Episode.5 形式上の叱責
※本編第二章5で明かされる設定の軽いネタバレを含みます。
Ep.4「エキスパートの好奇心」の後日譚です。
「うふふー、さてー」
二・五階、特殊捜査部、早乙女部長の執務室。
普段はどこにいるのかすら把握できないこの部屋の主は、しかし現在珍しく在室しており、その部署の一つである魔捜――魔力捜査室の長、羽佐間螺旋を目の前に立たせていた。
「…………」
螺旋は静かに、次の言葉を待っている。
「ラセンさんー、何故ここに呼ばれたかはー、お判りですよねー?」
早乙女の口調はいつものように間延びしており、その表情も和やかである。しかし。
「――先日発生した、拡張空間への権限外の接触の件だと認識しております」
螺旋は姿勢良く佇んだままで答えた。
「うふふー、そうですねー。ジュンさんがー、この拡張空間をー、ちょーっといじったこと、ですねー」
あくまで早乙女は穏やかである。
「経緯をー、説明してー、頂きましょうー」
「……別件の構造式のエラーを修正していた黒峰が、拡張空間の構造式への応用を思い付き、プログラムの試作を行いました。その試作品を誤って起動したことが原因です。黒峰の単独での残業を容認してしまった私の監督不行届きの結果です、申し訳ございません」
淀みなく言い終えると、螺旋は頭を下げる。
「うふふー。ジュンさんはー、その応用でー、何をするつもりだったのですかー」
早乙女はどこか楽しげですらあった。
「聞き取りによりますと、拡張空間内の移動や管理を効率化及び最適化を求めた結果です」
「なるほどー、うふふー、ジュンさんらしいですねー。ちなみにー、許可はー」
「取っておりません。黒峰の越権は充分に想定できました、管理を徹底すべきでした」
螺旋は再び頭を下げた。
「そうですかー。ではー、再発防止策はー、ありますかー?」
「……業務量の再調整、及び必要な許可の都度申請、正式手順を踏ませるよう徹底します」
「そうですねー、判りましたー。さてー」
満足げに頷いて、早乙女は話題を変える。
「ここまではー、形式としてー、必要だったのでー……本当はー、ラセンさんを叱責するつもりなどー、ないのですー」
「…………」
「ジュンさんの所属はー、本来は情分なのでー、魔捜を束ねるラセンさんにー、責任を負わせるのはー、筋違いなのですがー」
「いえ、黒峰は魔捜で預かっているわけですから、魔捜で発生した事案の責任は私にあります」
「うふふー、ラセンさんはー、相変わらずですねー」
「…………」
確かに黒峰の本来の所属は、情分こと情報分析室である。しかし彼は、部署間の連携や任務のスムーズな遂行のために、魔捜に常駐している。事実上は魔捜の一員と呼んで構わない、と螺旋は認識していた。
「既にー、ジュンさんはー、情分のマドカさんのー、手にも負えないのでー、ラセンさんにー、お任せしているわけですがー」
早乙女はやはり楽しそうである。
「正直ー、ジュンさんの完全な制御などー、不可能に近いことはー、全員のー……審議官やー、参事官も含めたー、共通認識、なのですよー」
「…………」
早乙女の言葉は事実であり真実である。
類い希なる情報分析の才能と実力を兼ね備えている黒峰がいなければ、回らない業務も多い。処理速度も群を抜いているし、正確性もトップクラスである。
しかし、その底なしの好奇心が、たまに災害クラスの事象を発生させる。
本来の上司である情分室長である宝生の手には、既に追えない。黒峰の発生させる被害を最小限に留めながらその能力を活かせるのは――実質、秩序の魔術師である羽佐間螺旋だけなのだ。
――これでも、事象の被害は最小限に抑えられている。
「ジュンさんをー、切るという選択肢もー、ないわけですしー」
早乙女は笑みを湛えて言う。
「ラセンさんにはー、ご苦労をお掛けしますがー……ジュンさんをー、お願いしますねー」
「……はい」
「うふふー、一応ー、ジュンさんにはー、先ほどの再発防止策をー、徹底しておいて下さいねー」
「はい」
「ではー、戻って頂いてー、結構ですー」
「はい。失礼します」
螺旋は頭を下げると、部屋を辞した。
「うふふー……ラセンさんにー……無理をさせすぎているとはー、思っているのですがー……」
一人残った早乙女はそう呟いて、数瞬どこか切なげな表情を浮かべる。
やがていつもの不思議な笑顔に戻ると、その場から忽然と姿を消した。
無人の執務室だけがそこに残った。
魔捜部屋の前まで戻ってきた螺旋は、一度だけゆっくりと呼吸をしてからそのドアを開けた。
「あ、螺旋さんお帰りなさい!」
結崎つづりが元気に出迎える。
「……ただいま戻りました。変わったことは起きていませんね」
「何も起きてません、羽佐間さん」
応えたのは高瀬藍一郎だった。
「……螺旋さん、すみませんでした」
黒峰が珍しくしょげた様子で謝罪する。
「……領域外のデータに触れる際は、必ず事前の申請を行ってください」
「はい」
「権限を持たない領域には決して触れないことを約束してください」
「気を付けます」
「……約束してください」
「……約束します」
「それから業務量の調整を行います――暇にならない程度に」
「……はい」
一通り通告し終えると、螺旋は小さく息を吐いた。
「うんうん、確かに黒峰さんの一番の敵は――暇、ですからね」
つづりがやけに神妙な顔で頷き、
「時間があったら……何かとうっかり越境するじゃないですか」
そう続ける。
「確かに、自分がここに来てから既に数回……やらかしてますからね」
高瀬も頷いた。
「……反省は、してるんだよ。その度に螺旋さん……今日みたいにほら、早乙女部長に呼び出されるし……」
いつもは爽やかな笑みを浮かべていることの多い黒峰が、珍しくばつの悪そうな顔をしている。
「反省していらっしゃるのならばもう少し気を付けて下さい」
螺旋は淡々と一息で言い、それから諦念の表情を浮かべた。
「……さて、業務量はどの程度増やすかですが、ひとまず……黒峰さん、今回のアクシデントに対して適用した修正プログラムがありますね」
「はい」
「作成はどのように行いましたか」
「甲斐室長たちと連携して、対症的にリアルタイムで組み上げました」
「――では、黒峰さんの端末に存在するそのプログラムを、一度完全に消去して下さい」
「……はい」
「え、全部消して大丈夫です?」
つづりの疑問に、
「甲斐さんが同じものを所持しているので問題ありません。黒峰さん、消去は完了しましたか」
螺旋が応えて再び視線を黒峰に戻す。
「はい、完了しました」
「では――同じ事象が発生した際、より迅速で正確な対応が可能なプログラムを作成し直して下さい。通常の業務も並行して行って下さい」
「……了解です」
「えっ、可能なんすかそんな――」
「あはは、高瀬さん、黒峰さんなら可能っていうか、負荷としてはちょうど良いと思いますっ」
「……マジかよ」
高瀬は呆れたような目を黒峰に向ける。
「あははっ、高瀬くんそんな目で見ないでよ、僕もちゃんと反省はしてるよー」
少しばかり的外れな言葉を吐きつつ、黒峰の両手は既に端末を凄まじいスピードで操っている。
「…………」
螺旋はそんな様子を見て再び嘆息し、
「……面倒ですが、仕方がありませんね」
誰にも聞こえないような声で静かに言った。
それでも黒峰は懲りずに次のアクシデントを発生させることになるのだが、それはまた別の話である。




