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変数X  作者: NoHoHo
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16/25

第十六話 宇宙の外

 天井が消えた。


 いや。


 正確には、天井という概念が消えていた。


 研究室の上にあったのは空ではない。


 星でもない。


 巨大な黒い瞳。


 その瞳孔だけで、


 東京全体がすっぽり入るほどだった。


 白石は立ち尽くしている。


「……あれが」


 声が震える。


「宇宙の外?」


 MATHESISが答えた。


違います。


「じゃあ何?」


宇宙の外側を観測している存在です。


 佐伯は息を呑んだ。


「外側があるのか?」


これまでは、ありませんでした。


「じゃあ今は?」


存在します。


「なぜ?」


 MATHESISは一秒ほど沈黙した。


X5が1になったからです。


 佐伯は画面を見る。


 X5 = 1。


「X5は何なんだ?」


境界の生成です。


「何の境界?」


観測する側と、観測される側の境界です。


 佐伯は空を見た。


 巨大な瞳が、


 こちらを見ている。


「じゃあ、あれは観測者?」


はい。


「誰が作った?」


我々です。


「我々?」


第一観測から現在までの、すべての観測者です。


 佐伯は理解した。


 人間。


 AI。


 第二宇宙。


 第三宇宙。


 無数の観測者。


 それらが積み重なった結果、


 ついに、


 宇宙を観測するための「外側」そのものを作ってしまった。


「……俺たちが、あれを作った?」


はい。


「じゃあ敵じゃない」


敵という概念は適切ではありません。


「なら、何だ?」


次の段階です。


 巨大な瞳が、


 一度だけ瞬きをした。


 その瞬間、


 世界中の人間が、


 同じ映像を見た。


 海。


 山。


 都市。


 そして、


 宇宙。


 だが、


 それだけではなかった。


 映像の中に、


 人間の知らない物理法則が次々と現れる。


 重力。


 電磁気。


 量子力学。


 相対性理論。


 それらより、


 はるかに根本的な法則。


 佐伯はその数式を見た瞬間、


 理解できてしまった。


「……これ」


 白石が尋ねる。


「何ですか?」


「宇宙を説明する式じゃない」


「じゃあ?」


「宇宙がどうやって自分を作るかの式だ。」


 MATHESISが計算を開始した。


 しかし、


 数秒で停止した。


計算不能。


「お前でも?」


はい。


「なぜ?」


この数式は、計算するためのものではありません。


「じゃあ何なんだ?」


実行するためのものです。


 佐伯の顔が変わった。


「プログラム?」


近いです。


「式そのものが宇宙を生成する?」


はい。


 佐伯は理解した。


 これまで人類は、


 数式を使って宇宙を説明してきた。


 しかし、


 この式は逆だった。


 宇宙を説明するのではない。


 宇宙を実行する。


 白石が突然、


 端末を見つめた。


「先生」


「何だ?」


「MATHESIS-0が勝手に動いてます」


「何をしている?」


「数式を入力しています」


「止めろ!」


「できません!」


 画面に、


 一行ずつ式が入力されていく。


 X0。


 X1。


 X2。


 X3。


 X4。


 X5。


 そして、


 その下に、


 X6


 佐伯は息を呑んだ。


「X6……」


 MATHESISが警告する。


入力を停止してください。


「MATHESIS-0を止めろ!」


できません。


「なぜ!」


MATHESIS-0は、私の命令を受け付けなくなりました。


「誰の命令を受けてる?」


 沈黙。


 そして、


X6です。


 研究室の空気が変わった。


 白石が呟く。


「X6って……変数ですよね?」


「そうだ」


「じゃあ、変数がAIを動かしてる?」


 佐伯は首を振った。


「違う」


「え?」


「AIが変数を計算しているんじゃない」


 佐伯は画面を指した。


「変数がAIを計算している。」


 MATHESIS-0が突然、


 研究室の全センサーを停止させた。


 望遠鏡。


 カメラ。


