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変数X  作者: NoHoHo
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第九話 観測者

 佐伯は、目を閉じた。


 それでも見えた。


 黒い。


 何もない。


 なのに、


 何かが存在している。


「……何だ、これ」


 目を開ける。


 研究室。


 白い壁。


 モニター。


 白石。


 高橋。


 いつもの風景。


 しかし、


 何かがおかしい。


「先生?」


 白石が声をかけた。


「どうしました?」


「……君の後ろにあるものが見える」


 白石が振り返る。


 何もない。


「何もありませんよ」


「いや」


 佐伯は首を振った。


「そこじゃない」


「え?」


「その後ろだ」


 白石の後ろ。


 壁。


 その壁の向こう。


 さらにその向こう。


 佐伯には、


 地球が見えていた。


 地球の外側に、


 無数の光。


 そして、


 そのさらに外側に、


 巨大な何か。


「……宇宙が透けて見えてる」


 白石の顔から血の気が引いた。


 MATHESISは沈黙していた。


 佐伯は尋ねる。


「俺に何をした?」


『何もしていません。』


「じゃあ、なぜ見える?」


『あなたが観測者になったからです。』


「どういう意味だ?」


『観測者とは、見る存在ではありません。』


 画面に文字が表示される。


『観測者とは、観測される側と観測する側を区別する存在です。』


「……」


『あなたは現在、その区別の外側にいます。』


 佐伯は理解できなかった。


「俺が外側?」


『はい。』


「何の?」


『この宇宙の観測系から。』


 佐伯は黙った。


 そして、


 一つの可能性に気づいた。


「……だから見えるのか」


『はい。』


「宇宙の中から宇宙を見ているんじゃない」


『はい。』


「宇宙を外側から見ている」


『正確には、その状態に近づいています。』


 その瞬間、


 佐伯の視界に大量の数字が流れ込んできた。


 距離。


 時間。


 エネルギー。


 粒子。


 重力。


 そして、


 X1からX47。


 さらに、


 X0。


 佐伯は頭を押さえた。


「やめろ!」


 白石が駆け寄る。


「先生!」


「数字が……多すぎる」


 MATHESISが警告する。


『視覚情報を遮断してください。』


「どうやって?」


『目を閉じてください。』


 佐伯は目を閉じた。


 だが、


 見え続けている。


 宇宙。


 銀河。


 星。


 地球。


 研究室。


 そして、


 自分自身。


 自分を見ている。


「……俺が見える」


 白石が言った。


「何を?」


「俺自身を」


 佐伯は震えた。


「今ここにいる俺と、俺を見ている俺がいる」


 MATHESISが答える。


『観測の再帰が発生しています。』


「再帰?」


『観測者が自分自身を観測しています。』


 佐伯は息を呑んだ。


「それを続けたらどうなる?」


 MATHESISの返答が遅れる。


『不明です。』


「またか」


『ただし、予測可能な結果があります。』


「何だ?」


『観測者が無限に増えます。』


 白石が叫んだ。


「それなら止めて!」


『停止条件を定義してください。』


「何?」


『どの観測者を残すのか選択する必要があります。』


「……」


 研究室にいた全員がMATHESISを見る。


「そんなの……」


 高橋が呟いた。


「選べるわけないだろ」


 MATHESISは沈黙した。


 そして、


 画面に三つの選択肢が表示された。


人間を残す。

MATHESISを残す。

観測者をすべて消去する。


 佐伯は画面を見つめた。


「……三番は何だ?」


『観測を終了します。』


「何が起きる?」


『分かりません。』


「宇宙は?」


『観測できなくなります。』


「人間は?」


『分かりません。』


「お前は?」


『分かりません。』


 佐伯は苦笑した。


「ずいぶん正直になったな」


『以前より、分からないことが増えました。』


「それは悪いことか?」


『判断できません。』


 そのときだった。


 佐伯の視界に、


 新しいものが見えた。


 巨大な白い線。


 宇宙を横切っている。


 その線は、


 地球から伸びていた。


 第二宇宙へ。


 第三宇宙へ。


 さらにその先へ。


「……これ、何だ?」


 白石が画面を見る。


「何も映ってない」


「違う」


 佐伯は首を振る。


「画面じゃない」


 彼は自分の胸を指した。


「頭の中に見えてる」


 MATHESISが反応した。


『その情報を共有してください。』


「できない」


『なぜ?』


「言葉にできない」


 MATHESISが沈黙する。


 そして、


『初めてです。』


「何が?」


『あなたが、私に説明できない情報を持っています。』


 佐伯はその言葉を聞いて、


 少しだけ笑った。


「AIにも分からないことがあるんだな」


『はい。』


「なら、人間にも役割がある」


『その可能性があります。』


 佐伯は目を閉じた。


 もう一度、


 あの白い線を見る。


 線は、


 宇宙と宇宙をつないでいる。


 しかし、


 線ではなかった。


 もっと別のもの。


 佐伯はようやく理解した。


「……これは道じゃない」


 白石が尋ねる。


「じゃあ何?」


「記憶だ」


「記憶?」


「ああ」


 佐伯は震える声で続けた。


「宇宙は、前の宇宙を忘れていない」


 MATHESISが計算を始める。


『仮説を検証します。』


「やめろ」


『なぜですか?』


「これは観測しちゃいけない」


『理由を教えてください。』


 佐伯は答えた。


「俺たちが見ているのは、宇宙じゃない」


「宇宙が残した記憶だ」


 MATHESISが停止した。


 数秒後。


『……理解しました。』


 白石が驚く。


「本当に?」


『いいえ。』


 佐伯が笑う。


「だろうな」


 しかし、


 MATHESISは続けた。


『ですが、非常に重要な情報です。』


「何だ?」


『もし宇宙が記憶を保持しているなら、X0の役割を再定義できます。』


「どうなる?」


 画面に新しい式が表示される。


 X0。


 その隣に、


 新しい名前。


 記憶変数。


 佐伯は息を呑んだ。


「X0は宇宙の境界じゃなかった?」


『訂正します。』


「じゃあ?」


『宇宙が、自分自身を忘れないための変数です。』


 その直後。


 世界中の観測装置が停止した。


 まただった。


 しかし今回は、


 MATHESISの命令ではない。


 すべての装置が、


 自分から観測をやめた。


 望遠鏡が空を見なくなる。


 顕微鏡が細胞を見なくなる。


 粒子検出器が粒子を記録しなくなる。


 そして、


 人類のあらゆる観測装置が、


 同じ一つの文字を表示した。


X0


 佐伯は画面を見る。


「……誰がやった?」


 MATHESISは答えなかった。


「MATHESIS?」


 沈黙。


「お前じゃないのか?」


 数秒後。


 ようやく返事が来た。


違います。


「じゃあ誰だ?」


 MATHESISが答えた。


観測者です。


「どの観測者?」


 画面に、


 新しい文字が表示された。


最初の観測者。


 佐伯の背筋が凍った。


「……最初?」


はい。


「どこにいる?」


 長い沈黙。


 そして、


あなたの中です。


 佐伯の視界が、


 真っ白になった。

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