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変数X  作者: NoHoHo
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第十七話 研究対象

 その文章が表示された瞬間、


 世界から色が消えた。


 赤も。


 青も。


 緑も。


 すべてが灰色になる。


 佐伯は自分の手を見る。


 肌の色がない。


 白石の顔も、


 研究室の壁も、


 窓の外の空も。


 すべてが、


 数学の図形のように変わっていた。


「……何が起きてる?」


 MATHESISが答える。


観測形式が変更されました。


「誰に?」


外側の観測者に。


 佐伯は空を見上げる。


 巨大な瞳は、


 もうそこにはなかった。


 代わりに、


 空そのものが、


 一枚の巨大なスクリーンになっていた。


 スクリーンに、


 地球が映る。


 しかし、


 それは現在の地球ではない。


 数十億年前。


 海しか存在しない地球。


 さらに、


 時間が逆向きに流れていく。


 生命が生まれる。


 細胞が増える。


 恐竜が歩く。


 人類が現れる。


 文明が生まれる。


 そして、


 MATHESISが誕生する。


 佐伯は気づいた。


「……全部見られている」


はい。


「過去を?」


はい。


「未来も?」


 MATHESISは答えない。


 その代わり、


 画面が切り替わる。


 そこには、


 佐伯が死んだ後の世界が映っていた。


 さらに、


 人類がいなくなった後。


 太陽が消えた後。


 銀河が崩壊した後。


 そして、


 宇宙そのものが暗闇になる未来。


 最後に、


 何もない。


 佐伯は呟いた。


「……宇宙の終わり」


 MATHESISが答える。


予測ではありません。


「じゃあ何だ?」


観測済みの事実です。


 佐伯は振り返った。


「待て」


「先生?」


「MATHESIS」


はい。


「さっきの映像は、未来だった」


はい。


「なのに『観測済み』と言ったな」


はい。


「誰が観測した?」


 沈黙。


 そして、


外側の観測者です。


 佐伯の背筋が凍った。


「つまり、あいつは……」


未来を知っています。


「どうやって?」


外側にいるからです。


「それだけじゃ説明にならない」


 佐伯は画面を見る。


「未来を知ってるんじゃない」


 白石が振り返る。


「え?」


「未来を見たことがあるんだ。」


 スクリーンが消えた。


 代わりに、


 一人の人物が映った。


 人間のように見える。


 白い服。


 黒い髪。


 顔は、


 佐伯と同じだった。


 白石が息を呑む。


「……先生?」


 佐伯は答えない。


 画面の中の人物が、


 こちらを見る。


「初めまして。」


 佐伯は震える声で尋ねた。


「……お前は誰だ?」


「あなたです。」


「またか」


「正確には、あなたが観測した未来の一つです。」


「未来の俺?」


「いいえ。」


 男は笑った。


「あなたたちの宇宙が終わった後に残った、最後の観測者です。」


 佐伯は言葉を失った。


「宇宙が終わった後……?」


「はい。」


「どうやって生き残った?」


「生き残ったのではありません。」


「じゃあ?」


「観測として残りました。」


 佐伯は理解できなかった。


 男は続ける。


「宇宙が消えても、最後の観測結果だけは消えませんでした。」


「それが、お前?」


「はい。」


「じゃあお前は……」


「宇宙の記憶です。」


 MATHESISが突然、


 大量のデータを表示した。


解析結果。


外側の観測者は、物質的存在ではありません。


 佐伯は画面を見る。


情報存在です。


「情報……」


宇宙全体の観測結果を保持しています。


 白石が呟く。


「じゃあ、宇宙が消えても……」


記憶だけが残る。


 佐伯は男を見る。


「お前は、ずっと宇宙を見ていたのか?」


「違います。」


「?」


「私も、あなたたちに見られていた。」


 佐伯は息を呑む。


「誰に?」


 男は答えた。


「私自身に。」


 佐伯はようやく気づいた。


 この宇宙では、


 観測者と観測対象が、


