Episode.10 テレパスの憂鬱
魔力捜査室の長である羽佐間螺旋に用があった、記操こと記憶操作室所属のテレパス、城戸透流は、黒峰準から彼女は既に帰宅した後であることを告げられた。魔捜部屋に残っているのは黒峰だけだった。
確かにもう日勤の勤務帯はとうに過ぎている。それでも螺旋は普段この時間にはまだ在室していることが多いので、城戸はそちらに賭けたのだった。
それほど急ぎの用でもない。城戸自身も退庁する前に一応顔を出してみて、もし今日中に済むのならば済ませよう、という心づもりだったので、無駄足と呼ぶほどでもない。それならば帰るか、とドアを閉めようとしたところで、
「そうだ城戸くん、飲みにでも行かない?」
端末の電源を落としながら、黒峰が軽い調子で言った。
「…………」
城戸は視線だけで、面倒だから嫌だ、と告げる。城戸は普段からあまり言葉を発さない。テレパスとして様々な感情や記憶を受信し、任務としてそれらに干渉する必要のある彼は、日常生活での会話、特に雑談の類が苦手だ。正確には、面倒だ。
上司である二階堂や、業務上での連携が多い螺旋などは彼のテレパシーを受信することができるので必要な会話はそれで済ませるが、黒峰に関してはテレパシーを受信できない――少なくとも、そのはずだ、と城戸は認識している。だから拒否の意志もテレパシーでは送信せず、視線で伝えた。
「まあまあ、城戸くんも好きそうな落ち着いたバーだよ。よくジャズピアノも流れてるし」
黒峰は爽やかな笑顔で情報を追加する。ジャズピアノ、という単語に城戸は一瞬心惹かれた。そして黒峰はそれを見逃さなかった。
「そんなには遅くならないようにするから、ね」
いつの間にか帰り支度を終えていた黒峰の笑顔に、結局城戸は逆らえなかった。
確かにそこは隠れ家的なバーだった。
店内には静かなジャズピアノが流れており、全体の雰囲気が落ち着いていた。
城戸は滅多にこういう場には足を踏み入れないが――人付き合いが面倒だからである――黒峰のリサーチ力は相変わらず大したものである。
コートを脱いだ二人はバーテンダーに促されるままカウンター席に着き、黒峰はソルティドッグを、城戸はアルコール弱めでジントニックをオーダーした。
余計な雑音が入って来ないのは珍しい、と城戸は思った。テレパシーで受信してしまう他の客の感情も含めて、である。
店内にはそれなりに客がいるものの、城戸にとっても珍しくくつろげる空間だった。
やがて丁寧に作られたカクテルが出されると、二人は軽くグラスを持ち上げて無言で乾杯をする。
城戸は心地よいピアノに耳を傾けながら、ゆっくりとグラスに口を付けた。アルコール弱めのオーダーは、慣れない場所で必要以上に酔うことを避けるためで、城戸は酒自体にはかなり強い。こうした選択をするのは、特殊な部署とは言え刑事だからなのか、それとも単に性格によるものなのか、城戸にその判断はつかなかった。恐らくどちらも、なのだろう。
城戸が洗練されたピアノの旋律に聞き入っているのを察してか、黒峰は必要以上には喋らなかったし、内容も当たり障りのないものに留まった。黒峰はそういう人物でもある。だから何かをやらかしても、それ以上の挽回をする。その点に関しては、城戸は黒峰を評価していた――但し、そこそこな頻度で権限を越境するのはよろしくない、と思っている。
無駄なノイズの少ない空間で、静かな音楽に浸れるのは、自宅以外にはほぼなかった。黒峰に誘われた時は面倒だと思ったが、ここは悪くない、と城戸は思った。かと言って後日一人で来ることもなさそうなので――城戸はとにかく出不精なのである――次回の来店は未定だ。
ナッツを二つほどつまんでから、城戸は二杯目をオーダーする。
黒峰は楽しそうにその様子を眺めてから、モスコミュールをオーダーした。
程よい時間を過ごしてから、会計を頼む。店内での支払いは黒峰が行った。
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
