第36話 暗闇で光る星
ひたりひたりと這う白刃さんの細い指が、僕の首周りを一周したところで、キスできてしまうほど眼前に迫っていた彼女は離れつつ、言った。
「和士君、お誕生日おめでとうございます」
「……へっ?」
彼女の予期せぬ行動で我慢できず目を瞑っていた僕は、その言葉で我に帰り、目を開けた。白刃さんの顔も暗闇の中で少し見える。元々暗いクラゲエリアが、何故か自身の首元に垂れ下がっているライトのような物でほんのり明るくなっていることに気付く。
「……これ、読書用ライト?」
「そうです。暗いところで本を読む時に使う、首掛けタイプの物です。ライトの色も明るさも調節できて、両手も空くので便利です。私のおすすめです」
それは寝る前に読書する習慣がある僕にとって、喉から手が出るほど欲しかったアイテムであった。
「あ、えっと、さっきまで首をぺたぺた触っていたのは……?」
「首周りの寸法を測るためです」
「二人きりじゃないと意味が無いっていうのは……?」
「プレゼントにサプライズは付き物ですよね」
「吊り橋効果や人目に付かないってのは……?」
「せっかくの読書用ライトなんですから、暗いところで良さを実体験してほしかったのです。その為です」
理解。
しかし、大きく溜める。
すううぅぅと息が聞こえるほど大きく、長く深呼吸する。
辺りの空気を吸えるだけ吸い込み、そして叫んだ。
「プレゼントありがとう美銀ちゃん! けど次からこういう事を男の子にしちゃメッ! ですよ!?」
「あら、久々に和士ママを拝めましたね」
「あんなに近づかれて、殺されるかと思ったよ! 僕いま心臓ばっくばくだよ!? 触って確かめてみる!?」
「ふむ、では失礼しまして」
冗談を上手く使い、口実を作り出した彼女は手を伸ばし、胸板に触れられた。
「ほわあぁ!?」
「確かに早いですね、いつもの1.5倍でしょうか?」
「いつもの脈を知ってる事と、手首で計らずに直接胸を触ってきたこと、どっちにツッコめば良いんでしょう!?」
「どっちもツッコんで良いのではないでしょうか? 答えますよ?」
「いや、答えを知っちゃうのが怖いのでいいっす……」
「そうですか。けど本当に良い身体つきしてますね、惚れ惚れしますよ」
そう言いながらぺたぺたと這うように上半身全体を触り始める。その目が銀河に流れる星のように光り輝いていることを、僕は首掛けライトのおかげで確かに見る事ができてしまう。
「あは、あはは! くすぐったいです!」
「……あらいけません、少し夢中になって触ってしまいました」
「なんか、触り方が葵先輩と似ているよ……。白刃さんって隠れ筋肉フェチですか」
「女の子はみんな大なり小なり筋肉フェチですよ? 隠れでも何でもないです」
「そ、そうなんだね……」
開き直って堂々と言う様は、悪知恵の働く子供みたいだ。
そんな風に考えていたら、何となく他人の視線を感じる。
いや、視線というほど鋭いものではない。どこか柔らかく、面白いものでも見るようで、けれど目で見られている感じではなく。
心眼で見据えられてるような、視線。
「スケベェなことしてるね、お兄さんとお姉さん」
かつん、かつんと杖を地面へあて、叩き鳴らしながら小さな男の子が近づいてくる。
持っている杖は、この暗闇でもよく見える白杖だった。
「ち、違うよ!? 全然そういうことじゃなくてね!」
「お兄さん、そんなに慌ててたら自分で言ってるようなものだよ。『ガキはあっちに行ってろ』とか言ったら、彼女のお姉さんもうっとりするんじゃないかな」
「こ、この人は彼女じゃないです! 僕らは恋人じゃないから!」
「あら、和士君は私のあんな姿まで見たというのにあくまで愛人扱いにするのですね。いいえ、良いのです。それでも今日一日だけは本当の恋人として付き合ってもらっているのですから、私は幸せです」
「美銀ちゃん! 話をややこしくしないで!」
「カップルサービスを受けるための口実だったのですが、どうせなら今日を永遠にループしませんか?」
僕らのやり取りを聞いていた小学生ぐらいの男の子は知ったように頷く。
「ベタ惚れじゃん。妬けちゃうねぇ」
「君! 勘違いしたらダメだよ! この女の子はこういうジョークを真顔で言う人なんだ!」
「それを引き出して言わせるお兄さんも、なかなかプレイボーイだねぇ」
「なんかどっかで言われた事あるような気がするけど、僕は本当にそんなふしだらな人間じゃないよっ!」
「自覚のない人はみんなそう言うよ」
この子、小学生ぐらいなのに刺さる言葉をぽんぽん言ってくる……。何者だッ……!
「あー、ところでもし良ければ、すこーしだけお兄さんとお姉さんに手伝ってほしい事があるんですけども」
ばつが悪そうに頭を掻きながら、少年は軽い調子で言う。
「ん? どうかした? 何かあった?」
「えーっと、迷子センターまで付き添ってもらいたいんだ」
白杖を持ち上げながら少年は僕の顔に向かって。厳密には、首から下げている「読書用ライト」に向かって淡々と目的を話す。
「家族とはぐれちゃってさ。迷子センターで待ちたいんだけど、ぼくさ、ちょっと目が悪いんだ。一人で歩き回ると周りに迷惑がかかりそうだから、そこまで付き添ってほしくて」
しっかりしているようで、一人になって心細いのだろう。調子よく話してはいるが、声色には微かに不安が混ざっているように感じる。
僕と白刃さんは暗闇の中でライトの光を頼りに目を合わせ、頷き合う。
「……うん、分かった。お兄さんとお姉さんに任せてよ」
「はい、一緒に行きましょう。お名前を教えてもらって良いですか?」
その言葉を聞いて嬉しそうに杖を床に叩いて鳴らし、少年は答えた。
「ありがとうございます。ぼくの名前は『櫻野翔』です」
聞き覚えのある苗字は、きっと別の家族だろうと思い込み、銀河エリア以降の水族館デートは三人となるのだった。




