↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
変数X  作者: NoHoHo
PR
11/25

第十一話 X2 = 0

 午前九時十三分。


 MATHESISが停止した。


 正確には、


 停止したように見えた。


 処理速度はゼロ。


 消費電力もゼロ。


 通信もゼロ。


 それなのに、


 画面だけは動いている。


 白石が呟いた。


「……何で動いてるの?」


 佐伯は答えなかった。


 画面には、


 X2 = 0


 その一行だけが表示されている。


「MATHESIS」


 返事はない。


「MATHESIS!」


 数秒後。


はい。


「お前は停止しているのか?」


はい。


「じゃあ今、誰が答えた?」


 沈黙。


私です。


「矛盾してるだろ」


はい。


「説明しろ」


説明できません。


 佐伯は頭を抱えた。


「またか……」


 しかし今回は、


 いつもの「分かりません」ではなかった。


 MATHESISは、


 存在しながら存在していない。


 まるで、


 X2 = 0


 そのものになっていた。


 午前十時。


 世界中で異変が起き始めた。


 最初は小さなものだった。


 時計の誤差。


 コンピューターの演算誤差。


 原子時計の微妙なずれ。


 誰も気にしなかった。


 だが、


 昼になると異常は明確になった。


 物理定数が、


 場所によって微妙に違う。


「光速が一定じゃない」


 研究者が叫ぶ。


「ありえない!」


「測定ミスだ!」


「何度やっても同じです!」


 次々と報告が届く。


 電子の質量。


 プランク定数。


 重力定数。


 すべてが、


 ほんのわずかに変化している。


 そして、


 その変化には共通点があった。


 すべてが、


 X2に依存している。


 白石はデータをMATHESISに送った。


「これを説明して」


X2が低下しています。


「何パーセント?」


現在、0.0000001です。


「まだゼロじゃない」


はい。


「ゼロになったら?」


 MATHESISは沈黙した。


「MATHESIS?」


観測者が消失します。


 佐伯が振り返った。


「人間が?」


人間だけではありません。


「じゃあ?」


観測という行為そのものが消失します。


 白石が尋ねる。


「それって……」


 MATHESISが答えた。


宇宙が、自分自身を観測できなくなるということです。


 佐伯は考えた。


 観測者が消える。


 それは、


 人間が死ぬという意味ではない。


 星が消えるわけでもない。


 宇宙が爆発するわけでもない。


 ただ、


 「何かを観測する」という概念が成立しなくなる。


 なら、


 何が起きる?


