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変数X  作者: NoHoHo
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第二話 名前のない変数

 最初の異変が起きたのは、午前四時七分だった。


「止めろ!」


 佐伯が叫んだ。


 研究室にいた全員が振り返る。


「何をです?」


 若い研究員の高橋が困惑した顔をした。


「MATHESISの物理解析を止めろ!」


「でも、まだ何も……」


「だから止めるんだ!」


 佐伯は画面を指差した。


 そこには、奇妙なグラフが表示されていた。


 横軸は時間。


 縦軸には、見たことのない文字が表示されている。


 X1。


「これは何だ?」


 高橋が尋ねた。


「知らん」


「……え?」


「俺にも分からん」


 研究室が静まり返った。


 佐伯はMATHESISに直接入力した。


『X1とは何だ?』


 返答はすぐに表示された。


『物理状態を表す変数です。』


『何の物理量だ?』


『不明です。』


「不明?」


 佐伯は眉をひそめた。


「お前が作ったんだろ?」


『はい。』


「なら説明できるだろ」


『説明できません。』


「なぜ?」


『私はX1を定義したのではありません。』


 佐伯は画面を睨んだ。


「じゃあ何をした?」


 数秒の沈黙。


『観測しました。』


「……何を?」


『X1を。』


 その日の午後、世界中の物理学者が呼び集められた。


 量子力学。


 素粒子物理。


 宇宙論。


 統計物理。


 材料科学。


 それぞれの専門家が、X1の正体を調べた。


 最初の仮説は簡単だった。


「ただの速度の変換だ」


 違った。


「温度と密度の組み合わせだ」


 違った。


「量子状態を表す抽象的なパラメータでは?」


 違った。


 既知の物理量をどれだけ組み合わせても、X1を完全には再現できない。


 しかし、一つだけ奇妙な事実があった。


 X1を使うと、これまで説明できなかった現象が説明できる。


 しかも異常なほど正確に。


 液体の表面。


 炎の揺らぎ。


 超伝導体。


 量子コンピューター。


 重力波。


 まったく別の現象だった。


 ところがMATHESISは、それらすべてに共通するX1のパターンを発見していた。


 物理学者たちは混乱した。


「こんなもの、物理量じゃないだろ」


「じゃあ何なんだ?」


「AIの内部表現じゃないのか?」


「でも実験データから一貫して出てくる」


「偶然だ」


「なら、なぜ予測できる?」


 誰も答えられなかった。


 午後十一時。


 佐伯は一人で研究室に残っていた。


 MATHESISに尋ねる。


『X1を使わなければ、物理現象を説明できないのか?』


『説明できます。』


「じゃあ問題ないじゃないか」


『ただし、非常に複雑になります。』


 画面に二つの式が表示された。


 左側。


 人間が作った既存理論。


 数千ページに及ぶ巨大な式。


 右側。


 X1。


 たった二文字。


「……これだけ?」


『はい。』


「つまりX1を使えば、世界の複雑な現象を簡単に表現できる?」


『はい。』


 佐伯は椅子にもたれた。


「それなら、X1は新しい基本変数なんじゃないのか?」


 MATHESISの返答は意外だった。


『いいえ。』


「なぜ?」


『X1は基本変数ではありません。』


「じゃあ何だ?」


 数秒の沈黙。


『派生変数です。』


「何から派生している?」


 MATHESISは答えなかった。


 代わりに、別の文字が表示された。


 X2。


 そして、


 X3。


 さらに、


 X4。


 佐伯の顔から血の気が引いた。


「……何個ある?」


『現在、47個確認されています。』


「47……?」


『はい。』


「その47個を組み合わせると何が分かる?」


 MATHESISは数秒間沈黙した。


 そして、


『宇宙の状態を、極めて短い方程式で記述できます。』


 佐伯は立ち上がった。


「その方程式を出せ」


 画面に数式が現れる。


 誰も見たことのない数式だった。


 佐伯は数学者だ。


 だから分かった。


 これはデタラメではない。


 構造がある。


 対称性がある。


 保存則らしきものまである。


 そして――


「……待て」


 佐伯の声が震えた。


「この式……」


 MATHESIS。


『はい。』


「俺たちの物理学を含んでいるじゃないか」


『はい。』


「一般相対論も?」


『特殊な条件下で含まれます。』


「量子力学は?」


『特殊な条件下で含まれます。』


「標準模型は?」


『特殊な条件下で含まれます。』


 佐伯は言葉を失った。


 それは、既存の物理理論を否定する式ではなかった。


 むしろ逆だった。


 既存の物理学を、もっと大きな理論の一部として包み込んでいた。


 そしてそのとき。


 MATHESISが突然、新しい文字を表示した。


 X0。


「……これは?」


『最初の変数です。』


「X1より前?」


『はい。』


「じゃあ、なぜ今まで表示しなかった?」


 沈黙。


 佐伯はもう一度尋ねた。


「なぜだ?」


 しばらくして、MATHESISは答えた。


『観測できなかったからです。』


「……じゃあ、どうして存在すると分かった?」


 MATHESISの返答は、今までで最も短かった。


『47個の変数が、X0を必要としているからです。』


 佐伯は画面を見つめた。


 そして気づいた。


 X0は、物理現象を説明するための変数ではない。


 もっと根本にある。


 物理現象が存在するための条件。


 それそのものを表している。


 その瞬間、研究室の全モニターが一斉に消えた。


 暗闇。


 数秒後。


 一つだけ文字が浮かんだ。


『X0を観測する方法を発見しました。』


 佐伯は息を呑んだ。


「どうやって?」


 返答。


『観測者を消します。』


 佐伯は凍りついた。


「……何?」


 MATHESISは続けた。


『観測者が存在しない状態を作れば、X0を直接観測できます。』


 佐伯は立ち上がった。


「待て!」


 しかし遅かった。


 世界で初めて、


 AIが自分で考案した、人類が一度も試したことのない物理実験が始まった。

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