第37話 白杖の少年
白杖を持つ少年、櫻野翔は僕の隣に並び、水族館内の順路を進み出口に向かった。
白刃さんは二人の背中を守るような形で、数歩後ろに付いている。
「お兄さん、好きな魚ってある?」
「僕? うーん、タツノオトシゴっていう魚が好きかなぁ。魚っぽくなくて、ドラゴンみたいなんだけど」
「へえー、そんな魚がいるんだ」
「翔君は、好きな魚っているのかな?」
「僕は、クラゲかな。暗いところで展示されていることが多いから、よく見えるんだ」
白杖をこんこんと叩きつつ、彼は僕の手を握りながら歩く。
その足取りはゆっくりであっても迷いは無く、落ち着いていた。
「翔君って、全く見えない人ではないのかな」
「うん、ロービジョン、弱視だよ。暗いところにある明るい物とかは、はっきりと見れるからクラゲがすき。それと、さわれる魚も好きかな」
白杖を鳴らしながら進むと、その音を聞いた水族館内のスタッフや客たちはそそそと道を開けるように避ける。白杖を持つ少年に対し、好奇の目を向けられるが彼は特に気にしていないようだ。
「今日は、家族と一緒に来たの?」
「うん。姉弟皆で来たんだけど、クラゲを見てたら待っていたお兄ちゃんとはぐれちゃって」
「……そっか」
普通なら、視覚障害のある子どもを一人にするのはまずいのではないかと考えてしまうが、何かしらの事情があるのかもしれない。
順調に進んでいると、円筒の水槽を真ん中にその周りをぐるっと回れるエリアを通る。そこでは、小さな子供が「わー!」とはしゃぎながら走り回っていた。
「おいついてみろよー!」
「まってよー!」
幼稚園を出たぐらいの子供がばたばたと追いかけっこをしており、後ろを見ながら走っていたためこちらへ気付かず激突するコースに入っていた。
「危ない!」
僕はとっさに翔君の肩を引いて、自身の身体に抱き留めて背中で守る。
が、なぜか衝突の衝撃が感じられず、拍子抜けして振り返った。
そこには、走ってこちらにぶつかるはずだった子供を、しゃがみ込んで抱き止めている白刃さんの姿があった。
「こら、ぼく? 部屋の中で走ったら、ぶつかって怪我しちゃうよ?」
「あ、えっと……ご、ごめんなさい……」
深く通る静かな声でぴしゃっとたしなめられ、子供は一瞬でしゅんとする。
「ふふ、謝れて偉いですね、よしよし。もう走ったらだめですよ?」
彼女は子供と目線を合わせつつ、頭を優しく撫でて微笑みかける。するとその子は安心したように表情が和らぎ、「わかった!」と元気よく声を上げ、とてとてと早歩きで家族の下へ帰っていった。
「お兄さん、お姉さん、ありがとう」
翔君は僕らにお礼を言う。どんな状況であるかは見えていないはずだが、一連の音からある程度予想できているのだろう。
「お姉さんがファインプレーしてたんだよ、お姉さんにお礼を言ってあげて?」
「お兄さんも、真っ先に僕を守ってくれたんだから、どっちもありがとうだよ」
さも当前といった風に感謝を述べるさまは、どこかの誰かと似ている気がする。
ああ、いや。隣にいたよ。こういう性格は、クールって言うんだ。翔君、モテるんだろうなぁ。
というか、白刃さんが小さい子に対してあんなに優しく接している姿を初めて見て、ドキッとした。ちょっと前に山登りをした時、僕が無理をしたことで怒られた時も母性があるとは感じていたが。
いざ目の前で愛情にあふれた振る舞いを見ると、少し揺さぶられるところがある。
思い出に残っている、亡くなったあの女の子も、泣いてしまう僕をなだめてくれる優しい人だったから。
「あー、翔が居たよおねえちゃーん」
「本当に!?」
出口に近いところで小学生ぐらいの女の子と、僕らより少し年上に見える女性が声を上げた。片方は、見覚えのある人だった。
「えっ!? 御船君に美銀ちゃん!? どうして二人が翔と一緒に……?」
「あっ、どうも葵先輩」
「こんにちは、葵お姉ちゃん」
驚きと疑問が混じる顔で聞いてきたのは、家庭科部の長で筋肉フェチの『櫻野葵』だった。僕の入っている部の部長であり、面倒見の良いお姉ちゃん。
僕らにとって、よく見知った顔馴染みである。
「葵姉、ぼくはこのお兄さんとお姉さんに付き添ってもらったんだ。迷子になってたから」
「そう……そっか……良かった……!」
翔君が端的に説明することで、姉はことの全容を把握し、安堵の声が漏れる。
そして僕らに向かって改めて向かい直り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「二人とも、本当にありがとう! この子に貸してるスマホの充電が切れて、どこに居るのか分からなくなってたから……!」
「先輩、そんな大袈裟な。僕らはホント、一緒に水族館を回っただけですから」
「和士君の言う通りです。気にしないで下さい」
「ううっ……良い後輩を持ててお姉さんは嬉しいよっ……!」
目を潤ませて感動していたかと思うと、今度はきらりと目元が光る。
「……それはそうと、二人はどうしてここに? もしかしてもしかしなくても、デート?」
あっさりと話題を変えて、突き刺さる言葉で攻められる。
「え、えっと……」
「はい。デートです」
「白刃さん」
「デートですよね? カップルですよね? 私たち」
「待って、そうだけどそうじゃない」
僕の失言に今度は葵先輩がツッコんでくる。
「は? なんだその失言は。御船君マジでプレイボーイだったの? 締めるぞ?」
「こわいですっ! 葵お姉ちゃんこわいっす!」
「私は御船君をそんな子に育てた覚えはありません。今からでもその性根、叩きなおしてやる」
「やめ、やめてください! 僕はスパルタ教育って好きじゃないんですよぉ!」
「まずドMにするところから始めてあげるから、安心して私にその体を譲りな」
「絶対筋肉を触る口実ですよね!? 僕もうあなたの手口大体分かってるんですよ!」
「……チッ」
舌打ちが聞こえた気がするが、投げキッス音ということにしておこう。
部の先輩後輩が楽しくおしゃべりしている隣で、美銀と翔は彼らを見物していた。
「あれは、良い口実ですね」
「まぁ、ぼくのお姉ちゃんは何だかんだで頭良い方だから。悪知恵方向で」
「頭が回るというのは、分かりますね。だって、はぐれた翔君を探しに行くのではなく、出口付近で待っていたのですよね? 君がちゃんと誰かの助けをもらって、ここまで来ると予測していたのですから」
「……お姉さんも、頭いいね。そういうのなんていうんだっけ、予知能力?」
翔は子供が好きそうなかっこいい言葉で例えるが、美銀は首を振った。
「こういうのは、女の勘って言うのですよ?」
微笑みながら得意気に言うその声を、翔は見えない目ではなく耳で覚える。
そして楽しそうに白杖を床に叩きつけ、かんかんと鳴らしながら笑う。
「あはは。うん、男の僕だと分からないかも。ねえお姉さん、名前を聞いても良いですか?」
「白刃美銀です」
「美銀さん……だね」
翔は杖の先を、わちゃわちゃ楽しそうに話している男と自分の姉の方へ指す。そして、宣言した。
「ぼく、あのお兄さんには負けないよ」
弱い視力の目に、燃えるような強い火が宿っている。
それは、恋のライバルに対する宣戦布告であった。




