Episode.19 夜明けへの導き
出だしは少し毛色が違いますが、繋がります。
泣き疲れた少女が出会ったのは、豪奢なドレスに身を包み、その肩に白梟を連れた美しい女性だった。
そしてそれは、間違いなく少女にとっての夜明けだった。
* * *
それまでいたはずの世界から、少女は突如として切り離された。転移した先は闇の中だった。
「こ、ここ、どこ? 真っ暗で怖い……お母さーん?」
両サイドで髪をお団子にまとめた少女は、母親を呼んだ。しかし返事はなかった。どころか、人の――否、生き物の気配すらない。
直前まで、少女は公園からの帰り道にいたはずだったし、元気に駆けるその後ろに母の姿があったはずだった。それがどういうわけか、次の瞬間には真っ暗闇に放り出されたのだ。
ほんの五歳程度の小さな女の子にとって、それだけで十二分に恐怖に値する出来事だった。
耳を澄ましても母の声は聞こえないし、しいん、と静寂の音がするだけだ。
「お母さーん?」
もう一度呼んで、それでも返事がないことを悟ると、少女は声を上げて泣き始めた。そしてそれがきっかけになったかのように、少女はまた別の空間に飛ばされた。その瞬間に少女の左目がチカッと光ったことに、彼女自身は気付かなかった。
少女はごく普通の家庭に生まれ、ごく普通に生活していた。
少なくとも少女自身の認識と、彼女の周囲の認識はそうだった。そして周囲の認識とは、いわゆる社会からの認識と等しかった。そのはずだった。
しかし少女には、誰も――本人すら知らない能力があった。
テレポーテーション。
それが、その能力を表す言葉として知られる言葉だ。そして、言葉としては知られるものの、通常それはフィクションの世界の中のものとして認識されている。本当にそんな能力を使える人間がいるなどとは、誰も思わないだろう。
実際、少女の家族も周囲も、無論本人も、そのような認識などなかった。
だから誰も予想などしなかった。
ある日突然その能力が暴走し、まるで神隠しにでも遭ったかのように彼女が姿を消してしまう、などとは。
それが、結崎つづりのバックボーンであった。
真っ暗な世界の次に飛ばされた空間は、不穏な色をした渦巻きで構成されていた。
上下左右の感覚が、解らなくなりそうだった。少し歩くともう、立っているのか、それとも倒れているのか、それすらも少女には――つづりには理解できなかった。
「何、ここー……もう、もう、やだー、おうちに帰りたいよー!」
つづりはべそをかきながら、やがてその場に座り込んだ――座れたのかどうかも、解らなかった。
ただでさえ元気いっぱい公園で遊んだ直後である上に、能力の暴走で二つの空間を転移した結果、幼いつづりは疲れ果てていた。
怖くて、不安で、そしてへとへとに疲れて眠い。
不気味な渦が支配する空間で、泣き疲れた彼女は不可抗力でうとうとし始めた。こんな場所で眠っちゃダメだ、と子供心に思いながら、しかしもう彼女に抗う術はなかった。必死で目を開けていようとしたが、次の瞬間には意識を手放していた。
だからその女性の姿に気付いたとき、それが夢なのか現実なのかは理解できなかった。
「――あなたは」
ワインレッドのドレスを着た女性は、そう紡いだ。
お姫さまみたい、とつづりはぼんやりと思った。
女性の長い、ほんのり緑がかった黒髪には、小さな宝石が連なった冠のようなものが光っている。右肩に白いフクロウが止まっていて、そのフクロウは不思議な色の瞳でつづりを見ていた。
「どこから来たのかしら?」
そのお姫さまの声は、どうやらつづりに向けられていた。お姫さまはしゃがんで、つづりに目の高さを合わせていた。
つづりは少しの間考えて、
「わからない」
そう答えた。それから、
「……公園にいて、お母さんとおうちに帰ってて、そしたら真っ暗になって、それで、ここにいるの」
力の限りを尽くして説明を試みた。
「……そう」
お姫さまは少し微笑んでそう言うと、
「私は夜明けの魔術師、宵宮暁音というの。あなたは?」
そう続けた。
「わたしは……ええとね、知らない人に、名前を教えちゃいけないの」
つづりは母の言いつけを守る。暁音と名乗ったお姫さま――魔術師は、ふふ、と微笑んだ。
