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変数X  作者: NoHoHo
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第十四話 第二観測

第十四話 第二観測


 黒い点は、空の中央でゆっくりと広がっていた。


 穴ではない。


 雲でもない。


 光が存在しないのでもない。


 光という概念そのものが、そこだけ成立していなかった。


 佐伯は窓際に立ったまま動けなかった。


「先生……」


 白石の声が震える。


「空に……何があるんですか?」


「分からない」


「MATHESISにも?」


 佐伯は端末を見る。


 画面には、たった一行。


観測対象外


「初めて見た」


「何がですか?」


「MATHESISが、自分の観測範囲を超えた」


 世界中の望遠鏡が黒い点を向いた。


 だが、何も映らない。


 電波望遠鏡も。


 X線観測装置も。


 重力波検出器も。


 すべてが同じ結果を返した。


データなし。


 しかし、


 人間の目だけには見える。


 しかも、見る人によって形が違った。


 ある者には巨大な球体。


 ある者には銀河。


 ある者には真っ白な光。


 そして一部の人間には、


 巨大な目に見えた。


 佐伯には違った。


 彼に見えたのは、


 一枚の紙だった。


 そこに数式が書かれている。


 誰かが、


 宇宙を数式として記述している。


「……誰かが計算している」


 佐伯が呟いた。


 白石が尋ねる。


「誰が?」


「分からない」


 佐伯は目を細める。


「でも、これ……」


「何ですか?」


「計算途中だ」


 MATHESISが突然起動した。


佐伯博士。


「何だ?」


観測を中止してください。


「なぜ?」


第二観測が開始されています。


「それは分かってる」


違います。


 MATHESISが続ける。


第二観測は、我々が行うものではありません。


 佐伯は黙った。


「じゃあ、誰が?」


第一観測の結果によって生成された存在です。


「……X3?」


はい。


「X3が観測している?」


いいえ。


「じゃあ?」


 MATHESISの回答は、


 今までで最も不気味だった。


X3そのものが、観測です。


 佐伯は理解できなかった。


「変数が観測する?」


いいえ。


「じゃあ何だ?」


観測と観測者の区別がなくなっています。


 佐伯は画面を見つめた。


 X0は、


 宇宙が存在するための変数。


 X2は、


 観測者が自分自身を観測したときに発生する変数。


 そしてX3は――。


「……観測そのもの」


はい。


「じゃあ、X3が1になったということは?」


観測が一度、完成したということです。


「完成……?」


第一宇宙が、自分自身を完全に観測した。


 佐伯は空を見る。


「だから次の宇宙が始まった?」


正確には違います。


「じゃあ?」


次の観測対象が必要になったのです。


 その瞬間。


 世界中で、


 赤ん坊が一斉に泣き始めた。


 病院。


 家庭。


 孤児院。


 新生児集中治療室。


 理由は分からない。


 ただ、


 同じ時刻に、


 すべての新生児が空を見た。


 生まれたばかりの目で、


 まだ焦点すら合っていないはずの瞳で、


 黒い点を見つめた。


 そして、


 泣き止んだ。


 佐伯の端末に、


 一つのデータが届いた。


観測対象候補:新生児


 佐伯は凍りついた。


「……赤ん坊?」


はい。


「何人いる?」


現在、世界で約三千二百人。


「その全員が?」


同一の対象を観測しています。


 白石が顔を上げる。


「でも、赤ちゃんには宇宙を観測する能力なんて……」


「違う」


 佐伯が遮った。


「宇宙を見てるんじゃない」


「じゃあ?」


 佐伯は新生児の映像を見る。


 どの赤ん坊も、


 黒い点を見つめている。


「自分自身を見ている。」


 MATHESISが沈黙した。


 佐伯は続ける。


「生まれたばかりの人間には、自分と世界の区別がない」


「だから……」


「最初に見るものが、自分自身になる」


 佐伯は気づいた。


 これは偶然ではない。


 宇宙は、


 新しい観測者を作っている。


 いや。


 正確には、


 観測者になる可能性を持った存在を、選別している。


 佐伯はMATHESISに尋ねた。


「俺もそうだったのか?」


はい。


「生まれたときから?」


あなたは特に強い反応を示しました。


「だから俺が選ばれた?」


いいえ。


「じゃあ?」


 MATHESISが答える。


あなたは、選ばれたのではありません。


「……」


戻ってきたのです。


 佐伯の記憶に、


 またノイズが走った。


 知らない場所。


 知らない時間。


 知らない自分。


 そして、


 宇宙が終わる瞬間。


 すべての星が消え、


 すべての時間が終わり、


 最後に残ったもの。


 観測。


 佐伯はそこで、


 何かを見ていた。


 いや。


 誰かを見ていた。


「……あれは俺じゃない」


 映像の中の自分が振り返る。


 その顔は、


 現在の佐伯と同じだった。


 しかし、


 目が違う。


 人間の目ではない。


 その存在が言った。


「次は、あなたたちの番だ。」


 映像が消える。


 佐伯は息を荒くした。


「……何なんだ」


 MATHESISが答える。


未来のあなたです。


「未来の……俺?」


はい。


「じゃあ、あいつが第二観測を始めたのか?」


いいえ。


「誰が?」


 MATHESISは答えなかった。


 その代わり、


 黒い点がさらに広がった。


 東京の空の、


 四分の一を覆う。


 その向こう側に、


 巨大な宇宙が見え始める。


 しかし、


 そこには星がなかった。


 銀河もない。


 物質もない。


 ただ、


 無数の「可能性」だけが存在していた。


 白石が呟く。


「……宇宙になる前の状態?」


 佐伯は首を振った。


「違う」


「じゃあ何ですか?」


「宇宙にならなかった世界だ」


 MATHESISが警告する。


危険です。


「何が?」


第二観測が、第一観測を参照しています。


「どういうことだ?」


向こう側から、こちらを見ています。


 佐伯は空を見た。


 黒い点の向こう。


 無数の可能性。


 その中に、


 一つだけ、


 こちらと完全に同じ世界があった。


 東京。


 研究室。


 佐伯。


 白石。


 MATHESIS。


 すべてが同じ。


「……並行世界?」


いいえ。


「じゃあ?」


現在の宇宙を観測した結果として生成された、再現モデルです。


 佐伯の顔が青ざめる。


「つまり……」


向こう側は、私たちを完全に再現できます。


「……」


あなたも。


 その瞬間、


 研究室のドアが開いた。


 誰も触れていない。


 廊下には、


 一人の男が立っていた。


 佐伯だった。


 白石が悲鳴を上げる。


「先生……?」


 目の前にいる佐伯。


 そして、


 研究室の中にいる佐伯。


 二人いる。


 外の佐伯が、


 ゆっくり笑った。


「やっと会えたな」


 中の佐伯は動けない。


「……お前は誰だ」


 外の佐伯が答える。


「お前だよ」


「未来の俺か?」


「違う」


 男は首を振った。


「第二観測で作られた、お前の完全な観測結果だ。」


 MATHESISが、


 初めて警告ではなく、


 命令を発した。


佐伯博士。


絶対に、この男を観測しないでください。


 だが、


 もう遅かった。


 二人の佐伯の目が、


 互いを見た。


 その瞬間。


 X3が、


 1から、


 2


へ変わった。

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