Episode.9 倫理怪物の恋
Ep.8「夜半前の共同戦線」の後日譚です。
何の変哲もないクリニックとしての実体を持つその裏で、特殊捜査部関係者の医療処置も担うようになった咲坂伶那のクリニックに、覇気のない二階堂左近が現れたのは深夜だった。
「……センセごめーん、遅くなっちゃった」
「別に大丈夫、螺旋はまだ寝かせてるから……って何、室長さんどうしたの」
「……えー?」
「いや、何て言うか……」
「……ああ、いやぁ、今日も見事に振られたなって」
「――なぁんだ、またそれか」
「酷くない!?」
本人に気付かれないように羽佐間螺旋を強制的に休養させるために二人が手を組んでからというもの、決行の日にはこうして二階堂がクリニックに訪れるようになっていた――もうこれを何回重ねたのか、伶那は既に数えていない。この件以外でも二階堂はここに出入りする。そういった後処理は彼が責任者であることが多い。
そして二階堂が螺旋に判りやすく片想いしていることも、伶那は既に知っていた。
「だって今夜だって螺旋ちゃん、センセとは食事したわけでしょ?」
「姉弟子ナメんな。こっちは二十年近くの付き合いなのよ。しかもあなたみたいな胡散臭いのと比べられるの、シンプルにムカつくわ」
「ひどっ!」
伶那はじろりと二階堂を見やる。
「……螺旋見てたら判るでしょ、あの子に恋愛なんかするつもりがあるように見えるわけ?」
「見えない」
「それにもし仮に万が一、螺旋がその気になるようなことがあったら――」
「あったら?」
「姉弟子として、あたしが室長さんを排除するわ。全力で螺旋を止める。螺旋を守る」
「いやセンセ!? さっきからだいぶ失礼だよ!? 僕に対して!!」
「だって考えてもみなさいよ、どう考えても危険なのよ室長さん! 胡散臭すぎるのよ! その力、相当ヤバいわよ?」
二階堂左近は、他人の認識や記憶を操作できる能力を持っている。それゆえ伶那は、螺旋を休養させるためにこの男と組んだ訳だが――
「最強魔術師の魔力循環に楔を打ってるセンセだって、危険だよね?」
二階堂は微笑を浮かべて言う。
「…………」
伶那はしばし黙った。道理ではある。
「……ちなみに室長さん、螺旋のどういうとこが? 見た目がタイプとか? 螺旋が美人なのは事実だし」
話を逸らす目的でもあり、純粋な興味でもあった。
「見た目じゃないよ、螺旋ちゃんの生き様。もちろん綺麗だとも思ってるけど」
「……え、何、重っ。え、怖っ」
ドン引きする。二階堂は相変わらず微笑を浮かべているが、冗談を言っている空気はまったくない。
「生き様って何、ちょっと何この人! あたしこんな人と組んだの間違いじゃなかった!?」
「警備局にいた頃からちょっと気になってたんだけどね」
「待って、別にそこまで聞いてない、聞きたくない!」
反射的に小さく叫んでから、伶那ははっとしたように急にその瞳に静かな光を宿した。
「――待って。何て言った? 警備局にいた頃から?」
「うん?」
「それ――室長さん、あなた、螺旋の名前――」
「……ああ、真名のこと?」
伶那は静かに頷くことで、彼のその問いに答えた。
羽佐間螺旋の本名――真名は、現在では警察庁のデータベースからも抹消されている。秩序の魔術師として在るために、術名、即ち偽名である羽佐間螺旋を名乗っている彼女は、戸籍上もその名で通っている。その辺りは様々な方面から圧力がかけられ、それが罷り通っているのだ。医師として在るために術名と真名を使い分けて存在している伶那とは、扱いが異なっていた。その在り方の質も異なるのである。
螺旋が警備局に所属していたのはこの時点から二年ほど前であり、当時は真名で生活していた。しかし――特殊捜査部が組織された際、彼女は術名だけを用いて生きることを選んだ。その結果、彼女の真名は全ての記録から抹消された――はずである。
当時の関係者の認識が現在どうなっているのか、伶那は詳細を知らなかった。
「真名はね、忘れた」
「……は? あなたね、冗談を――」
「冗談言ってるわけじゃないよ、センセ。実はここだけの話なんだけど……その辺の認識を組織的に操作するのに、僕も関わってたりするんだよねぇ」
「っ――」
――二階堂は、他者の認識や記憶を、操作できる能力の持ち主である。そうした部署の室長を務めている人間である。螺旋とはまた異なる立場で――しかし確実に暗躍している人間である。
「……で、認識は改変して、記憶は多少干渉して、誰も真名に辿り着けないようにして――」