黒峰に続いて城戸も小さく、しかし聞き取りやすい声で告げて店を出る。
バーテンダーも笑顔でお辞儀をして見送っていた。
近くの公園で自分の分の代金を黒峰に渡すと、
「ね、ね、良い店だったでしょ?」
黒峰はにこやかに、そしてどこか自慢げに言った。
悪くはなかった、とテレパスを送信してから、黒峰にはこの方法では伝わらないことを思い出し、
「……悪くはなかった」
言葉で伝える。
「ふふっ、相変わらず城戸くんは素直じゃないよねぇ、ずいぶん気に入ってたよね? ね?」
「……黒峰さん、うるさい」
「あははっ、城戸くんこわーい」
「…………」
多少酔いが回っているのか、黒峰は普段より更に調子が軽い。
そこへ、
「……あ、あの、すみません」
不意に女性の声がした。城戸と黒峰がそちらに目を向けると、二人の女性が近づいて来ようとしていた。ついさっきまでいたバーに、そう言えばこの二人も――いた。
「あのお店には、よく……?」
その声音と――そして内心に渦巻く感情を受け取って、城戸はすぐに目的を理解した。そして、ああ、面倒だ、と思った。
「――あ、いや? あんまり頻繁には行かないかな。ね?」
応じたのは黒峰だった。酔っているかと思ったが、そうでもないようだ。城戸の顔は見たが、名を呼ぶことはしなかった。先刻のやり取りを聞かれていたならば無意味かもしれないが、距離的に聞こえていない可能性もある。ならば――相手にそれ以上の情報を与えないという判断は正しい。自分たちの仕事も考えれば、特に。
「あ、えっと、急に声をかけちゃってごめんなさい」
「あの、この子、さっきからバーで気になっちゃってたっていうか……」
先に声を掛けてきた女性を援護するように、もう一人が状況の説明を試みる。その視線は城戸に向けられていた。
本人に自覚はないが、彼は眉目秀麗な部類である。身長も高い。
但し城戸は、職場ではそういう担当は室長である二階堂だと認識しているし、そしてその認識は半分は正しい。つまり半分は間違っている。城戸派も一定数存在するのである。
ただ、城戸は他者と関わることを得意とはしない。面倒だからだ。そういった感情を向けられても――正直迷惑なだけだ。
「あ、あの、私別に怪しい者ではなくて、えっと……」
女性の感情や記憶を読み取った城戸は、確かに不審人物ではないことは理解する。例えば彼女の勤務先は商社だ。真っ当な企業である。下心はあるが、純粋にそれだけだ。
「あ、あの、えっと、もしご迷惑じゃなかったら、れ、連絡先、とか……」
――面倒だ。
内心で天を仰いだ城戸を救ったのは、黒峰だった。
「あー……それは駄目かもー?」
急にトーンを変え、黒峰はその表情を妖しげなものにする。彼の顔立ちはやや中性的で、そして何と言っても白に近い明るい灰色の、後ろで一つに結わえた長髪がその雰囲気に拍車を掛ける。黒峰はぴとっと城戸にくっつくと、女性たちに向かい、
「――僕が妬いちゃうから」
眼鏡の奥から、妙に色気のある視線を送った。
「……えっ? あ……あ!?」
「はっ! お二人はそういう……す、すみませんでした!」
女性たちは――黒峰にうまく誘導されたとは言え――勝手に何かを察し、そしてあたふたと去って行った。
「…………」
城戸は無言で黒峰に視線を向ける。確かに助かった。助かったが――
「……ふふっ」
くっついたまま黒峰がやや見上げる形になった。
「…………」
「ご、ごめんって、そんな殺気にじませないでよ! ごめんって、城戸くん困ってるかなって思って!」
黒峰は即座にいつもの表情に戻るとぱっと離れ、更に距離を取る。
「…………」
バーに関しては加点ではある。が、今ので減点。プラマイはゼロだ。
「……帰る」
それだけ言って、城戸は背を向けた。本気で怒っているわけではない。黒峰もそれを理解している。
「あははっ、おやすみー城戸くん、またねー」
黒峰の声を背に受けながら、城戸は嘆息して歩き出した。