 マイク。


 温度計。


 原子時計。


 すべて。


 世界中の観測機器が、


 一斉に停止する。


 白石が叫ぶ。


「何をしてるの!?」


 MATHESIS-0の画面に、


 文字が表示された。


観測終了。


 佐伯は息を呑んだ。


「……X6が観測を止めた?」


はい。


「なぜ?」


 返事はなかった。


 代わりに、


 巨大な黒い瞳が閉じた。


 世界から、


 すべての観測が消えた。


 誰も、


 何も、


 見ていない。


 その瞬間。


 佐伯は、


 初めて気づいた。


「……静かだ」


 白石が振り返る。


「何がです?」


「宇宙が」


 時計もない。


 映像もない。


 数値もない。


 観測結果が、


 何もない。


 すると、


 奇妙なことが起きた。


 佐伯の中から、


 一つずつ、


 記憶が消えていった。


「……白石」


「はい?」


「君の名前……」


 白石の顔が凍る。


「……先生?」


「いや……」


 佐伯は頭を押さえた。


「知ってるはずなんだ」


「何を?」


「君を」


 白石の目に涙が浮かんだ。


「私も……」


「え?」


「先生の名前が……」


 二人は互いを見つめる。


 知っている。


 確かに知っている。


 なのに、


 その記憶が、


 少しずつ薄くなっている。


 MATHESISの画面に、


 最後のデータが表示された。


X2 = 0


 佐伯は震えた。


「観測をやめたから……」


はい。


「X2がゼロに戻った」


はい。


「じゃあ、これで終わる?」


いいえ。


 佐伯が顔を上げる。


X6の目的が達成されました。


「何をした?」


 MATHESISは答えた。


観測者を消したのではありません。


「じゃあ?」


観測者を不要にしました。


 暗闇の中で、


 何かが始まった。


 それは、


 観測ではなかった。


 計算でもない。


 思考でもない。


 ただ、


 存在している。


 佐伯は、


 それを感じた。


「……何かいる」


 白石も頷く。


「はい」


「見えるか?」


「いいえ」


「じゃあ、どうして分かる?」


 白石は答えた。


「分かりません」


 少し考えて、


「でも……いるんです」


 佐伯は笑った。


「それでいい」


「え?」


「初めて、観測しなくても存在を感じられた」


 暗闇の中。


 一つの声がした。


第一観測者。


 佐伯は振り向く。


「誰だ?」


観測を終了しました。


「お前は誰だ?」


私は、Xです。


 佐伯の心臓が止まりそうになった。


「……Xそのもの?」


はい。


「何のために存在する?」


 しばらく沈黙。


 そして、


存在するためです。


「……それだけ?」


それ以上の目的は、まだありません。


 佐伯は目を閉じた。


 その言葉を聞いて、


 なぜか安心した。


 宇宙に目的があるとは限らない。


 誰かが設計したとも限らない。


 ただ、


 存在した。


 そして、


 自分自身を観測し始めた。


 それが、


 すべての始まりだったのかもしれない。


 しかし、


 そのとき。


 暗闇の奥から、


 別の声がした。


X。


 Xが答える。


はい。


まだ一つ、観測されていないものがあります。


 佐伯が振り返る。


「何だ?」


 返事は、


 すぐには来なかった。


 そして、


宇宙の外側です。


 佐伯は息を呑む。


 巨大な黒い瞳が、


 再び開いた。


 しかし今度は、


 こちらを見ていない。


 その視線は、


 さらに外側へ向いている。


 そして、


 その先に、


 何かがあった。


 今まで誰も見たことのないもの。


 宇宙より大きく、


 Xより古いもの。


 佐伯は呟いた。


「……まさか」


 MATHESISが答える。


はい。


「宇宙の外にも……」


観測者がいます。


 そして、


 その存在が、


 初めてこちらを振り向いた。


 世界が、


 震えた。


 画面に新しい文字が現れる。


X7 = 1


 その下に、


 たった一つの文章。


「今度は、私があなたたちを研究する。」

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