Episode.3 生活しない最強魔術師
羽佐間螺旋の異変に気付いたのは、後処理の報告のために――少なくとも表面上の理由はそれである――魔捜部屋にやって来た二階堂左近だった。
「……あれ? 螺旋ちゃん?」
「…………はい」
「体調悪いよね?」
「…………いえ」
「悪いよね?」
「…………特に悪くありませんが」
そのやり取りで、高瀬藍一郎と結崎つづり、黒峰準も改めて螺旋を観察した。
「そう言えば受け答えがいつもより……」
「今日、ちょっと遅いですね?」
「……あれ、螺旋さん、熱ありません? この端末によると――」
「…………熱などありませんが」
「螺旋さん失礼しますねー」
つづりが距離を詰め、螺旋の額に手を当てる。
「あ、これはダメです、明らかに熱あります!」
「…………?」
螺旋は、理解できないと言った様子で小さく首を傾げる。
「本人に自覚がない!」
「あー、これ多分あれだ、魔力循環に負荷が掛かりすぎて発熱してるやつだぁ」
「……ああ、あれですか」
二階堂と黒峰が勝手に納得しているのに、
「ちょっと何すかそれ、説明して下さい」
高瀬が割り込んだ。
「いやぁ、螺旋ちゃんって生命維持を魔力で回してるでしょ? その結果、判りやすく言うと……身体が悲鳴を上げてるやつだねぇ」
「ダメなやつじゃないすか!」
「…………?」
「螺旋ちゃん、早退しな。幸い今のところ重大案件抱えてないよね、魔捜」
「…………いえ、由来がそれならば感染の心配もないですし、特に問題はありませんので早退の必要は――」
「問題あります!」
高瀬、つづり、黒峰の声が重なる。
「螺旋さん、もしこの状態が続いて、そこに緊急案件とか入ってきた場合――パフォーマンスの低下は避けられません」
黒峰が即座に端末にグラフを表示させ、にこやかに見せる。
「この熱は起きてちゃダメなやつです! ああもうっ、何で気付かなかったんでしょうわたしたち!」
「羽佐間さん! 早退して下さい。休んで下さい」
つづりと高瀬もそれぞれ強い口調で言った。
「…………ですから――」
「いいから!」
魔捜部屋のメンバー三人に同時にきつく言われた螺旋は、小さく息を吐いた。
「…………判りました」
「螺旋さんのお家までテレポートさせたいですけど……この状態でのテレポーテーションは危険ですっ」
「結崎くん大丈夫、車出そう。高瀬くん、送り届けて」
「はい? 自分がですか?」
「そ。僕はこのあと別の案件あるし」
「高瀬くん、頼んだよ。住所はね――」
すぐに黒峰がさらさらと、都内のマンションの名称と部屋番号を述べる。
「……判りました、責任を持って送り届けます。あ、一応咲坂さんに連絡しておきますね」
螺旋の幼なじみであり医師である咲坂伶那の存在を思い出し、この時間ならば恐らく診療時間中のためすぐには対応できないだろうが、と高瀬は要点だけ短くまとめ、送信する。どのみち螺旋の部屋に自分が立ち入るわけにもいくまい。
伶那は割と定期的に螺旋の面倒を見ている様子だったから、どうにかしてくれるだろう、と判断する。
「……とりあえずこれで良いですね、それでは羽佐間さん」
「…………はい」
まったく納得はしていない様子で、しかし仕方なく螺旋は頷いた。
拡張空間である二・五階を出てから庁舎を出るまで、確かに彼女の足取りはやや覚束なかった。
咲坂伶那が螺旋の部屋に到着したのは、彼女が高瀬によって送り届けられてから小一時間ほどした頃だった。最短で他の仕事を切り上げた結果である。幸い本日の患者数はそれほどいなかった。
「螺旋、生きてるー?」
こんな時のために持っている合鍵で部屋に入ると、伶那は螺旋の寝室を目指した。返事はない。
「……にしても相変わらず、生活感皆無の部屋ね」
リビングを横切りながら伶那は呟く。
必要最低限の数の家具と、まったく使われている様子のないキッチンが目に入った。
「螺旋、開けるわよ」
寝室のドアを開ける。ベッドとクローゼット、姿見、以上。
そのベッドに、螺旋は静かに腰掛けていた。
「…………伶那さん?」
「いや座ってないで寝てなさいよ! まったくあんたって子は! で、熱は何度?」
「…………測っていません」
「測れ!」
