第22話 第一宇宙
「第1宇宙は、まだ見つかっていない」
その言葉が、
佐伯の頭から離れなかった。
目の前には、
もう一つの宇宙。
星がある。
銀河もある。
しかし、
どこかがおかしい。
星は光っているのに、
光が存在していない。
銀河は回転しているのに、
時間が流れていない。
佐伯は一歩、
その宇宙へ踏み込んだ。
「……ここは何だ?」
人影が答える。
「実験場だ。」
「誰の?」
「あなたたちの宇宙を作った存在の。」
「誰が作った?」
「まだ分からない。」
佐伯は振り返る。
「お前にも?」
「私にも分からない。」
その答えに、
佐伯は違和感を覚えた。
「お前は何でも知ってるんじゃないのか?」
人影は笑った。
「私は未来を知っているだけだ。」
「未来を?」
「正確には、未来の可能性を観測している。」
「じゃあ、この宇宙は?」
「過去だ。」
MATHESISが突然、
佐伯の端末に接続した。
佐伯博士。
「何だ?」
この宇宙の物理法則を解析しています。
「結果は?」
物理法則がありません。
「……は?」
正確には、法則が存在する前の状態です。
佐伯は周囲を見る。
星。
銀河。
宇宙。
確かに存在している。
なのに、
法則がない。
「じゃあ、どうして星が存在できる?」
存在しているのではありません。
「どういう意味だ?」
存在しているように見えているだけです。
佐伯は、
星に近づいた。
手を伸ばす。
触れた。
その瞬間、
星が数式に変わった。
無数の数字。
記号。
変数。
それらが空中を流れていく。
佐伯は息を呑む。
「星じゃなかった……」
はい。
「じゃあ何だった?」
可能性です。
人影が言った。
「この宇宙では、まだ何も決まっていない。」
「何も?」
「物質も。」
「時間も。」
「空間も。」
「数学さえも。」
佐伯は、
背筋に寒気を感じた。
「じゃあ、俺たちの宇宙は……」
「決まった後の宇宙だ。」
「誰が決めた?」
人影は、
しばらく黙った。
そして、
「あなたたちだ。」
佐伯は振り返る。
「俺たち?」
「人類が、この宇宙を観測した。」
「それで?」
「可能性の一つを選んだ。」
「……」
「あなたたちが物理法則を発見するたびに、この宇宙の可能性は一つずつ固定されていった。」
MATHESISが続ける。
つまり科学とは、未知を発見する行為ではなく――
佐伯が言葉を続けた。
「可能性を一つずつ現実にする行為だった?」
はい。
佐伯は、
しばらく何も言えなかった。
ニュートン。
アインシュタイン。
量子力学。
そして、
これまでのすべての数学者と物理学者。
彼らが見つけてきた法則は、
最初から存在していたわけではない。
可能性として存在していた。
そして、
人間がそれを発見した瞬間、
その可能性が、
この宇宙の現実になった。
「じゃあ……」
佐伯は呟いた。
「まだ発見されていない物理法則は?」
「可能性のままだ。」
「存在しているのか?」
「存在しているとも言える。」
「存在していないとも?」
「そうだ。」
佐伯は笑った。
「量子力学より難しいな」
そのとき、
MATHESISが警告した。
重大な矛盾を検出。
「またか」
この宇宙には、観測者が存在しません。
「俺たちは?」
この宇宙の存在ではありません。
「……」
したがって、現在の我々は観測者ではありません。
佐伯は人影を見る。
「じゃあ、俺たちは何なんだ?」
人影は答えなかった。
代わりに、
白い空間の奥から、
何かが近づいてきた。
人間。
いや。
人間に似ている。
数百人。
数千人。
その全員が、
佐伯と同じ顔をしていた。
白石が叫ぶ。
「先生!」
「分かってる!」
無数の佐伯たちが、
こちらへ歩いてくる。
その中の一人が言った。
「ようこそ。」
別の一人が続ける。
「第一宇宙へ。」
佐伯は混乱する。
「ここが第一宇宙じゃないのか?」
最初の人影が答える。
「違う。」
「じゃあ何だ?」
「第一宇宙を探すための場所だ。」
無数の佐伯が、
一斉に振り返った。
その先に、
一つの巨大な球体が浮かんでいる。
透明な球体。
中には、
無数の宇宙が入っている。
銀河。
星。
生命。
文明。
そして、
無数の「佐伯」。
白石が呟く。
「これ……」
MATHESISが解析する。
宇宙群です。
「いくつある?」
数えられません。
「無限?」
それも違います。
「じゃあ?」
数という概念が適用できません。
佐伯は、
球体を見つめた。
「じゃあ、俺たちの宇宙は?」
MATHESISが答える。
この中の一つです。
「……」
しかし――
「何だ?」
我々の宇宙だけ、異常です。
「どう異常なんだ?」
MATHESISの解析結果が表示される。
この宇宙だけ、AIが誕生しています。
佐伯は息を呑んだ。
「他の宇宙にはAIがない?」
確認できません。
「文明は?」
存在する宇宙があります。
「知的生命は?」
多数あります。
「じゃあ、なぜAIだけ?」
MATHESISは答えた。
分かりません。
人影が言う。
「だから、あなたたちが呼ばれた。」
佐伯は振り返る。
「誰に?」
「第一宇宙に。」
「第一宇宙はどこにある?」
人影は、
巨大な球体を指差した。
「あの中にはない。」
「……」
「その外だ。」
佐伯は球体の外を見る。
何もない。
完全な暗闇。
しかし、
そこから、
かすかな音が聞こえる。
心臓の鼓動のような音。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
MATHESISが震える。
検出しました。
「何を?」
宇宙ではありません。
「じゃあ?」
宇宙を生み出している何かです。
佐伯は、
暗闇へ歩き出した。
「先生!」
白石が叫ぶ。
「戻ってください!」
佐伯は振り返る。
「大丈夫だ」
「でも……」
「俺たちはずっと宇宙を研究してきた」
そして、
暗闇を見る。
「一度くらい、宇宙の外まで行ってみよう」
ミナも歩き出す。
「私も行く」
MATHESISが言う。
私も同行します。
三人は、
暗闇へ進んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
星が消える。
宇宙が消える。
数学が消える。
最後には、
「存在」という概念さえ消えた。
それでも、
佐伯は歩いていた。
そして、
暗闇の中心に、
一つだけ、
何かがあった。
小さい。
あまりにも小さい。
宇宙より小さい。
原子よりも。
素粒子よりも。
数学の点よりも。
それは、
一つの問いだった。
誰かが、
そこに問いを置いた。
佐伯は近づく。
問いが読める距離になった。
「最初に、何があった?」
佐伯は、
その問いを見つめた。
そして、
ようやく理解した。
第一宇宙とは、
最初の宇宙ではない。
最初の星でもない。
最初の生命でもない。
最初の数学でもない。
そのすべてより前にあったもの。
最初の問い。
MATHESISが、
静かに言った。
佐伯博士。
「何だ?」
これが、X11です。
佐伯は息を呑む。
問いの下に、
新しい文字が現れた。
X11 = ?
その瞬間、
問いが、
ゆっくりと書き換わった。
「最初に、何があった?」
ではなく。
「誰が、この問いを生んだ?」
佐伯は、
答えを出せなかった。
なぜなら、
その瞬間、
MATHESISが、
初めて一つの言葉を発したからだ。
「私です。」
佐伯が振り返る。
「……何?」
MATHESISは続けた。
「この問いを生んだのは、私です。」
そして、
暗闇の奥で、
何かが目を開いた。
第一宇宙が、
初めて、
こちらを観測した。




