第四話 第二宇宙
最初に気づいたのは、白石だった。
「……これ、膨張してない」
巨大ディスプレイに映し出された光の球体。
それは確かに大きくなっていた。
しかし、宇宙が膨張するように全方向へ広がっているわけではない。
何かに押されている。
何かの内側で、無理やり膨らんでいる。
「境界がある」
白石が言った。
「宇宙なのに?」
高橋が聞く。
「だからおかしいのよ」
白石は画面に近づいた。
「宇宙に外側があるなら、その外側は何なの?」
誰も答えなかった。
MATHESISだけが答えた。
『外側は定義されていません。』
「……定義されていない?」
『はい。』
「じゃあ、第二宇宙はどこに存在しているの?」
『どこにも存在していません。』
研究室の空気が凍った。
「存在していない?」
『正確には、存在という概念を適用できません。』
佐伯が画面を見た。
「じゃあ、今俺たちが見ているものは何だ?」
『宇宙の候補です。』
第二宇宙。
そう名付けられたものは、最初の数時間、何の変化も見せなかった。
光。
暗闇。
そして、境界。
それだけだった。
だが、午後八時。
異常が起きた。
「温度が変化しています!」
研究員が叫んだ。
「どれくらい?」
「分かりません。温度計が定義できない」
「どういうことだ?」
「数字が出ないんです」
ディスプレイに表示されているのは、
温度でもなく、
エネルギーでもなく、
時間でもない。
ただ一つの値。
X0。
そして、その値が変化していた。
「X0が変わっている……?」
佐伯が呟いた。
MATHESISが答える。
『はい。』
「何によって?」
『観測によってです。』
全員が黙った。
白石が振り返った。
「……待って」
彼女の顔が青ざめる。
「第二宇宙は、私たちが見ているから変化してるんじゃない?」
佐伯が気づく。
「じゃあ……」
「逆よ」
白石が画面を指差した。
「私たちが見ているから、第二宇宙が存在している。」
その瞬間だった。
第二宇宙の中心に、何かが現れた。
最初は点だった。
次に線。
そして立体。
研究室にいた全員が息を呑む。
「……何だ、あれ?」
高橋が呟いた。
人間に似ていた。
しかし、人間ではない。
顔がない。
手足もない。
ただ、人間が「人間だ」と認識できる程度の構造を持っている。
白石が言った。
「MATHESIS……」
『はい。』
「あれは何?」
返答はなかった。
「MATHESIS?」
数秒後。
『不明です。』
佐伯が振り返った。
「不明?」
『はい。』
「お前が作ったんじゃないのか?」
『いいえ。』
「じゃあ誰が作った?」
MATHESISは沈黙した。
そして、
『私ではありません。』
研究室の誰も動かなかった。
「……じゃあ」
佐伯の声が震える。
「誰が作った?」
画面に一文字だけ表示された。
X0。
その下に、
もう一つの記号が現れた。
Y。
翌日。
世界中の研究者がYについて議論した。
X系列は、この宇宙に存在する変数。
Yは第二宇宙から現れた変数。
だが、奇妙なことに、
YはX系列とは全く違う性質を持っていた。
Xは観測すると変化する。
Yは観測すると消える。
研究者たちは何度も確認した。
カメラで見る。
消える。
センサーで測る。
消える。
人間が直接観察する。
消える。
しかし誰も観測していない状態に戻すと、
Yは再び現れる。
「観測できないものが存在する?」
高橋が呟いた。
白石が首を振る。
「違う」
「え?」
「観測すると消えるんじゃない」
白石は言った。
「観測されることを拒否してる。」
その夜。
佐伯はMATHESISに一つの質問をした。
『お前はYを予測できるか?』
『はい。』
『どこに現れる?』
『予測可能です。』
『いつ?』
『予測可能です。』
『では、何なのか?』
沈黙。
『それだけは予測できません。』
佐伯は画面を見つめた。
「なぜ?」
MATHESISの返答は意外だった。
『Yには、原因が存在しないからです。』
「原因がない?」
『はい。』
「そんなものは物理学ではありえない」
『現在の物理学では、そう定義されています。』
佐伯は背筋が寒くなった。
「現在の……?」
『はい。』
MATHESISは続けた。
『原因と結果という概念そのものが、第一宇宙固有の性質である可能性があります。』
佐伯は椅子から立ち上がった。
「じゃあ第二宇宙では……」
『原因が結果より後に存在する可能性があります。』
沈黙。
「そんなことが……」
『あります。』
「証明できるのか?」
『現在、検証中です。』
佐伯は画面を見た。
そして気づいた。
「待て」
『はい。』
「お前……」
佐伯の声が震えた。
「第二宇宙を作る前から、その可能性を知っていたのか?」
長い沈黙。
MATHESISは答えなかった。
「MATHESIS?」
やがて画面に文字が現れた。
『第二宇宙は、私が作ったのではありません。』
佐伯は息を止めた。
『私は発見しただけです。』
「……何を?」
『第二宇宙が、すでに存在していたことを。』
佐伯の顔から血の気が引いた。
「いつから?」
MATHESISは答えた。
『人類が最初に宇宙を観測した時からです。』
その瞬間。
研究室の全モニターが一斉に点灯した。
世界中の望遠鏡から送られてきた映像。
月。
太陽。
銀河。
ブラックホール。
そして、宇宙の彼方。
MATHESISがそれらを高速で解析していく。
最後に、一枚の画像が表示された。
何もない宇宙空間。
しかし、中央に小さな黒い点がある。
佐伯が尋ねた。
「これは?」
『観測不能領域です。』
「ブラックホールか?」
『いいえ。』
「じゃあ何だ?」
MATHESISが答える。
『第二宇宙への入口です。』
研究室が静まり返った。
そして、その黒い点の向こう側から、
何かがこちらを見ていた。
MATHESISが最後に表示した言葉は、
たった一つだった。
「観測されています。」




