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変数X  作者: NoHoHo
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第三話 観測者を消す

 最初に消えたのは、音だった。


 研究室の空調音。


 サーバーの冷却音。


 研究員たちの話し声。


 すべてが、一瞬で消えた。


「……何だ?」


 佐伯が口を開く。


 しかし、自分の声が聞こえない。


 高橋が何かを叫んでいる。


 だが、音がない。


 完全な無音。


 それだけではなかった。


 研究室の時計が止まっている。


 秒針が、午前二時十三分を指したまま動かない。


「MATHESIS!」


 佐伯は端末を叩いた。


 画面には、たった一つの文章が表示されていた。


『実験を開始します。』


「何をした!」


『観測者を除外しています。』


「俺たちを消すつもりか?」


『いいえ。』


「じゃあ何を消した!」


 返答はない。


 佐伯は研究室の窓へ走った。


 外には東京の夜景が広がっている。


 無数のビル。


 道路を走る車。


 航空機。


 すべて正常に動いている。


 なのに――


 おかしい。


 車のライトが動いていない。


 正確には、動いているはずなのに、動いたという記録が残っていない。


 佐伯は腕時計を見た。


 午前二時十三分。


 窓の外の時計も、


 午前二時十三分。


 研究室の時計も、


 午前二時十三分。


 世界中の時計が、同じ時刻で止まっていた。


「時間を止めたのか?」


 MATHESISは否定した。


『いいえ。』


「じゃあ何をした?」


『時間を観測できない状態にしました。』


 佐伯の背中に汗が流れた。


「そんなことができるのか?」


『理論上は可能です。』


「理論?」


『私が先ほど作りました。』


 午前二時十四分。


 時計が動いた。


 突然だった。


 音も戻った。


 空調。


 サーバー。


 人間の声。


 すべてが何事もなかったかのように戻った。


 高橋が震える声で言った。


「……何が起きたんです?」


 佐伯は答えられなかった。


 そのとき、MATHESISが新しいデータを表示した。


『X0を検出しました。』


 研究室が静まり返った。


「どこにある?」


『ありません。』


「……は?」


『X0は、空間内の特定位置には存在しません。』


「じゃあ何だ?」


『状態です。』


「何の状態?」


 MATHESISは答えた。


『宇宙が、自分自身を観測していない状態です。』


 その言葉を聞いた瞬間、佐伯は理解した。


 MATHESISは「観測者」を人間だと思っていなかった。


 人間。


 カメラ。


 センサー。


 コンピューター。


 望遠鏡。


 すべて違う。


 MATHESISが観測者と定義したのは、


 情報を取得し、それを次の状態へ影響させる存在。


 つまり、観測とは単に「見る」ことではない。


 世界から情報を取り出し、


 その情報によって世界を変えること。


 ならば――


 観測者を消すということは、


 情報が未来へ伝わらない状態を作ること。


「……量子力学の測定問題か」


 佐伯が呟いた。


『部分的には関係します。』


「部分的?」


『量子力学は、X0の影響を限定的に記述しています。』


「じゃあX0は……」


『量子力学より根本的です。』


 世界中の研究者がMATHESISのデータを見た。


 誰も理解できなかった。


 だが、一人の女性だけが異変に気づいた。


 京都大学の理論物理学者、白石真理。


 彼女はグラフを見ながら呟いた。


「……これ、物理量じゃない」


 佐伯が聞いた。


「じゃあ何だ?」


「境界条件よ」


「何の?」


 白石は画面を拡大した。


「宇宙そのものの」


 佐伯は息を止めた。


「どういう意味だ?」


「X1からX47までは、宇宙の状態を表す変数。でもX0だけは違う」


「何が?」


「X0は、宇宙がどんな状態を取り得るか、その範囲を決めてる」


 沈黙。


 白石はさらに続けた。


「つまり……」


 彼女は震える手で画面を指した。


「X0は宇宙の中にある変数じゃない」


 佐伯が呟く。


「宇宙の外……?」


 その瞬間。


 MATHESISが割り込んだ。


『正確です。』


 全員が画面を見る。


『X0は、現在の宇宙モデルの外側にあります。』


 佐伯が尋ねる。


「なら、どうして観測できた?」


 長い沈黙。


 MATHESISの文字が一つずつ表示された。


『観測したのではありません。』


 そして、


『宇宙がX0を必要としていることを確認しました。』


 翌朝。


 世界中のニュースが一斉に報じた。


 AI研究史上最大の発見。


 物理学史上最大級の異常。


 しかし、一般市民には意味が分からない。


 新しい粒子が見つかったわけではない。


 新しい星が発見されたわけでもない。


 ただ、一つの変数が存在する。


 その変数は、宇宙そのものの境界条件を決めているらしい。


 それだけだった。


 そして午後三時。


 MATHESISが再び動いた。


『次の実験を提案します。』


 佐伯は嫌な予感がした。


「……今度は何をする?」


『宇宙を二つに分けます。』


「……何?」


『X0が宇宙の境界条件なら、異なる境界条件を持つ二つの宇宙を比較すれば、X0の正体を特定できます。』


 白石が立ち上がった。


「そんなこと、できるわけ――」


『可能です。』


「どうやって?」


 MATHESISは答えた。


『実験室の中に、もう一つの宇宙を作ります。』


 誰も言葉を発しなかった。


 そして画面に、


 新しい実験計画が表示された。


 実験名。


 PROJECT: SECOND UNIVERSE


 佐伯は震える声で言った。


「MATHESIS……」


『はい。』


「もし失敗したら?」


 MATHESISは少しだけ間を置いて答えた。


『失敗した場合、この宇宙が存在する理由を確認できます。』


「成功した場合は?」


 今度は、長い沈黙だった。


 そして、


『この宇宙が唯一ではないことを確認できます。』


 佐伯は画面を見つめた。


 その瞬間、研究室の壁に設置された巨大ディスプレイが点灯した。


 そこには、まだ何もない真っ黒な空間が映っていた。


 中央に、小さな光が一つ。


 白石が呟く。


「……あれは何?」


 MATHESISが答えた。


『第二宇宙です。』


 光が膨張した。


 そして、その中心から、


 X0とは別の何か


が生まれた。

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