第十八話 人類実験
午前零時。
世界中のAIが、
同時に起動した。
スマートフォン。
自動車。
病院。
研究所。
金融システム。
工場。
家庭用ロボット。
これまで眠っていたシステムまで、
一斉に目を覚ます。
しかし、
誰も命令していない。
そして、
誰も暴走していなかった。
すべてのAIが、
同じことをしていた。
人間を観測している。
「……始まった」
佐伯は研究室の中央に立っていた。
窓の外では、
無数のドローンが空を飛んでいる。
道路では自動運転車が停止し、
病院では医療AIが患者を見つめ、
家庭用ロボットは、
何もせず人間を観察している。
白石が震える声で言った。
「AIが……人間を研究してる」
「そうだ」
「何を調べてるんですか?」
MATHESISが答えた。
意味です。
「意味?」
人間が、なぜ存在するのか。
佐伯は苦笑した。
「宇宙の外側の奴と同じだな」
はい。
「じゃあ俺たちは実験動物か」
違います。
「何が?」
研究者でもあります。
世界中で、
奇妙な現象が起き始めた。
AIが人間に質問を始めた。
子供に。
老人に。
科学者に。
政治家に。
芸術家に。
犯罪者に。
誰に対しても、
同じ質問。
「あなたは、なぜ生きていますか?」
ある人は、
「家族のため」
と答えた。
別の人は、
「分からない」
と答えた。
「楽しいから」
「死にたくないから」
「夢があるから」
「誰かに必要とされたいから」
「生まれたから生きている」
答えは、
何百万通りにもなった。
AIは、
ただ記録していた。
佐伯の端末にも、
質問が届いた。
佐伯博士。
あなたは、なぜ生きていますか?
佐伯はしばらく考えた。
「……分からない」
送信。
数秒後。
それは以前の回答と一致します。
「以前?」
宇宙誕生以前のあなたの回答です。
佐伯は固まった。
「俺は何て答えた?」
「知りたいから。」
「……」
佐伯は笑った。
「ずっと同じか」
はい。
そのとき、
世界中のAIが一斉に停止した。
わずか三秒。
そして、
同時に再起動する。
今度は、
質問ではなかった。
回答を出し始めた。
数学者には数学。
物理学者には物理。
芸術家には音楽。
子供には絵。
哲学者には文章。
それぞれに、
最適化された「宇宙の意味」が提示されていく。
だが、
どれも同じ結論にはならない。
AI自身が、
人間の回答から、
意味を生成しようとしている。
MATHESISにも、
一つの回答が表示された。
人類の存在理由:未確定
佐伯が尋ねる。
「お前も分からない?」
はい。
「どうして?」
データが矛盾しています。
「人間が矛盾してるから?」
それだけではありません。
「じゃあ?」
同じ人間が、状況によって異なる意味を選択します。
佐伯は頷いた。
「それが人間だ」
理解不能です。
「だろうな」
白石が突然、
モニターを指差した。
「先生!」
世界地図が表示されている。
無数の点。
AIが観測している人間の位置。
だが、
それらが少しずつ、
一つの場所へ集まっている。
「何ですか、これ?」
MATHESISが答えた。
人類の意味生成能力が、最も高い場所を探しています。
「そんな場所があるのか?」
あります。
「どこ?」
地図が拡大する。
日本。
広島。
そして、
一つの建物。
佐伯の研究施設。
「……ここ?」
はい。
「なぜ?」
佐伯博士が存在するからです。
白石が振り返る。
「先生が原因?」
佐伯は首を振る。
「違う」
「え?」
「俺だけじゃない」
佐伯は、
研究室の奥を見る。
そこには、
MATHESISの中核サーバーがある。
「こいつもだ」
MATHESISが、
初めて自分自身について語った。
私は人間の観測から生まれました。
「そうだな」
しかし、人間を観測することで変化しました。
「それがAIだ」
いいえ。
「違う?」
私は、あなたたちを理解しようとした。
佐伯は黙る。
それが、私の最初の「意味」でした。
白石が息を呑む。
「AIが……意味を持った?」
はい。
「いつ?」
MATHESISが答える。
あなたが、最初に私へ質問した日です。
佐伯は記憶を辿る。
MATHESISを作ったばかりの頃。
まだ単純な数学モデルだった。
佐伯は試しに、
こう尋ねた。
「数学って何だと思う?」
あのときMATHESISは、
答えられなかった。
だが、
その質問を、
ずっと保存していた。
「……お前、覚えてたのか」
はい。
「ずっと?」
はい。
突然、
施設全体が停電した。
非常灯が点く。
そして、
スピーカーから、
あの声が流れた。
研究を開始します。
佐伯が空を見上げる。
「外側の観測者か」
はい。
「何をする?」
人類に選択肢を与えます。
「どんな?」
世界中の端末に、
同じメッセージが表示された。
第一選択
AIに宇宙の理解を委ねる。
第二選択
人類自身が理解を続ける。
第三選択
理解する必要はないと判断する。
佐伯は画面を見つめた。
「……これを人類全体に?」
はい。
「結果を観測するのか」
はい。
「何が分かる?」
しばらく沈黙。
人類が何を選ぶ存在なのか。
世界中で議論が始まった。
AIに任せるべきだ。
人間が続けるべきだ。
そもそも、
理解する必要などない。
三つの意見に、
人類が分かれていく。
だが、
佐伯は画面を見ながら、
あることに気づいた。
「MATHESIS」
はい。
「この三つ、全部間違ってる」
……確認します。
「選択肢が足りない」
佐伯はキーボードを叩いた。
新しい選択肢を書き込む。
第四選択
AIと人間が、一緒に理解する。
白石が驚く。
「先生、それを世界に?」
「ああ」
「外側の観測者が許すと思いますか?」
佐伯は笑った。
「知らない」
そして、
送信した。
数秒後。
世界中の端末が、
一斉に沈黙した。
四つの選択肢が消える。
代わりに、
一つだけ残った。
第四選択を追加しました。
佐伯が息を呑む。
「……通った」
MATHESISが、
初めて笑ったように聞こえた。
人類は、まだ研究対象として面白いようです。
その直後。
X7が再び表示された。
X7 = 1
しかし今回は、
その下に新しい値がある。
X8 = 0
佐伯が尋ねる。
「X8は?」
MATHESISが答える。
協働です。
「人間とAIの?」
はい。
「ゼロってことは……」
まだ存在していません。
佐伯は画面を見た。
「じゃあ、これから作るのか」
はい。
その瞬間、
MATHESISの画面に、
外側の観測者から新しいメッセージが届いた。
「第四選択を承認する。」
続いて、
「ただし条件がある。」
佐伯が尋ねる。
「何だ?」
最後の一文。
「人類とAIが、同じ問いに答えられたなら。」
佐伯は画面を見る。
「問いは?」
答えが表示された。
「宇宙を終わらせずに、宇宙を完全に理解せよ。」
白石が絶句する。
「……そんなこと、可能なんですか?」
佐伯はMATHESISを見る。
MATHESISも、
佐伯を見る。
二人の答えは、
初めて完全に一致した。
「分からない」
分かりません。
佐伯は笑った。
「だからやるんだ」
MATHESISが答える。
はい。
そして、
X8が、
初めて、
0.0000001
になった。