「そうね、確かにそれは正解だわ。じゃあ……手を握らせて貰っても良いかしら?」
「……ええと……」
つづりは困った。お姫さまのような魔術師は、悪い人には見えないけれど――知らない人の手を握るのも、良くないことのように思える。けれど――ここには、他に人の姿も見えない。そもそもつづりの住む街の風景の欠片もない。周囲にあるのは不気味な渦だけだ。
「……お姫さま、わるい人じゃない?」
「ふふ、私はお姫様じゃないわ。魔術師よ」
「……魔術師って、こわい人?」
絵本で見た悪い魔女の仲間ではなさそうだったが――それに絵本の魔女が連れていたのは、きれいな白いフクロウではなくもっと不気味な鳥だったし――つづりは質問を重ねる。
「魔術師は悪い者でも怖い者でもないけれど――力の使い方によってはそうなってしまう者もいるわね。けれど私は――助けることを使命としているの」
暁音は微笑んだ。その言葉にも表情にも、嘘はなさそうだった。
「……手、握っていいよ。でもね、怖かったらわーって、大きい声で言うからね」
つづりはそっと手を差し出した。
「ええ、ありがとう、怖い思いはさせないわ」
言って暁音は、つづりのその小さな手をそっと包んで目を閉じた。温かくて優しい手だ、とつづりは思った。
「……なるほど」
ややあって、暁音は目を開ける。その深い緑色の瞳は、静かな光を湛えていた。
「状況は理解したわ。あなたは――こちらとは違う軸から来たのね」
「……ちがうじく?」
つづりはきょとんと首を傾げる。そして不安げに続ける。
「……わたし、おうちに帰れる? お母さんは?」
「それは……」
暁音はほんの少し寂しそうに言い淀んだ。
「――難しくなってしまったかもしれないわ」
つづりは理解できなかったが、暁音は把握していた。この少女をこちらの軸に転移させた、暴走した彼女自身の力は、既に彼女を元の軸から切り離してしまっている。恐らくこの少女の元いた軸は、こちらの軸と並行して存在する世界だ。同じような文化で、同じような文明を持ち、時代すらほぼ同じくする同じ国でありながら――本来は決して交わることのない世界だったはずだ、ということを。
少女が元いた軸に戻ることは――もう不可能に近い。
最初の真っ暗な空間ならば、まだ手はあった。自分がそこに間に合っていれば、少女をもっと的確に救えた――母親の元に返すことができた。
「ごめんなさい、私が――もっと早く気付いていれば」
暁音は心底詫びる表情を浮かべる。
「仕方ないわ、暁音。全てを等しく救うことなどできないのだから」
「鳥がしゃべった!?」
「ミネルヴァ、レディを驚かせてはいけないわ」
「ふふ、ごめんなさい、暁音」
フクロウはそれほど悪びれた様子もなく言って、再びつづりに言葉を向ける。
「賢いレディね、つづり」
「何でわたしの名前を知ってるの!?」
「ふふっ、それは私が夜明けの魔術師の使い魔だからよ」
答えになっていないような気がしたが、つづりは何も言えなかった。
「――あなたは結崎つづりちゃん、ね。そういう運命を背負った――けれど強くて賢いレディ。あなたを元の世界に帰すことはもう難しいようだけれど……間に合わなかったせめてもの償いに、こちらでの居場所を整えさせて貰ってもいいかしら?」
ドレスを着た魔術師は、そう言った。
その言葉のほとんどを幼いつづりは正確には理解できなかったが、この人になら任せても大丈夫だろう、と、それだけは何故か確信できた。
だからつづりは頷いた。
周囲の不気味な渦が、馴染みのある、但し正確にはつづりのよく知る街ではない景色に変わっていく。
「この力となると――彼女が適任ね。さあ、行きましょう、〈夜は終わるわ〉」
喋る白いフクロウを肩に載せたドレス姿の女性に手を引かれ、つづりはやがてこの軸での親代わりとなるある女性の元に辿り着くことになる。
そこで彼女は能力を使いこなす術を身に着け、やがて――
大人になったつづりは、警察庁刑事局特殊捜査部、空間管理室、通称空管に所属しながら事実上は魔捜こと魔力捜査室に常駐する、空間認識力に優れたテレポーターとなる。
そして、あの時彼女を救った夜明けの魔術師、宵宮暁音は――
その真実を知ることになるのは、もう少し後のことである。




