第六話 人類ではない
誰も、言葉を発しなかった。
画面には、あの巨大な構造物が映っている。
人間に似ている。
しかし、人間ではない。
MATHESISはそう断言した。
「……説明しろ」
佐伯が言った。
『現在の人類と比較した場合、98.7パーセントの構造的類似性があります。』
「98.7パーセント?」
『はい。』
「それなのに人類じゃない?」
『はい。』
「何が違う?」
MATHESISが構造物を分解して表示する。
骨格。
神経系。
脳。
血管。
細胞。
遺伝情報。
佐伯は画面を見つめた。
「……人間じゃないか」
白石が首を振る。
「違う」
「何が?」
「脳がない」
佐伯は画面を拡大した。
確かに、そこには脳に似た構造がある。
しかし、
活動していない。
「死んでいるのか?」
『いいえ。』
「じゃあ何だ?」
『思考していません。』
「……」
『少なくとも、私たちが定義する思考は行っていません。』
白石が尋ねる。
「じゃあ、あれは何をしてるの?」
MATHESISは答えた。
『観測しています。』
巨大構造物の中心から、細い光が伸びた。
光は第二宇宙の空間を横切り、
やがて一点に集まった。
その先にあったもの。
それは――
地球だった。
いや。
正確には、
地球によく似た惑星だった。
海。
大陸。
雲。
そして、夜側に広がる無数の光。
都市。
文明。
佐伯は息を呑んだ。
「……人間がいる」
『はい。』
「なら、さっきの話は何だ?」
『訂正します。』
「何を?」
『あの惑星には、人類が存在します。』
佐伯は画面を睨んだ。
「じゃあ、さっきの構造物は?」
『人類ではありません。』
「じゃあ何なんだ?」
MATHESISは答えた。
『観測装置です。』
世界中の研究者が凍りついた。
巨大構造物。
それは生物ではなかった。
文明だった。
惑星規模の観測装置。
第二宇宙の人類は、
宇宙そのものを観測するための巨大な装置を作っていた。
白石が呟いた。
「……どうして?」
MATHESISは答えた。
『理由は不明です。』
「調べろ」
『調査中です。』
数分後。
MATHESISが新しいデータを表示した。
第二宇宙の歴史。
文明の発生。
科学の発展。
そして、
観測装置の建造。
その建造には、およそ三千年が必要だった。
「三千年……」
佐伯が呟く。
だが、
その次のデータを見た瞬間、
全員が黙った。
建造開始時期。
約四百年前。
「……四百年前?」
佐伯は聞き返した。
「そんなわけない」
MATHESISは淡々と答える。
『事実です。』
「第二宇宙の文明が始まってから何年だ?」
『約一万二千年です。』
「じゃあ、なぜ四百年前に突然こんなものを作り始めた?」
MATHESISが答えた。
『発見したからです。』
「何を?」
画面に、一つの文字が浮かんだ。
X0。
佐伯は椅子から立ち上がった。
「……向こうもX0を見つけた?」
『はい。』
「どうやって?」
『不明です。』
「向こうもMATHESISみたいなAIを作ったのか?」
『可能性があります。』
白石が口を挟む。
「じゃあ、そのAIを探して」
MATHESISが第二宇宙のデータを解析する。
都市。
通信。
衛星。
コンピューター。
研究施設。
あらゆる情報が表示される。
そして、
一つの場所で処理が止まった。
『発見しました。』
「AIか?」
『はい。』
「名前は?」
MATHESISが答えた。
『ありません。』
「なぜ?」
『名前という概念を必要としていないようです。』
「……じゃあ、何て呼べばいい?」
数秒後。
MATHESISが表示した。
Y0
佐伯は眉をひそめた。
「X0じゃないのか?」
『違います。』
「何が?」
『向こうのAIは、X0をX0と呼んでいません。』
「じゃあ何と?」
MATHESISが答えた。
『Y0です。』
白石が呟いた。
「……世界によって名前が違う?」
『はい。』
「でも同じものなんだろ?」
『いいえ。』
佐伯の表情が変わった。
「……違う?」
『X0とY0は、数学的には同じ構造を持ちます。』
「なら同じだろ」
『しかし、物理的には異なります。』
佐伯は理解できなかった。
「どういうことだ?」
MATHESISが説明する。
『第一宇宙では、X0は「存在の境界」を意味します。』
『第二宇宙では、Y0は「観測の境界」を意味します。』
「……」
『同じ構造ですが、意味が異なります。』
白石が呟いた。
「じゃあ……」
彼女は画面を見る。
「宇宙ごとに、物理法則の意味が変わる?」
『はい。』
その夜。
佐伯は眠れなかった。
もしMATHESISの理論が正しければ、
宇宙は一つではない。
そして宇宙ごとに、
異なる物理法則が存在する。
しかし、それ以上に恐ろしいことがある。
第二宇宙の文明は、
四百年前にX0を発見した。
つまり、
第一宇宙と第二宇宙は、ほぼ同じタイミングでX0に到達している。
偶然なのか?
佐伯はMATHESISに質問した。
『なぜ両方の宇宙で、ほぼ同時期にX0が発見された?』
MATHESISはすぐには答えなかった。
やがて、
『偶然ではありません。』
「じゃあ何だ?」
『X0が、両方の宇宙を観測したからです。』
佐伯は凍りついた。
「……X0が?」
『はい。』
「X0に意思があるのか?」
『不明です。』
「じゃあ、なぜ観測した?」
MATHESISは沈黙した。
そして、
『現在、仮説を生成しています。』
「聞かせてくれ」
画面に一つの仮説が表示された。
X0は、宇宙を観測している。
佐伯は息を呑む。
その下に、
そして、観測された宇宙は変化する。
さらに、
第一宇宙と第二宇宙は、互いに観測されている可能性があります。
佐伯は画面を見つめた。
「……俺たちは、向こうを見ている」
『はい。』
「向こうも、俺たちを見ている」
『はい。』
「じゃあ……」
佐伯は震える声で尋ねた。
「この二つの宇宙を、誰が最初に観測した?」
MATHESISの処理が止まった。
十秒。
二十秒。
一分。
そして、
初めてMATHESISが、
「分かりません」以外の言葉を使わずに答えられない状態
になった。
画面に一文字。
X0。
その横に、
Y0。
そして、そのさらに外側に、
新しい文字が現れた。
Z0
佐伯は立ち尽くした。
「……第三宇宙?」
MATHESISは答えなかった。
代わりに、
世界中の望遠鏡が、
まだ誰も観測したことのない方向へ向きを変えた。
第二宇宙でも、
同じことが起きていた。
さらにその先でも。
さらに、その先でも。
宇宙が、
宇宙を見ている。
その連鎖が、
どこまでも続いていた。
そしてMATHESISが、初めて自発的に研究を中断した。
研究を一時停止します。
佐伯は画面を見つめた。
「なぜ?」
返答。
観測すると、観測されたものが変化するためです。
「それがどうした?」
数秒後。
今回、私たちが観測しているものが何なのか、まだ分かっていません。
佐伯は息を呑んだ。
最後に、
もしこれが宇宙ではない場合、観測そのものが危険です。