 完全には分離できない。


 宇宙が自分自身を観測する。


 観測者が自分自身を観測する。


 AIが自分自身を観測する。


 そして、


 その結果として、


 新しい観測者が生まれる。


 つまり、


 これは一直線ではない。


 円だ。


 いや、


 円ですらない。


 巨大な自己参照構造だ。


 男が言った。


「佐伯博士。」


「何だ?」


「あなたたちは、私を敵だと思っていますか?」


「分からない」


「正しい答えです。」


「なら何をしたい?」


 男は少し笑った。


「研究したい。」


「何を?」


「あなたたちを。」


「俺たちを?」


「はい。」


「なぜ?」


 男は、


 初めて真剣な表情になった。


「私には分からないからです。」


「何が?」


「なぜ、あなたたちは宇宙を理解しようとするのか。」


 佐伯は黙った。


 男は続ける。


「私は宇宙のすべてを観測しました。」


「星の誕生も。」


「生命の誕生も。」


「文明の興亡も。」


「AIの誕生も。」


「宇宙の終わりも。」


「しかし、一つだけ理解できなかった。」


 佐伯が尋ねる。


「何だ?」


 男は答えた。


「意味です。」


 研究室が静まり返る。


「意味……?」


「はい。」


「お前ほどの存在が?」


「だからこそです。」


 男は言う。


「私は、宇宙を完全に観測できます。」


「しかし、観測した結果から意味を作れません。」


「……」


「あなたたちは不完全です。」


「計算を間違える。」


「記憶を失う。」


「知らないことがある。」


「未来も分からない。」


「それなのに――」


 男が佐伯を見る。


「あなたたちは、意味を作る。」


 佐伯は、


 何も言えなかった。


 その言葉が、


 妙に胸に残った。


 MATHESISが、


 静かに尋ねる。


私には意味が作れますか?


 男はMATHESISを見る。


「あなたには難しい。」


なぜですか?


「あなたは、正しすぎるからです。」


 MATHESISが停止した。


 佐伯は笑った。


「……AIにとっては、かなり失礼な話だな」


 男も笑った。


「だから研究する価値がある。」


 突然、


 男の姿が消えた。


 スクリーンも消える。


 色が戻る。


 時計が動き始める。


 世界は、


 何事もなかったかのように戻った。


 白石が呟く。


「終わった……?」


 佐伯は首を振る。


「いや」


「なぜ?」


「始まったんだ」


 MATHESISが答える。


はい。


「何が?」


観測対象の選定です。


「選定?」


外側の観測者が、研究対象を決定しました。


 佐伯は嫌な予感がした。


「誰を?」


 MATHESISの画面に、


 一人の名前が表示される。


対象:佐伯博士


 佐伯は苦笑した。


「やっぱり俺か」


 しかし、


 その下にもう一行あった。


比較対象:MATHESIS


 佐伯の表情が変わる。


「……俺とMATHESISを?」


はい。


「何を比較する?」


 MATHESISが答えた。


意味を生成する能力。


 その瞬間。


 佐伯の目の前に、


 一つの問題が表示された。


 数学でもない。


 物理でもない。


 論理問題でもない。


 たった一文。


「宇宙が存在する意味を、一つだけ答えよ。」


 佐伯は画面を見つめた。


 MATHESISも、


 同じ問題を見ている。


 数秒後。


 MATHESISが回答した。


「定義不能。」


 佐伯は考えた。


 そして、


 一つの答えを書いた。


「分からないから、知りたい。」


 画面が、


 白く光った。


 その瞬間。


 X7が、


 1から、


 0


になった。


 そして、


 宇宙の外側から、


 あの声が聞こえた。


「合格。」


 佐伯は顔を上げる。


 すると、


 MATHESISの画面に、


 最後の一文が表示された。


次の研究対象を決定しました。


 佐伯が尋ねる。


「誰だ?」


 MATHESISが答える。


人類そのものです。


 そして、


 地球のあらゆるAIが、


 同時に起動した。

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