Episode.7 予知能力者の私生活
「……ふん。こんなもんでいいか」
真山華火はペンを置き、完成したレポートを見やった。
既にシャワーは浴び終え、パジャマと部屋着を兼ねたラフな格好に着替えている。
十四歳、本来ならば中学二年生の彼女は、しかしその未来視の能力の高さを買われ、警察庁刑事局特殊捜査部、非科捜こと非科学捜査研究室に正式な職員として特例で所属している。
一方で、千代田区立桜崎中学にも籍はある。実際には登校していないが、誰もそれを疑問に思わないような調整は、同部門の記操こと記憶操作室が行っているはずだ。
そして学業から完全に逃れられるわけではない。こうして定期的に手書きのレポートの提出が義務づけられており――手書き必須なのは無論、不正を防ぐためである――華火は本日勤務終了後、夕食その他を終えてから、このレポートに取り組んでいたのであった。
彼女が住んでいるのは特捜所属職員向けの寮だ。華火に家族はいない。各種手続きに必要な書類上の保護者としては遠縁の親戚の名が記されているはずだが、交流はない。それどころか顔も覚えていない。それでも問題のないような調整は、やはり記操によって行われている。
定期的に寮長も様子を見に来るし、それなりに他の住民である職員たち――言うまでもなく全員大人である――とも交流があり、華火が特に困っていることはなかった。
――家族のいない者、もしくはその家族も特捜に関わる者であること。それが部署の所属者に求められる条件の一つであることを、華火はうっすらと知っていた。
「ちっ、手書きのレポートってめんどいな。まあ不正はできないし、仕方ない」
いつもの調子で軽く毒づき、提出物をまとめた封筒に完成したばかりのレポートを仕舞う。もう一科目分残っているが、それは明日でも良いだろう。彼女は学力的には既に、高卒程度の内容を理解している。
「……ふふん、よし。ゲームでもするか」
不敵な笑みを浮かべて言うと、華火はスマートフォンのゲームアプリを立ち上げた。
彼女はそれなりにゲームやアニメが好きだ。但し、作品はかなり選ぶ。予知能力者――しかも実質トップクラスの能力の持ち主である――という特性上、物語がどのような結末を迎えるのか――正確には、その結末を見届けた自分がどのような感情を抱くのか、華火には視えてしまう。視たくなくても視えてしまう。
プレコグであることで、普段から摂取する情報量がそうでない者と比べて格段に多い彼女は、余暇にまで無駄な――少なくとも彼女はそう認識している――感情のリソースを割きたくはなかった。
結果として、絵柄が好みでも避けてしまう作品は自然と増えてくる。今期のアニメも開始前に一通りチェックしたが、その篩に残った作品は残念ながらほとんどなかった。今日はその放送日でもないし、見逃し配信で追いついておく必要のある作品も抱えていない。その分、ゲームに充てられることが確定した。
華火がずっとやり込んでいるゲームの一つがリズムゲームだ。リリース時からプレイしており、レベルもかなり上位だ。
軽やかなメロディで始まるスタート画面をタップし、メインメニューを表示させる。オンライン対戦を選択すると、システムのマッチングを待った。
「ふふん、今日もやってやるぞ」
やがて対戦相手が決まる。華火のアバターと、どこかで彼女と同じようにスマホに向かっている相手のアバターが表示された。
――結果は視えた。が、余計なことを考えずにリズムゲームに集中する時間そのものが楽しいので、華火はその結果を無視する。
課題の楽曲が表示され、華火は指先に神経を集中させた。すっと息を吸い込む。
アグレッシブなイントロとともに曲が始まり、華火の指はほぼ正確にノーツをタップしていく。この軌道をなぞるために要求される指遣いの美しさが、華火がこのゲームにハマっている一つの要素だった。
転調した辺りから、ノーツは細かくなってくる。非対称性も増してきた。
「っ!」
華火の指先に熱が入る。
やがて曲が終わり、結果画面が表示される。
パーフェクト判定の僅差で、華火の負けだった。
「ははっ、やっぱり負けたぁ」
だがその顔は悔しそうではない――この結果は視えていたのである。
結果画面からメインメニューに戻りつつ、
「僕もまだまだだな、よし、もう一回やるか」
彼女は楽しそうに呟いた。
その後二回の対戦を終えると、華火はアプリを終了させる。やり込んではいるが、一日にそれほど長時間続けてのプレイはしない。三回の対戦は二勝一敗だったが、彼女は勝敗にはそこまでこだわらない。ならば対戦モードを選ばずともシングルプレイで充分のはずだが、
「……ちょっと寂しいってことかな、僕は」
華火はぽつりと自己分析した。ゲームアプリを通してリアルタイムで誰かと同じ楽曲をプレイする、その時間も――このゲームにハマっている理由の一つかもしれなかった。
華火には同年代の友人はいない。一応籍のある学校には同級生がいるはずだが、特に交流はない。そもそも実際は通っていないのだから当然だ。小学校には通っていた。だが周囲とは話が合わなかった。プレコグ――未来予知という能力を持っている以上仕方ないのかもしれなかったし、理由はそこではないのかもしれなかった。
「……あーあ、思い出すんじゃなかった。くだらない」
自分に呆れた、という風に呟き、簡易キッチンに向かう。冷蔵庫からペットボトルのコーヒーを取り出してコップに注ぎ、ついでに帰りにコンビニで買ってきたレアチーズケーキも取り出す。
「こんな時間に……しかもこのあと寝るのに……ふふっ」
にやりと笑ってからそれらを持って元の位置に戻ると、レアチーズケーキを開封した。プラスチック製のフォークをケーキに入れると、口に運ぶ。
「うまっ。視えてたとは言え、うまっ。やるなアーバン」
華火としては最大級の賛辞をコンビニに贈ると、コーヒーを飲みつつ黙々とレアチーズケーキを味わった。ブルーベリーソースの掛かった定番の、しかし開発部が本気を出した一品だった。
「さーてと、ん? メッセ来てるな?」
ふとスマートフォンの通知ランプに気づき、華火はそれを確認する。
「あ、内海さんだ。あー、例のやつか。了解です、っと」
同じ非科捜所属のプレコグの先輩、内海からのちょっとした業務連絡であった。送信するとすぐに既読が付き、遅くにごめんね、とスタンプが返ってくる。
「ふふっ、内海さん何だよこのクセ強な猫……猫だよな? くくくっ、ふふっ」
スタンプのキャラクターがツボに入り、そのキャラクターを検索した。
「っくく、こんなのいるんだ。っていうかクマなのかこいつ」
キャラクター名を把握してから、華火もスタンプで返信する。するとまたそのキャラクターのスタンプで、お疲れさま、と返ってきた。リアクションで返し、アプリを閉じる。
「……っふふ、ダメだ、居着いたかもこいつ」
味のあるタッチで描かれた猫、ではなくクマのキャラクターを気に入ってしまい、SNSで展開されているというそのキャラクターの漫画を少し追ってみる。
「ふはっ、意味わかんない、おもしろっ」
一通り笑ってから画面を閉じると、そろそろ時刻は夜十一時に近づいていた。
「よし、そろそろ寝るかな。明日も忙しそうだし」
軽く伸びをして、歯磨きをするために洗面台に向かう。華火は意外と、規則正しい生活をする方であった。
歯磨きも終えて口をゆすいでいると、
「うわあ、明日も忙しそうだな、ま、何とかなるだろ」
ふと視えてしまった明日の自分の姿に苦笑してからベッドに向かう。
「はい、寝る」
ベッドに潜って宣言するように言うと、華火はすぐに眠りに落ちた。




