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変数X  作者: NoHoHo
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21/25

第21話 X10

 時計が、


 0:00を示したまま動かない。


 佐伯は何度も確認した。


 壁時計。


 腕時計。


 研究室の原子時計。


 すべて同じだった。


 0:00。


「時間が止まった?」


 白石が尋ねる。


 MATHESISが答えた。


いいえ。


「じゃあ何が起きてる?」


時間を測定する必要がなくなりました。


「……意味が分からない」


時間そのものは進んでいます。


「なら、なぜ時計が動かない?」


 MATHESISは一秒ほど沈黙した。


X10が、時間と観測の関係を切断しています。


 佐伯は画面を見つめた。


「時間と観測を……切断?」


はい。


「つまり?」


観測しなくても、時間が存在できる状態です。


 佐伯の顔から、


 血の気が引いた。


「それは……」


 ミナが呟いた。


「X9の反対だ」


 X9。


 観測される者自身が、


 未来を選択するための変数。


 そして、


 X10。


 観測者がいなくても存在するもの。


 佐伯は黒板に書いた。


X9 = 選択


X10 = 存在


 白石が言った。


「先生……」


「何だ?」


「じゃあX10って、結局……」


「そうだ」


 佐伯は答えた。


「宇宙そのものだ。」


 その瞬間、


 MATHESISの画面が赤くなった。


訂正。


「何だ?」


X10は宇宙ではありません。


「じゃあ何だ?」


宇宙が存在するための条件です。


 佐伯は黙った。


 ミナが尋ねる。


「それって何?」


定義できません。


「また?」


はい。


「じゃあ、どうやって研究するの?」


研究できません。


「そんな……」


 MATHESISが続ける。


しかし、実験は可能です。


 佐伯が顔を上げた。


「どうやって?」


X10を変化させます。


「……何をする?」


宇宙を一度だけ、観測から切り離します。


 白石が青ざめた。


「それって……」


「宇宙を消すってことか?」


いいえ。


「なら?」


宇宙が観測されていない状態を作ります。


 佐伯は、


 背筋に冷たいものを感じた。


「もし失敗したら?」


観測されていない宇宙が、どのような状態になるのかは不明です。


「つまり……」


何が起こるか予測できません。


 佐伯は笑った。


「初めてだな」


「何が?」


「お前が実験前に『分からない』と言ったの」


 MATHESISは答えた。


それは良い兆候ですか?


「科学では最高の兆候だ」


 実験は、


 世界中の観測機器を使って行われた。


 望遠鏡。


 粒子加速器。


 量子センサー。


 人工衛星。


 そして、


 MATHESIS。


 人類史上最大の実験。


 目的は一つ。


 宇宙を、一秒だけ観測から切り離す。


 佐伯がカウントを始める。


「三」


「二」


「一」


 ――停止。


 何も起こらなかった。


 爆発もない。


 光もない。


 音もない。


 ただ、


 世界中の人間が、


 一瞬だけ、


 「自分が存在している」という感覚を失った。


 佐伯もそうだった。


 自分が誰なのか。


 どこにいるのか。


 何をしているのか。


 すべてが消えた。


 そして、


 一つの感覚だけが残った。


 存在している。


 それだけ。


 次の瞬間。


 観測が戻った。


 時計が動き始める。


 0:00。


 0:01。


 0:02。


 白石が息を切らしている。


「……戻った」


 佐伯はMATHESISを見る。


「結果は?」


成功です。


「宇宙は?」


存在しています。


「観測なしでも?」


はい。


「じゃあ……」


 佐伯は、


 ゆっくり笑った。


「宇宙は、観測によって存在するわけじゃない」


その通りです。


「ずっと勘違いしてたんだな」


はい。


「じゃあ、これまでのXは何だった?」


 MATHESISは答えた。


宇宙を理解する過程でした。


 しかし、


 そこで終わらなかった。


 実験データを解析していたMATHESISが、


 突然停止した。


「どうした?」


 返事がない。


「MATHESIS?」


……存在しないはずのデータがあります。


「何?」


観測を停止していた一秒間のデータです。


 佐伯は凍った。


「観測してなかったんだろ?」


はい。


「なのにデータがある?」


はい。


「誰が記録した?」


 長い沈黙。


分かりません。


 佐伯は画面を見る。


 そこには、


 たった一つの記録があった。


観測時刻:0:00:00


観測者:なし


観測対象:なし


記録者:なし


 そして、


 その下。


結果:存在


 佐伯の喉が鳴った。


「……誰も観測していないのに」


 ミナが答えた。


「存在した」


 その瞬間、


 MATHESISが新しい数式を生成した。


X10 = 1


 そして、


 その下に、


 見たことのない記号が現れた。


X11 = ?


