第46話 不可思議な感情の答え
僕は、翔君に最近抱いている不思議な感情について、断片的に語った。
最近、とある女の子を見てとても懐かしい気持ちになること。その人と一緒に居ると楽しいのに、どこか寂しい思いも持ちながら接している。恋心のように甘酸っぱい感情とはちょっと違うようで、どこか似ている。けれどその女の子に告白しようとか、付き合おうとかは考えない。
ぽつりぽつりと要領を得ず、あっちやこっちに飛んでしまう話し方をしたのに、翔君は相槌をうちながら真剣に聞いてくれていた。もうこれ以上は何を言えばいいのか分からない程度まで話しきると、カップに入っていた紅茶は冷めきっていた。
「お兄さんは、好きな人と付き合おうとは思わないんだ?」
彼は空になったジュースの中で溶けた氷水をストローで飲みながら、不思議そうに問いかけてくる。
「……普通なら、そう思うものなのかな……?」
「どうだろう、僕もなんとなく気持ちは分かるから。好きな女の人はいるんだけど、多分その人も好きな人が居るんだよね。僕はその人の恋路を邪魔したくはないんだ」
「え、すごい大人だね」
とても小学生とは思えない。まるで恋心に任せて誰かを独占することを諦めているようにも思える。
いや、弱視者である彼はむしろそうなのだろう。自分の抱えている重荷を、誰かにも背負わせたくはない。だから邪魔しないように立ち回る。
生まれ持った自分の個性が、そのまま精神性に結びついている。
その部分が、中学生の頃には死んでしまうという余命を持ったまま生き続けた、僕の昔の想い人のようだ。
「大人かな? もしそうなら、多分お兄さんの方が大人だよ」
「え? なんで?」
「一歩引いてるところが。僕は踏み込みたいところは踏み込んでしまうもん」
「一歩引いているように見えるのかな……?」
「んー、何かに遠慮しているように感じるかな。それが何かは分からないんだけど」
遠慮……か。
卑屈な性格であることは自覚しているけど、何に対しても遠慮しているのなら今回も自分の性格が生み出した問題なのだろうか?
「けど、告白したことがあるんでしょ? フラれたけど、でもやっぱり忘れられないって事?」
「……ん? 告白?」
翔君と微妙に話が食い違っている気がした。黙り込んで数秒考えると、核心に迫るところを話していないために勘違いが起きてしまった事を僕は理解する。
「あ、えっとね。『好きな人』はいるけど今さっき話した『とある女の子』はその子とは別人だよ。ごめんね、大事なことを言い忘れていたよ」
「へー。じゃあもしかして、お兄さんはそのとある女の子のことを、本当に好きになりかけているんじゃないの?」
「……あれ、そういうことなのかな……?」
「僕は、てっきりそういう惚気話なのかなと。三十分近くデレデレとお話してくれたんだと思ってた」
「はっ、ごめんね!? 話に付き合わせちゃったよね!? 新しいジュース頼もうか!?」
「お水で良いよ。すみませーん、お冷三つ下さい」
手を上げて店員さんの居る方へ翔君はさらりと言い放つ。「かしこまりました」と笑顔を浮かべながら、店員は厨房の方へ入っていった。
「……ふぁ、寝てた」
翔君の張り上げた声に起こされたのか、葵先輩が目を開けた。目元をごしごしこすりながらコーヒーに口を付ける。
「つめたっ、完全に冷めちゃった」
「寝過ぎだよ葵ねぇ、そんなにバイト忙しかったの?」
「休日だったからねー。お客さんの入りがずーっとあるって感じで休みどころが取れなくてさ。いやーごめんね御船君! 誘っておいてガチ寝しちゃった!」
あははと照れながら笑い、先輩はまたコーヒーを飲んだ。
「んー、冷めても美味しい」
「先輩って、筋肉以外にも好きな物あったんですね」
「後輩からのイメージがやばい。筋肉しか愛せない女みたいに見られてる!」
「仕方ないよ葵ねぇ。弟すらもボディビルダーに仕立て上げようとしている人は他人から見たらそう思われるよ」
「ええ……先輩……」
「待って翔、御船君からの視線が痛くなる前にお姉ちゃんを擁護して!」
「お兄さんの住所を教えてくれたら」
「翔君……!?」
なんだこの姉弟。どっちも思想が恐ろしすぎるのだが。
店員さんに持ってきてもらったお冷を飲みながら、自分の中でもう一度考えてみる。
僕はてっきり、昔の好きな人をずっと忘れられないと信じ込んでいたけれど、実はそうでもないのかもしれないと。
疑問が浮かび始めたのはあの日、白刃さんの底抜けに明るい笑顔を見てからだ。
その時、自分の中で何か変わったのだろうか。
ここ数週間、彼女を見るたびにどこかぎゅっと絞られるような窮屈さを覚えていたのは、恋心だったからなのだろうか。
あの人は人間としても、異性として見ても好きだけど、恋人になりたいわけではない。だからてっきり、恋では無いと思っていた。
でももしそれが勘違いだったなら?
僕は、彼女と付き合いたいのだろうか。恋仲になりたいと、思ってしまうのだろうか。
思考の海に浸りつつ、飲んだ水の量が多かったためかトイレへ行きたくなる。
「あっ、すみませんちょっとお手洗いに」
「いってらー」
先輩の声を背中で受けつつ席を立つ。入ったトイレの個室で一人になったことで、また考え込むのだった。
*
「どう、御船君と色々お話はできた?」
私は弟の翔にそれとなく聞いてみる
「あれ。お姉寝たふりしてたんじゃなかったの?」
「いや、そのつもりだったんだけど途中からガチで寝ちゃった。目を閉じてたら勝手に眠くなってさ? 奈津姫ちゃんのようにはいかないなぁ」
「誰それ?」
「知り合いだよ。たしか御船君と同じクラスだったかなぁ」
「もしかして、眠り姫?」
「あら、そのあだ名を知ってるんだ」
「有名じゃん、『眠りの武姫』は。地元で知らない人の方が少ないんじゃない? まぁ本名は覚えてなかったけど」
「あはは、名前は覚えるの大変だからね」
水の入ったグラスの周りに付いている水滴をなぞりながら、改めて翔へ聞き直す。
「どうだった?」
「うーん。なんか、あのお兄さんと話していたはずなのにどこか他人事のように聞こえたんだよね」
「へえ」
我が弟ながら注意深く見ているというか、聞いている。目が悪いというハンデを持っているからこそ、人の話す言葉の機微を鋭く捉えているのだろうな。
「後ろに何か居る気がするというか、あのお兄さんの性格に繋がっている何かがありそう。気になるけど、怖くて聞けなかった」
「そっか。翔がそう感じるなら、御船君は何か抱えているのかもね」
魅力がある男の子という印象は最初からあったけど、それは単純なカッコ良さからくるものではない。
どこか、穴開きの妙味。その穴を埋めてあげたいと庇護欲に駆られてしまうような、もしくは支えてあげたいと使命感に追われる、儚げな色気。それは熟年の男が持つならまだしも、高校一年生という若さには不相応なぐらい、魔性の男。
その魔性の穴が塞がらなければ、彼はずっと変わらないだろう。
きっとそれは、彼自身の人生を歪ませる。
(美銀ちゃん。あなたがさっさと救い上げないと、彼は彼自身の作った穴倉で溺れてしまうよ)
グラスの中にある氷が割れて、からんと揺れる。
不吉な未来をかみ砕くように、私は氷と水を口に含んだ。