伶那はバッグから体温計を取り出して突きつける。螺旋は黙ってそれを受け取った。計測終了の音が鳴ると、伶那は無言で寄越せと手を出す。螺旋は大人しく従った。
「ああ、これは……やらかしたわね。はい寝る」
螺旋が大人しく横になったのを見届けると、伶那は布団を掛けた。
「とりあえず何か食べるもの持ってくるから、寝てなさい」
「…………はい」
伶那は冷蔵庫を開け、そして中を見て一旦閉めた。大きく嘆息してもう一度開ける。
中に入っていたのは、軟水のミネラルウォーターのペットボトル、以上、だった。
「……進歩がない」
予想はしていた。だからここに来る前、念のために食材は調達していた。
鍋類も包丁もまな板も、伶那が少し前にここに来たときとまったく同じ場所から微動だにしていなかった。唯一稼働している形跡があるのは、無駄に種類の多い茶葉とティーセット類が整然と仕舞われている棚と、湯を沸かすためのケトルだけだ。
「……まあ料理をしてるとは思ってなかった。想定内よ」
自分に言い聞かせるように言って、卵粥の調理を始める。当然のように炊飯器が稼働している様子もなく、彼女は調達していた食材の中からレトルトご飯を取り出し、電子レンジにかけた。なお電子レンジは元々このキッチンに存在していなかったのだが、伶那の介入によって導入された。しかし依然として、伶那がここにいない日に使われている様子はない。
レトルトの白米が食べられる状態になると、それを鍋に移し、ついでにチューブの薬味や刻み葱、調味料と水などを加え、粥と呼ぶよりは雑炊に近いものを作り始める。少しでも品目を摂らせようという魂胆である。
本当なら他にも数品食べさせたいところだが、螺旋にとっては現状、この雑炊が限界だろう。
ふわりと美味しそうな湯気を立てる雑炊を小さな椀――無論これも伶那によって用意されたものだ――によそうと、グラスに入れた水やスプーンとともにトレーに載せ、それを寝室まで運んだ。
「螺旋、一旦起きて。食べる」
「…………」
大人しくベッドに横たわっていた螺旋は、視線だけで拒否の意志を示した。
「食べる」
「…………」
螺旋は目を逸らす。
「あんたねえ……!」
トレーを持ったまま――トレーを置くためのテーブルが存在しない――伶那は静かにキレた。
「いい加減にしないと――」
「…………いただきます」
螺旋は観念したように、もそもそと身を起こした。
「まったく、手間掛けさせないでよ。はい、熱いからね」
伶那は螺旋にトレーを手渡した。
「…………いただきます」
再び螺旋は言うと、ゆっくりとスプーンを手に取る。
「…………わざわざ食事を摂るのは……非効率です」
「効率の話してないから!」
「…………魔力で賄えます」
「賄えてないから熱出てんの!」
「…………」
小さく一匙すくい、口元に運ぶ。
「それ全部食べきりなさいね。これ命令ね」
「…………はい」
「ったく本当に、世話が焼けるったらありゃしないわ」
「…………すみません」
「反省してるんなら繰り返さない! これを! 何度目よ!」
「…………覚えていません」
「ああもう! あんた生きる気ある!?」
「…………特に死ぬ気はないのですが」
「なら食え! 寝ろ! 休め!」
「…………ですからそれは、魔力で――」
「賄うな魔力で!」
「…………伶那さん、大きな声を出されると頭が痛いです」
「何故そうなったのかを考えなさい!」
「…………」
反論に意味はないことを悟り、螺旋は静かに食事に戻った。雑炊の減りは遅い。
それでも椀の中をどうにか空にしたのを見届け、伶那は腕を組んだまま言った。
「はい、じゃああとは寝る。休む。冷蔵庫に経口補水液入れてる、あとで飲んどきなさいね」
「…………はい」
「絶対に飲みなさいね」
「…………はい」
「またあとで確認に来るから、飲んでなかったら――解ってるわね」
「…………はい」
「ったく。じゃあね螺旋、あたしは一度クリニックに戻るわよ」
「…………ありがとうございます、伶那さん」
「こっちも忙しいんだから、手間掛けさせないでよね」
「…………すみません」
「別にいいけど。あとでまた来るから」
最後に圧を掛け、伶那は螺旋の部屋をあとにした。
「本っ当に――世話が焼けるんだから」
合鍵を使って施錠すると、伶那は呟き、そして、ほんの少しだけ微笑んだ。