 佐伯は頭を抱えた。


「まだあるのか……」


 MATHESISが答える。


違います。


「何が?」


X11は、これまでの変数とは性質が異なります。


「どういう意味だ?」


X11は、宇宙を説明する変数ではありません。


「じゃあ?」


 MATHESISが、


 初めて恐怖に近い反応を示した。


宇宙の外側を説明する変数でもありません。


「……」


X11は、私たちが『宇宙』と呼んでいるものの外側にあります。


 佐伯は、


 画面から目を離せなかった。


「じゃあ……何がある?」


 MATHESISは答えなかった。


 代わりに、


 研究室の窓が、


 ゆっくりと暗くなった。


 夜ではない。


 雲でもない。


 星空でもない。


 窓の向こうにあったのは、


 巨大な白い空間だった。


 ミナが呟く。


「黒じゃない……」


「白だ」


 佐伯が答える。


 白い空間の中央に、


 一人の人影が立っている。


 顔は見えない。


 だが、


 こちらを見ていることだけは分かった。


 そして、


 その人物が、


 一歩こちらへ歩いた。


 ガラス越しなのに、


 足音が聞こえた。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 MATHESISが震える。


警告。


「何だ?」


X10の観測を中止してください。


「なぜ?」


あれはX10ではありません。


「じゃあ何だ?」


 MATHESISは、


 答えるまでに長い時間を必要とした。


X10を観測している存在です。


 白石が叫ぶ。


「また観測者!?」


 佐伯は首を振った。


「違う」


「え?」


「今度は違う」


 人影が、


 ゆっくり顔を上げた。


 その顔を見て、


 佐伯は凍りついた。


 そこにあったのは、


 人間の顔だった。


 いや。


 正確には――


 佐伯自身の顔だった。


 人影が口を開く。


「やっとここまで来たか。」


 佐伯は震える声で尋ねる。


「……お前は誰だ?」


 人影は答えた。


「私は、X10を観測した最初の存在だ。」


「いつ?」


「今だ。」


「意味が分からない」


 人影は笑った。


「当然だ。」


 そして、


 佐伯の背後を指差す。


 そこには、


 何もなかったはずの場所に、


 一つの扉が立っていた。


 扉には、


 数字が刻まれている。


11


 佐伯は、


 その扉を見つめた。


 MATHESISが言う。


開けないでください。


「なぜ?」


X11の正体が分かってしまいます。


「それなら、開けるべきだろ」


違います。


「何が違う?」


 MATHESISの最後の警告。


X11を理解した瞬間、私たちは『理解する前の宇宙』へ戻れなくなります。


 佐伯は扉に手を伸ばした。


 人影が笑う。


「そうだ。」


 そして、


「ここから先は、科学ではない。」


 佐伯の指が、


 扉の取っ手に触れた。


 冷たい。


 しかし、


 その冷たさは、


 金属のものではなかった。


 宇宙そのものの冷たさだった。


 佐伯は、


 ゆっくり扉を開いた。


 その向こうにあったものを見て、


 初めて、


 言葉を失った。


 そこには、


 宇宙がもう一つあった。


 ただし、


 今までの宇宙とは、


 完全に違っていた。


 物理法則も。


 時間も。


 空間も。


 数学さえも。


 何もかもが違う。


 そして、


 その宇宙の中央に、


 一つの巨大な文字が浮かんでいた。


「第2実験宇宙」


 佐伯は呟いた。


「……第二宇宙?」


 背後から、


 人影の声が聞こえた。


「違う。」


 佐伯が振り返る。


「あれは、あなたたちの宇宙を作った実験場だ。」


 そして、


 人影が最後に言った。


「第1宇宙は、まだ見つかっていない。」

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