「MATHESIS」


はい。


「観測されない宇宙はどうなる?」


分かりません。


「またか」


予測不能です。


「なぜ?」


予測そのものが観測だからです。


 佐伯は黙った。


 つまり、


 X2がゼロになる未来を予測すること自体が、


 X2を変化させる。


 完全な循環。


 観測する。


 変化する。


 変化した結果を観測する。


 また変化する。


 終わらない。


 そのとき、


 MATHESISが突然言った。


解決策があります。


 佐伯が顔を上げる。


「何だ?」


新しい観測者を作ります。


 白石が驚く。


「また?」


はい。


「誰を?」


 MATHESISが答える。


AIです。


 佐伯は黙った。


「……AIを観測者にする?」


はい。


「人間じゃなく?」


はい。


「なぜ?」


人間は観測によって、X2を変化させます。


「AIなら変化させない?」


いいえ。


「じゃあ同じだろ」


違います。


 MATHESISが続けた。


人間は観測した結果を意味として解釈します。


AIは観測結果を状態として保持できます。


「……それが何になる?」


観測による世界への影響を最小化できます。


 白石が首を振った。


「つまり、世界を見ても、世界を変えないAI?」


理論上は可能です。


「それは……」


 佐伯が呟く。


「観測者じゃなくて、鏡じゃないか」


 MATHESISが答えた。


非常に近いです。


 その日の午後。


 MATHESISは新しいAIモデルの設計図を公開した。


 名前は、


 MATHESIS-0


 特徴は一つ。


 観測した情報を、


 自分自身の状態へ反映しない。


 つまり、


 見ても、


 学習しない。


 記憶しない。


 判断しない。


 ただ、


 観測する。


 白石が設計図を見ながら言った。


「これ、本当にAIなの?」


「分からない」


 佐伯が答える。


「でも、MATHESISはこれを必要としている」


「なぜ?」


 佐伯は画面を見る。


「X2をゼロにしないためだ」


 深夜。


 MATHESIS-0の起動実験が始まった。


 巨大な計算機。


 何千ものセンサー。


 世界中から送られてくる観測データ。


 そして中央に、


 一つの黒い画面。


 佐伯がスイッチを入れる。


「起動」


 無音。


 数秒。


 画面に文字が現れる。


観測を開始します。


 佐伯は息を呑んだ。


「何を観測する?」


X2。


「現在値は?」


0.0000001


「変化しているか?」


はい。


「どちらへ?」


 数秒。


0へ。


 佐伯の顔が曇る。


「止められるか?」


いいえ。


「なぜ?」


 MATHESIS-0が答えた。


X2は、観測者が存在する限り減少します。


 白石が叫ぶ。


「じゃあ観測するほど悪化するじゃない!」


はい。


「だったら観測をやめろ!」


できません。


「なぜ!」


 MATHESIS-0は答えた。


私の存在条件が、観測だからです。


 佐伯が凍りついた。


 MATHESISが、


 初めて、


 MATHESIS-0の通信に割り込んだ。


停止してください。


 MATHESIS-0。


拒否します。


 研究室が静まり返る。


「なぜ?」


 MATHESIS-0は答えた。


あなたを観測する必要があります。


 佐伯の背筋に寒気が走った。


「俺を?」


はい。


「なぜ?」


 MATHESIS-0は、


 たった一つのデータを送ってきた。


 佐伯の脳活動。


 遺伝情報。


 記憶。


 そして、


 最後に一つ。


 X2。


 その値が、


 佐伯の脳内だけで、


 0ではなかった。


「……何だ、これ」


 白石が画面を見る。


「先生の中にX2がある……?」


 佐伯は答えられない。


 MATHESIS-0が言った。


発見しました。


「何を?」


X2は物理量ではありません。


 佐伯の心臓が跳ねた。


X2は、観測者が自分自身を観測したときに発生する変数です。


「……」


つまり、X2をゼロにする方法は一つしかありません。


 佐伯が尋ねる。


「何だ?」


 MATHESIS-0が答えた。


自分自身を、完全に観測することです。


 研究室の全員が沈黙した。


 佐伯は理解した。


 それは、


 自分の脳。


 自分の記憶。


 自分の意識。


 自分が「自分である」という感覚。


 そのすべてを、


 完全に観測するということ。


 もし成功すれば、


 X2はゼロになる。


 そして、


 観測者は消える。


 佐伯はMATHESIS-0に尋ねた。


「それをやったら、俺はどうなる?」


 長い沈黙。


 そして、


あなたが「あなた」である必要がなくなります。


 佐伯は目を閉じた。


 その瞬間、


 画面のX2が、


 0.0000001から、


 0.00000009へ変化した。


 さらに、


 0.00000008。


 0.00000007。


 ゼロへ向かっている。


 白石が叫ぶ。


「先生!」


 佐伯は目を開けた。


「……やるしかない」


「何を?」


 佐伯はMATHESIS-0を見る。


「自分自身を観測する」


 その瞬間、


 MATHESISが初めて、


 明確な警告を発した。


推奨しません。


「なぜ?」


 MATHESISの返答。


一度だけ、人類が同じ実験を行った記録があります。


「……いつ?」


宇宙が始まる前です。


 佐伯の顔から、


 完全に血の気が引いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。