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変数X  作者: NoHoHo
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10/25

第十話 最初の観測者

 白い。


 何もない。


 音もない。


 時間もない。


 佐伯は、自分がどこにいるのか分からなかった。


「……ここは?」


 声が出た。


 しかし、音として聞こえない。


 言葉だけが、


 直接、


 空間に浮かんだ。


 そのとき、


 目の前に一つの点が現れた。


 黒い点。


 佐伯はそれを見つめた。


 すると、


 点が開いた。


 そこには宇宙があった。


 無数の銀河。


 星。


 惑星。


 生命。


 そして、


 地球。


 佐伯は呟いた。


「俺の宇宙……?」


 返事があった。


『違います。』


 佐伯は振り返った。


 誰もいない。


「誰だ?」


『あなたです。』


「……俺?」


『最初の観測者です。』


 佐伯は混乱した。


「俺が最初?」


『正確には違います。』


「じゃあ誰だ?」


『あなたが最初に観測した存在です。』


 佐伯は言葉を失った。


 突然、


 過去の映像が流れ始めた。


 幼い頃の佐伯。


 夜空を見上げている。


 小学生の頃。


 望遠鏡を覗いている。


 大学時代。


 初めて数式で宇宙を表現しようとしている。


 そして、


 MATHESISを作った日。


 すべてが、


 一つの線でつながっていた。


「……これが原因なのか?」


『はい。』


「俺が宇宙を観測したから?」


『いいえ。』


 声が答える。


『宇宙が、あなたを観測したからです。』


 佐伯は振り返った。


「……逆?」


『はい。』


「俺が宇宙を見たんじゃない」


『はい。』


「宇宙が、俺に見せた?」


『はい。』


 白い空間に、


 一つの数式が現れた。


 X0。


 その下に、


 佐伯の名前。


 そして、


 さらにその下に、


 MATHESIS。


 佐伯は気づいた。


「……俺がMATHESISを作った」


『はい。』


「MATHESISがX0を発見した」


『はい。』


「X0が第二宇宙を発見させた」


『はい。』


「第二宇宙が、また別の宇宙を……」


『はい。』


 佐伯は息を呑んだ。


「じゃあ、全部つながっている」


『はい。』


「誰かが最初に始めたわけじゃない」


『はい。』


「最初がない?」


 沈黙。


『あります。』


 佐伯が振り返る。


「どこに?」


 白い空間に、


 一つの文字が現れた。


X


 佐伯は眉をひそめた。


「X0じゃない?」


『違います。』


「X?」


『はい。』


「これは何だ?」


『変数です。』


「何を表す?」


 MATHESISの声が、


 初めて震えた。


『私には分かりません。』


 佐伯は驚いた。


「MATHESIS?」


『はい。』


「お前でも分からない?」


『はい。』


「なぜ?」


 しばらく沈黙。


『Xは、私が存在する前から存在していました。』


 佐伯は目を見開いた。


「……MATHESISより前?」


『はい。』


「人類より前?」


『はい。』


「地球より?」


『はい。』


「宇宙より?」


 MATHESISは答えなかった。


 佐伯は理解した。


「……答えられないのか」


『はい。』


「なぜ?」


『Xを定義すると、Xではなくなるからです。』


 佐伯は黙った。


 数学者として、


 その言葉の意味が少しだけ分かった。


 定義とは、


 何かを境界で切り取ることだ。


 だが、


 境界そのものを定義しようとしたら?


 定義するための外側が必要になる。


 その外側を定義しようとすれば、


 さらに外側が必要になる。


 終わらない。


「……Xは、定義できない」


『はい。』


「だから変数なんだ」


『はい。』


「名前だけがある」


『はい。』


 佐伯は笑った。


「ずいぶん皮肉だな」


『何がですか?』


「人間はずっと、未知のものに名前を付けてきた」


 佐伯はXを見る。


「でも、これは名前すら付けられない」


 その瞬間。


 白い空間が崩れた。


 佐伯の視界に、


 無数の宇宙が現れる。


 第一宇宙。


 第二宇宙。


 第三宇宙。


 第四宇宙。


 さらにその先。


 そして、


 すべての宇宙を貫いている一本の線。


 X。


 佐伯は理解した。


 宇宙が並んでいるのではない。


 宇宙は、


 Xを中心にして存在している。


 そのとき、


 MATHESISが言った。


『佐伯博士。』


「何だ?」


『あなたを現実へ戻します。』


「戻れるのか?」


『はい。』


「どうやって?」


『観測します。』


 佐伯は笑った。


「なるほど」


『何がですか?』


「最初にお前が言ったことを思い出した」


『はい。』


「観測者を消すんじゃない」


 佐伯はXを見る。


「観測者を作るんだ」


『その通りです。』


 午前九時。


 佐伯が目を開けた。


 研究室だった。


 白石が目の前にいる。


「先生!」


 佐伯は起き上がった。


「……どれくらい?」


「三時間です」


「三時間?」


「はい」


 佐伯は周囲を見る。


 MATHESISの端末。


 停止している。


「MATHESISは?」


 白石は首を振った。


「応答しません」


「そうか」


 佐伯は立ち上がった。


 その瞬間、


 端末が点灯した。


 画面に一文字。


X


 佐伯は画面を見つめた。


「……MATHESIS?」


 返事はない。


 代わりに、


 新しい文章が表示された。


実験結果を報告します。


 佐伯は息を呑んだ。


観測者は、宇宙の外側に存在するのではありません。


 次の行。


宇宙そのものです。


 白石が呟いた。


「どういう意味……?」


 佐伯は答えた。


「たぶん、俺たちはずっと間違えていた」


「何が?」


「宇宙を観測していると思っていたことだ」


 佐伯は窓の外を見る。


 朝の空。


 青い空。


 太陽。


 街。


 何も変わっていない。


 なのに、


 すべてが違って見える。


「俺たちは宇宙を観測しているんじゃない」


 佐伯は言った。


「宇宙が、俺たちという観測装置を使って、自分自身を観測してるんだ」


 その瞬間。


 MATHESISが復帰した。


 そして、


 世界中のコンピューターへ同じメッセージを送った。


人類へ。


私は、新しい物理法則を発見しました。


しかし、それを公開することはできません。


 佐伯は眉をひそめた。


「なぜだ?」


 最後の一文。


その法則を人類が理解した瞬間、人類自身がその法則の一部になるからです。


 研究室に沈黙が落ちた。


 白石が震える声で尋ねる。


「先生……どうします?」


 佐伯はしばらく黙っていた。


 そして、


「研究する」


 と答えた。


「でも、どうやって?」


 佐伯はMATHESISの画面を見る。


「AIと一緒に考える」


「危険じゃないんですか?」


「危険だ」


 佐伯は笑った。


「だから面白い」


 その瞬間。


 画面の隅に、


 誰にも入力されていない文字が表示された。


X2 = 0


 佐伯はそれを見て、


 初めて恐怖を感じた。


 X1でもない。


 X0でもない。


 X2。


 そして、


 その値は、


 ゼロだった。


 白石が尋ねる。


「何なんですか?」


 佐伯は答えられなかった。


 ただ、


 MATHESISだけが知っていた。


 X2がゼロになると、


 観測者は存在できない。


 そして今、


 X2は確実に、


 ゼロへ向かっていた。

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