あくまで軽い調子で、二階堂は続ける。
「それから仕上げに、自分の記憶も消したんだよねぇ。秘匿すべき情報は、誰も知らない状態にした方が良いからね」
「……けどそれ、室長さんみたいな能力者なら、もう一度思い出すことだって簡単に――」
「ははっ、センセ、僕の力を見くびってない? 僕は仕事には手を抜かないタイプだよ?」
「…………」
確かに二階堂の能力の高さ、そして危険度は計り知れない。だからこそ彼と共犯関係を続けているわけだが、それにしても、である。
「……室長さん、螺旋のこと好きなのよね?」
「え、急に何~? うん」
「……で、警備局時代から知ってる、と」
「うん」
「……真名の隠蔽にも関わってて」
「うん」
「だから当然真名は知ってて」
「あ、今はもう知らないよ」
「そこよ!」
「うん?」
「好きな女の、現在は秘匿されてる情報を手にしていた立場で」
「うん……?」
「自分の記憶を操作したってわけ!?」
「? そうだけど?」
「何で?」
「え、だからさセンセ、秘匿すべき情報は、誰も知らない状態に近付けておくことがベストなんだよね」
「……え、何なになに、怖い!」
伶那はぞっとしたように、両手で自分の二の腕の辺りを抱きしめた。
「……室長さんさ」
「んー?」
「ちなみに訊くんだけど、可能かどうかで言うと――螺旋があなたに好意を抱いている、とかいう認識を、螺旋に植え付けることって――」
「あ、僕そういうのはやらないんだよねぇ」
「……可能かどうかで言うと?」
「可能」
「……やるかやらないかで言うと?」
「絶対やらない」
二階堂は笑顔で言い切った。伶那は思わず天を仰いだ。
「……重い。怖い」
「……センセ酷くない? 逆に訊くけどさ、センセは自分の都合のために認識整えた人間関係とか、耐えられるタイプ?」
「……いや、あたしはそういう能力とか持ってないし……」
「持ってると仮定して、耐えられるタイプ?」
妙に圧のある笑顔で、二階堂は質問を重ねる。
「……耐えられるわけないでしょ。そんな――」
「だよね? 螺旋ちゃんの感情いじって僕に向けたりしたら――それもう螺旋ちゃんじゃないよね?」
「…………うわあ」
「え、何?」
「室長さんってさ……例えば今これから、実際に――螺旋の記憶を調整するじゃない?」
「この流れで言われると誤解を招くよね!? 僕が整えるのは、螺旋ちゃんが不自然に記憶に穴があるって感じる、この強制休養時間中だけのことだからね!? で、螺旋ちゃん本人の意識を落としてるのはどっちかって言うとセンセの方ね!?」
「ごめんごめん、そう、それはそう、で、実際にこのあと、螺旋を起こす前にその調整をするじゃない?」
「うん」
「それはやるのに――螺旋の感情については一切触らない、と」
「え、当然でしょ、このあとの記憶の調整は極端に言うと螺旋ちゃんを――秩序の魔術師を生かすためだけど、感情に触れないのは当然でしょ? 倫理的にどうかと思うよ?」
「…………うわあ。室長さんってさ、本気で螺旋のこと――」
「センセ、何度も言わせないでよ。好きだって言ってるじゃん。止めようよ学生のノリみたいな会話」
二階堂が本気でこの話題を嫌がっているようには見えなかった。
「……逆に重症だわね」
伶那はぼそりと呟く。そして、
「怖っ、重っ、万が一螺旋が室長さんに靡きそうになったら絶対に阻止するわ!」
きっぱりと宣言した。
「えー、センセ酷い! 何で!?」
「ていうか室長さんみたいな見た目なら、正直それだけでモテるでしょ? 困んないでしょ? 何で螺旋なの?」
「だから、僕は螺旋ちゃんの生き様が――」
「やだもう! 重い! あたしは絶対に螺旋を守るわ、姉弟子として!」
伶那は目の前の男に対する認識を改める――本質を、見定める。
二階堂左近は軽薄を装っているが、実態は正反対である。
胡散臭さは彼の纏う鎧であり、その実態は――
「センセさ、さっきから重いとか怖いって何だよ、酷くない? さすがに僕もそろそろちょっと傷付くんだけど?」
「うるさいわね、ほら、そろそろ螺旋を起こすから、調整頼むわよ、室長さん」
「逃げた!?」
「別に逃げてない、ほら行くわよ」
「逃げてるよね!? けど――了解」
急にトーンを抑え、業務モードに移行した二階堂に対して、伶那は密かにこう識別子を付与した。
二階堂左近は――倫理の怪物である。
そして更に小さく、追記した。
――二階堂は螺旋に対して、本気である。




