第45話 夕暮れのアマリリス
「はぁ、美味しい……」
七月に入り、最初の土曜日に訪れたのは喫茶アマリリス。
美銀と一緒に探して見つける事のできた思い出の土地で、頼んだダージリンティーを飲みながら僕は午後を満喫していた。
気品があって落ち着く王道の香りと、喫茶全体を包むクラシック音楽の中で本を読むのは最高だった。来ているお客さんは店名の花言葉らしく楽しそうにおしゃべりしているが、がやがやうるさいわけでもなく心地よい環境音となっている。
やっぱり良い場所だ。本当なら毎週来たいぐらいだけど、さすがに高校生でそんな贅沢はできない。けど今日はちょっとした息抜きのため、ここに訪れた。
……あ、まずい。
良くない事、というほどでもないけど面倒な事を思い出してしまった。ここは白刃さんと来た場所であり、最近彼女に抱いているもやもやとした感情を。
つい昨日までは期末テストがあったからそっちに気が向いて忘れていたけど、一人でゆっくりと落ち着ける時間ができてしまうと、待ってましたと言わんばかりに思考が浮かび上がる。
ついこの前の誕生パーティの時、僕のあげたぬいぐるみを抱きながら可愛らしく笑う彼女を見て、心の中で水面に波紋を生むような波ができた。あれが一体どういった類の感情だったのか、それをまだ突き止められずにいる。
(……分からないからって誰かに聞けたら楽なんだけどなぁ)
他人に相談するにしても、あまりにも大雑把な説明しかできない気がして、誰にも打ち明けられずにここ二週間を過ごしていた。
雲のようなもやもやは少しずつ積もってきて、それを発散できるかもしれないと考え今日は贅沢をしにアマリリスへ来た。けど好きな読書をしてお茶を飲んでも、脳内の霧は晴れない。
どうしたものかなぁ。
そんな風に考えながら頭に入らない活字を目で追ってると、チリンチリンと入店のベルが聞こえてくる。
「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」
「はい。奥の席空いてますか?」
「空いてますよ、こちらへどうぞ」
入ってきたお客さんの声は快活で聞き慣れた女性のもので、思わず振り向く。
目をやると、そこには私服姿の葵先輩と翔君が居た。
「ん? あれ、葵ねぇ」
「どうかした?」
「あそこ、もしかして知ってる人居る?」
「えーと……あっ! 御船君じゃん!」
二人は気付いて近寄ってきた。
「あ、どうも」
「偶然だねー! 今日は一人? 美銀ちゃんは?」
「ああ……いえ、別にいつも一緒ってことは無いですよ」
答えの出ない疑問と向き合うのがなかなか億劫になっていて、つい素っ気ない答え方をしてしまう。すると姉弟は目の前でひそひそと話し始める。
「……ほーん、えらく冷たいね。怪しくない?」
「うん、怪しい気がする」
「問い詰める?」
「お兄さん次第じゃないかな」
声のボリュームが小さくて分かり辛かったが、何やら不穏な作戦会議をしているのが表情から見えてます……。
「……御船君、先輩として一杯奢ってあげる。奥の広い席で一緒にどうよ?」
「え、いや悪いですよ」
「というかもしよかったら、翔の話し相手になってくれない? 実はこの弟がさ、御船君の事すっごく気にいっちゃってまた会いたいって言ってたの」
「違うよお姉、僕はお兄さんの住所を教えてって言ったんだよ」
ほらね? といった呆れ顔で僕を見てくる葵お姉ちゃん。こわ……最近の小学生こわい……。家に押し入られる可能性があったのか……。
けど、年下に好いてもらえるというのは、悪い気はしない。むしろ嬉しい。
「あはは……僕で良ければいくらでも」
「おし! じゃあ好きな物頼みな! 先輩の威厳ってのを見せてあげる!」
どやっと笑みを浮かべ、かなり豊満な胸を張りながら腰に両手をあてている彼女は、仕草は可愛らしいのにどこか年上の器量を感じる女性で、たった二歳の違いをひしひしと感じるのだった。
*
「お兄さん、好きな人っているの?」
「……あのー、え?」
葵先輩はコーヒーを、翔君はジュースとケーキ、僕はアールグレイを頼んで全てテーブルに並んだあと、彼から真っ先に聞かれた質問に戸惑う。
「僕はね、今高校一年生ですっごく美人で勘の良い女の人が好きなんだ」
「へ、へぇ……」
「僕は言ったよ。お兄さんも教えてよ」
「ちょっと待って翔君、きみ小学生だよね!? 詰め方が恐ろしいんだけど!」
「居るか居ないかで良いよ」
「器が大きい!」
四人で座るテーブルの壁際の方に櫻野姉弟は座っているが、葵先輩は注文したコーヒーに一度だけ口を付けたら、疲れていたのかなんと眠ってしまった。テーブルに大きな胸を乗せて支柱のように使い、その前でガードするように腕を組みながら。目に毒な光景だ……。
だから今会話しているのは僕と翔君の二人だけ。葵お姉ちゃんに救援は求められない。
「どうなのお兄さん?」
「……えーっと、居るには居るよ」
「ふーん、告白しないの?」
「あー、はは。告白したことはあるんだけどフラれたよ」
「……お兄さんを振ったなんて、見る目無いね」
「それは、違うさ」
カップに口を付けて紅茶を含み、飲み込んだらもう一度笑いながら言う。
「僕の方が、彼女に見合わなかっただけなんだ」
「……すごいね。お兄さん、カッコいいね」
「ええ? ただただ爆死した情けない男だよ?」
「そうかな、僕はカッコイイって思うよ? 不屈のヒーローみたいで」
「過大評価だよー。翔君から見たら高校生ってそう見えてしまうだけで、実際は大したことないから。うん、ホント……まだまだ分からないことだらけだよ」
カップの中で波打つ透明で赤い海を見ながら、自虐に呑まれる。
思い出して悲しくなるなんて、そんな柔なメンタルは捨ててきたはずなんだけどなぁ。
「……何か悩んでるの?」
「……分からないんだ。悩んでいるのかどうかも」
「とりあえず、話してみたら? 聞くよ?」
「いやいや、翔君に話すなんて……」
「葵ねぇはバイト終わりで疲れて寝ちゃったし、ここは奥の方だし、僕ぐらいしか聞かないし。それに僕、お兄さんの事色々知りたいんだ。だからお話してほしいな」
翔君は僕の方を、正確には僕の首元を見ながら言ってくる。彼は弱視者だ、顔がどこにあるのかはぼんやりとしか分かっていない。だから視線が合うという事はなかなかない。
それゆえに、気が楽だった。
目の中を見ると、相手の情報が流れ込んでくる。主に感情が。それに比べて翔君は目が悪く、完全に目を合わせなくても話せる相手。
彼になら。
そう思ってしまうぐらいには、僕の心は不透明な問題で弱っていたみたいだ。
「……ちょっと長くなるかもだけど、良いかな」
「おしゃべりは長ければ長いほど楽しいよ」
「はは、カッコいい事言うねぇ」
誰かを助けるヒーローなのはどっちか分からない。
そんな風に思いながら、僕は胸の中にある感情をぽつぽつと語り始めた。




