分量の小さな差で一気にバランスが崩れる繊細な料理だが、全く心配がいらないほど完成度が高い。
「基礎がちゃんとできてるから、きっとどんなお菓子でも美味しく出来あがると思うよ!」
一口サイズの丸いクッキーをまた一つ口に運び、品の良い味を堪能しているとこちらを見ながら美銀が呟く。
「それは安心です。甘さをよく分かっている人からそう言ってもらえたなら」
「甘さ? まぁお菓子作りは好きだけど」
「秘密の甘さも好きですものね、和士君は」
「……え?」
その言葉に、ひやりと脈と血が冷める感覚を覚える。
ブラウスにホットパンツで白くきめ細やかな肌色が眩しい夏色な服の白刃さんを見ると、眉をひそめながらにやにやと笑っていた。
そして自身の服装と身体を見せるように手を広げつつ、言った。
「どうです? この格好は」
「え、えーっと……似合ってます」
「こんな夏っぽいコーデも好きですか?」
「はい、あの、程よく細くて肌も綺麗な白刃さんはそういう格好も、似合ってます……」
「そうですか、お褒め頂きありがとうございます。ついでに聞いてみたいのですが、ワンピースやノースリーブの類はどうでしょう? 和士君は好きですか?」
やばい、試されてる!
迂闊なことを言ったら、盗み聞きしていたのがばれる!
「えっとぉ、そっちも好きだしデニムとかも好きかなぁって。ほら、結構前だけどアマリリスに行った時に来ていた服装とかすっごく好みだった!」
「ほうほう、カッコいい系が好きなんですね」
「あ、でも可愛いのも色合いによっては似合うんじゃないかな! あなたは元が美人だし!」
「あらあら褒め殺しにされそうです。まるでそのまま何かしらの不都合を無かった事にしたいイケメンみたいですね?」
「そ、そうかなっ!? 事実だよ!」
声が上ずってしまった。嘘ではないけど捻り出している感が拭えない。
「ほー、女の子の秘密を盗み聞きしたことを事実として認めてしまうのですね?」
「なんのことぉ!?」
「さっきの通話履歴を見て、なんだか妙に時間が長かったんですよねー? 私、通話終了を押したはずなのです。電話はかけた方が切るのがマナーですからね」
「そ、そうなんだ……」
「けどもし、もしですよ? 私の手元が狂っていて、通話状態が維持されたままだとしたら。聞かれていたのかもしれないのです、私の独り言を」
その言葉、事実に対して思わずごくりと唾を飲みこんでしまう。
「けどきっと、和士君の武士道精神はどこまでも慎ましく、厳かで、女子のあられもない秘密になど屈さないはずです」
「その通りです」
「ま、聞かれても問題ないですけどね? 恥ずかしいところなんて一つ知られたらあとはもういくつ見られても誤差です」
「自分を大事にして?」
「へえ、自分をないがしろにしがちなあなたに、そんなこと言われるとは」
「ごめん」
心が屈服してしまっているのか、謝罪の言葉しか出てこない。
じりじりと問い詰められている気がする。けどそれに対して何か言い返そうものなら、勘付かれる。というかもう気付かれてるのだろうけど、彼女は知らないふりを通そうとしてくれているんだ。
「……あっ、そういえばなんですが」
突然思い出したかのように手を合わせ、美銀は微笑みながら言った。
「テストも終わって、忙しさも落ち着いてきたので『一人お疲れ様会』をしようと思っていたのですが、もしよかったら和士君も一緒にいかがですか?」
「僕が参加したら一人じゃなくなるけど、そこは大丈夫?」
「ええ、クッキーテイスティングのお礼です。腕を振るいますので、是非参加してください」
美銀は肘を曲げて握りこぶしを作り、得意気な様子でにこっと笑った。
気を許した相手にしか見せない、少女のように無邪気で清らかな笑顔。
普段クールな表情でいることの多い彼女のお誘いに、僕は完全に絆される。
「……ありがとう、白刃さん」
「あら、感謝で返されました。何かやましいことでもあるのですか?」
「いや」
「そうですか、ではそういうことにしておきます」
彼女との間で暗黙の了解が生まれる。そして改めて思い知らされる。「やっぱり敵わないな」と。
*
「「頂きます」」
お疲れ様会は美銀の家で行われることになった。「一人で」から「二人で」になったのは、互いに嬉しい誤算。どちらも、テスト終わりで夏休み前の暇な土曜日を過ごしていたから。
彼女と二人で協力して作った料理は、和も洋も合わさりまるでディナーバイキングのように豪勢で、一人で食べきるのには多いレパートリーだった。
「さっすが、美味しい」
「和士君こそ、さすがですよ。洋食のコツを教えてもらいたいぐらいです」
「教えられるほど大層な知識はないけどね」
「ふむ、では天性の才ということですかね? 隣で見ていて、驚くほど手際が良いなと」
「そうかな、あんまり意識したことは無いけど。あ、この煮物美味しい」
「尚更ですね、本当にシェフになれるかもしれませんね。あら、このスープとても優しいお味です」
ぽろっと感想が零れるぐらい夕食に夢中になっていたが、ふと気付く。
「……ん? これ、何の音?」
『どん、どどん』と一定のペースで伝わってくる重低音が、部屋の外から聞こえていることに。
「……あら、花火大会ですかね。近くでやっているのかもしれません」
「おー、そんな季節かぁ……! 夏祭り、花火、屋台の食べ物。良いなぁ、ザ夏ってとこに行きたいなぁ……」
耳を澄ますとほんの少しだけ聞こえてくる振動音に、思いを馳せる。自然と笑みが浮かんできていた僕に対して、美銀は箸を置いて話しかけてくる。
「……和士君」
「ん?」
「夏祭り、一緒に行きませんか?」
大変失礼な行いである自覚はしていたのに、僕はあっけにとられて持っていた箸を手から落としてしまった。
それは床に当たり、軽い落下音を鳴らしつつ、花火の振動にかき消されていった。




