第44話 女の子の笑顔は危険物
「え、あの……これは?」
まだ僕が両手で抱えている海のような水色で、どことなく温かな触り心地の不織布を見つめながら、白刃さんは目を丸くしていた。出会ってから約二か月程度の仲ではあるが、これまで全く見たことのない驚愕の表情だった。
「……サプラ~イズ?」
洋画でお調子者がよく言いがちな軽ーいノリで放つ。大体そんなイメージ。
「さぷらいず? サプライズ……surprise?」
「発音良いね……。日本人とは思えないぐらいのネイティブでびっくりした」
「びっくりしたのはこっちです、なんのドッキリですか」
「んー、まぁなんと言いますか、お返しです」
リビングで二人きり。静かな部屋で立ったまま向かい合う。袋のサイズがサイズなだけに、傍から見れば花束を渡そうとしているように見えなくもない。
「お返し?」
「いつもご飯のおすそ分けしてくれる事とか、遊びに誘ってくれる事とか、色々おしゃべりしてくれる事とか。それに対するお返しです」
「……そんな、気にしないでって言いましたのに……」
眉はひそめながら言いつつ、笑顔が隠しきれずに口元に零れている。口ではそう言ってても、日頃の感謝を込めている事を彼女は分かっているから、無下にはされない。
「気にしないでなんて言われたら、僕はさらに気にしちゃうよ。残念ながら、卑屈すぎる性格だからね」
「……そうですね。そこまで読めていなかったようです。私としたことが、また和士君を見くびっていました」
「あはは、見直してくれた?」
「……はい、お腹を見せて眠ります」
「服従までしなくても良いから!?」
いつものように突然湧き出たクールジョークのおかげで、静寂に包まれていた部屋の中に和やかな空気が染みわたる。その雰囲気に乗じて、僕は手元にあるプレゼントを彼女へ差し出す。
「受け取ってもらえますか?」
「ここで『嫌です』と言う女だと思っているのですか?」
「……」
「なんで黙るのですか!」
「いや……もしかしたら半分ジョーク混じりにそう言って、僕の心を叩き落してから上げることもしてきそうだなぁと思って」
「ちょっと卑屈すぎますよ和士君! いやもしかしたら私がいじめすぎたからなのかもしれませんから私の責任でもありますか……!?」
「はっはー、ジョークだよ」
僕の放った言葉を聞いて、彼女は呆けて目をぱちぱちさせている。
ふーむ。
なるほど。彼女、攻められると意外と弱いのかな?
そんなことを思っていると、彼女は軽くため息をついて差し出した袋を手に取る。
「はぁ……調子が狂います」
「おお、じゃあサプライズは間違いなく成功だ」
「……開けても良いですか?」
「どうぞどうぞ」
美銀はリボンをしゅるしゅると丁寧にほどき、袋の中身を覗いて目を見開いた。
「えっ……あの、これ……!」
普段落ち着いている彼女が出した声色は、溢れる喜びを隠しきれず上ずっていた。袋の中からそれを取り出す動作はゆったりと落ち着いているけど、いつもの所作よりほんの少し急いてる事が僕には分かる。
そんな姿を見て、僕はどうしようもないぐらい満たされる。人の喜んでいる顔というのは、いくつになっても飽きない蜜のようだ。
「じ、ジンベエザメ……!」
「どうかな、お気に召しました?」
「は、はいっ!」
プレゼントの中身は、ジンベエザメのぬいぐるみ。
お土産コーナーにあった中では一番大きいLサイズ。成人の上半身より一回り小さく、ぎゅっと抱きしめられるぐらいの大きさ。
深い青色の水玉模様で、愛らしいおめめをしているのがポイント。
そのぬいぐるみをまるで貢物のように手の先で恐る恐る持っていた白刃さんは、この部屋を凍りつかせるのかと錯覚してしまう強ばった真顔で伺ってくる。
「……和士君、本当に頂いていいのですよね?」
「もちろん」
「あの、ここから先の事は他言無用でお願いできますか……?」
「え?」
突然何を言い出したかと思ったら、彼女はジンベエザメのぬいぐるみを優しく、その大きさと感触を味わうように抱きしめた。大事な物を扱うように。慈しみや愛情で包むかのように。
「ふふ、ふふふ」
ジンベエザメの白くてふっくらとしたお腹に頬ずりをしながら、にっこりと穏やかな表情を浮かべて彼女は笑っていた。目の前に人が居ると言うのに、ぬいぐるみのあまりの可愛さに我慢しきれなかったみたいで。
クールで大人びた美銀があどけない少女のように笑っている姿を見て、何かが切れたような感覚を覚える。
……あれ、なんだろう。
不思議と、それは彼女を直視していると実感できる。
いつもなら見る事のできないような、というより今まで見たことが無い表情をしている美銀が瞳に映ると、それを通して心の中がむずむずとこそばゆくなる。
彼女から視線をそらすと、むず痒い感覚はどこか遠くへ消える。
だから僕は、その感情がどういった物であるのかをはっきりと確かめるため、ずっと彼女を見ていた。
「……ああ、全部見られました」
「ん? えっ?」
「あられもない姿を、私の恥ずかしいところを全て丸裸にされました」
「ええっ!? どういうこと!?」
「言ったでしょう、笑っている所を見られるのは恥ずかしいと。けどそれも全てあなたになら見せて良いと思ったのです。なのにそこまで凝視されてしまったら、私もちょっとだけ照れます」
美銀はぬいぐるみを前に掲げ、笑顔を隠す。どこか女の子らしい振る舞いにどきりとしながら、僕の前にはジンベエザメの水玉模様が目に映る。
「ご、ごめんね?」
「いえ、他言無用にしていただけたら構いません」
「あの、けどなんて言うか。白刃さんは、笑顔も似合うと思う」
「……え?」
彼女の前にあるジンベエザメから疑問の声が聞こえてくる。
「クールで、大人びて、美人さんだけど。だからこそなのかな、笑っているところもすごく良いと思うから、恥ずかしがらなくていいよ」
一瞬視線を逸らしてから我に返り、なんて恥ずかしいセリフを告げてしまったのかと後悔した。
目の前にあるジンベエザメが、それを持つ彼女の手が震えていたから。
「わ、笑わないでよー! 自分でもちょっと恥ずかしい事言ったなって思ったよ!?」
「いえ、いいえ良いのです。それも含めて、私の心のメモ帳にひっそりしまっておきましょう」
「黒歴史認定されちゃった! どうすれば真っ白になりますか!?」
「同じ色に染め上げるのが手っ取り早いのではないのでしょうか、ふふ……」
「笑いが零れてるっ! あの白刃さんが抑えきれてないっ!?」
「それだけ面白かったという事ですよ」
「皮肉だよねそれー!? 僕もあなたの恥ずかしいところ見てやる! それでチャラにしてやる!」
笑っている彼女を僕の瞳と記憶に刻み込もうとしても、ひょいひょいとぬいぐるみで顔面をガードされて埒が明かなかった。
サプライズは成功したけど、結局攻め返されて。それでも、お互い本当に楽しい誕生日を迎えて、六月は過ぎていった。




