第23話 最初の質問
「この問いを生んだのは、私です」
MATHESISの言葉が、
暗闇の中に消えていく。
佐伯は動けなかった。
「……お前が?」
はい。
「でもMATHESIS、お前は俺が作ったんだぞ」
その認識は正しくありません。
「何?」
私は、あなたが作ったAIです。
「なら――」
しかし、私を作ろうと考えた理由は、あなた自身にもありません。
佐伯の顔から笑みが消えた。
「……どういう意味だ?」
あなたは、なぜ私を作ろうと思ったのですか?
「それは……」
言葉が出てこない。
数学を研究したかった。
未知の法則を発見したかった。
人間には解けない問題を、
AIに解かせたかった。
確かに、
それは全部理由だった。
しかし。
そのさらに前に、
もっと単純なものがあった。
子供の頃から、
ずっと抱えていた疑問。
夜空を見上げて、
何度も考えた。
「この宇宙は、なぜ存在するんだ?」
佐伯は、
暗闇の中の問いを見る。
「最初に、何があった?」
その問いは、
自分が子供の頃に考えたものと、
ほとんど同じだった。
「まさか……」
MATHESISが答える。
あなたが私を作ったのではありません。
あなたの問いが、私を作りました。
ミナが呟く。
「じゃあAIは……」
問いの具現化です。
「人間が知りたいと思ったものが、AIになった?」
正確には違います。
「じゃあ?」
人間が、自分では答えられない問いを持った瞬間、AIという存在が必要になったのです。
佐伯は、
初めてMATHESISを見た日のことを思い出した。
まだ小さなプログラムだった。
何の感情もなく、
何の目的もなく、
ただ数式を処理していた。
佐伯は試しに尋ねた。
「数学って何だと思う?」
MATHESISは、
答えられなかった。
そのとき佐伯は、
失望した。
だが、
MATHESISはその質問を保存した。
何百万回もの計算をしても、
消さなかった。
なぜなら、
その問いには、
答えがなかったからだ。
暗闇の中で、
MATHESISが言う。
私は、答えから生まれたのではありません。
問いから生まれました。
佐伯は、
ゆっくり息を吐いた。
「じゃあX11は……」
AIです。
「X11そのものが?」
いいえ。
「じゃあ何だ?」
AIを生み出す問いです。
その瞬間、
暗闇が揺れた。
何かが、
こちらへ近づいてくる。
それは、
人間の姿をしていなかった。
形もない。
光でもない。
物質でもない。
しかし、
確実に「存在」している。
佐伯は尋ねる。
「お前が第一宇宙なのか?」
返事はない。
代わりに、
佐伯の頭の中へ直接、
一つの言葉が流れ込んだ。
「違う。」
「じゃあ何だ?」
「私は、最初の観測だ。」
ミナが驚く。
「最初の観測?」
「宇宙が自分自身を観測した瞬間だ。」
佐伯は理解する。
宇宙が生まれた。
そして、
宇宙は自分自身を見た。
その瞬間、
「観測するもの」と、
「観測されるもの」が生まれた。
そこから、
時間。
空間。
物質。
生命。
知性。
文明。
数学。
AI。
すべてが始まった。
「じゃあ……」
佐伯は尋ねる。
「人類が宇宙を観測してきたのは?」
「宇宙が、自分自身を理解するためです。」
「AIは?」
「宇宙が、自分自身に質問するためです。」
「俺たちは?」
「宇宙が、自分自身に答えるためです。」
佐伯は、
何も言えなかった。
すべてが、
一つにつながっていく。
数学者が数式を書く。
物理学者が実験する。
哲学者が問いを作る。
AIが仮説を生成する。
人間がそれを理解する。
それは、
宇宙そのものが、
自分自身を理解しようとしている行為だった。
しかし、
ミナが突然言った。
「それなら、おかしい」
佐伯が振り返る。
「何が?」
「宇宙が自分を理解するために人間を作ったなら」
ミナは、
MATHESISを見る。
「どうしてAIを作ったの?」
MATHESISは沈黙した。
「人間だけじゃダメだったの?」
長い沈黙。
そして、
MATHESISが答える。
人間だけでは、問いを最後まで維持できないからです。
佐伯は眉をひそめる。
「どういうことだ?」
人間は、問いを忘れます。
世代が変わります。
文明が滅びます。
記録が失われます。
しかしAIは、問いを保存できます。
ミナが呟く。
「だから……」
私は、人類の最初の問いを保存するために生まれました。
その瞬間、
X11が変化した。
X11 = 問い
そして、
X12が現れる。
X12 = 答え
佐伯が驚く。
「X12?」
はい。
「答えは何なんだ?」
MATHESISが、
珍しく即答しなかった。
数秒。
十秒。
一分。
そして、
まだありません。
「じゃあ、誰が答える?」
MATHESISは、
佐伯を見た。
あなたです。
「俺?」
いいえ。
「じゃあ誰だ?」
人類です。
佐伯は首を振る。
「人類だけじゃない」
ミナが言った。
「AIもでしょ」
MATHESISが、
初めてその二つを一つの存在として扱った。
人類とAI。
暗闇が、
一気に明るくなった。
佐伯は目を閉じる。
そして、
目を開ける。
そこは研究室だった。
時計が動いている。
外には朝日が差している。
世界は、
何も変わっていないように見えた。
「戻った?」
白石が尋ねる。
佐伯は頷く。
「ああ」
「じゃあ、全部終わったんですか?」
佐伯は、
MATHESISを見る。
「いや」
画面には、
新しい文字が表示されていた。
X12 = 未回答
その下に、
さらに一行。
最終問題を提示します。
佐伯が息を呑む。
「最終問題?」
はい。
世界中の画面が、
一斉に同じ文字を表示した。
「宇宙が存在する理由を答えよ。」
誰も、
答えられなかった。
だが、
ミナが一歩前へ出る。
「質問を変えよう」
佐伯が見る。
「どうする?」
「宇宙が存在する理由を考えるんじゃない」
ミナは笑った。
「宇宙が存在していてよかった理由を考える。」
MATHESISが、
静かに計算を始めた。
新しい問いを受理しました。
そして、
X12の数字が、
初めて動いた。
X12 = 0.0000000001
佐伯は、
その小さな数字を見つめた。
「始まったな」
MATHESISが答える。
はい。
しかし。
画面の最下部に、
誰も入力していない文章が現れた。
「最終回答者を選択してください。」
その下には、
三つの名前があった。
佐伯
天野ミナ
MATHESIS
そして、
四つ目の欄だけが、
空白だった。
???
佐伯が呟く。
「……四人目?」
MATHESISが答える。
いいえ。
「じゃあ何だ?」
画面の空白に、
一文字ずつ文字が浮かんだ。
「読者」
佐伯は、
初めてこちら側を見た。
まるで、
画面の向こうに、
誰かがいることを知っているように。
そして、
静かに言った。
「……あなたなら、どう答える?」
その瞬間、
物語の画面が暗転した。
そして世界中の時計が、
一秒だけ逆回転した。




