Episode.17 探索しないはずの午後
未解、と略される未解決事件特別捜査室には、ポニーテールの女性と緋色のショートカットの女性が在室していた。
部屋の奥にデスクを構えるポニーテールの年若い彼女が、室長である柊智歩。その手前、向かって右のデスクに陣取っているのが部下の四條千早だ。普段この部屋にはもう一人、時間軸に対する補助能力者で協力者の十六夜尊も常駐しているが、今日は彼はいなかった。
「たけるん、大丈夫かなぁ」
不意に智歩が呟いた。
「ま、少年、最近ちょっと無理してたっぽいしな」
千早は特殊な銃――魔法銃を手入れしながらそれに応じる。
ここは警察庁刑事局、特殊捜査部。各部署は二・五階という拡張空間にその部屋を構えている。在籍するのはそのほとんどが、何かしらの異能を所持する人物だった。
智歩の能力は時間軸への干渉。それを用いて、過去に発生した各種未解決事件に、ある程度の干渉を行っている。時空探索者という異名を持つ存在だ。千早の役割は、智歩の援護だ。魔法銃を用いて時間軸に生じる歪みを破壊している。尊は数学の天才であり、その演算能力で智歩を支援する高校生――しかし実質はほぼ未解の職員で、高校にはほとんど通っていない――である。
そして尊は、あまり体が丈夫ではない。二日前から熱を出して寝込んでおり、欠勤中である。
「だよねぇ、なのにこないだもちょっと大がかりな演算頼んじゃって……」
智歩は悔やむように声のトーンを落とし、視線を下げた。それから、
「本来なら、こんなとこに所属する年齢でもないんだよねぇ、その辺は華火ちゃんとかもそうなんだどさ」
同じく特捜の一部門、非科捜こと非科学捜査研究室所属のプレコグ、真山華火の名を出した。華火は年齢としては十四歳、しかし特例で所属する正職員だ。
「まあそこは同感ではあるけど、けど嫌々所属してるわけでもなさそうだよな? かなりの重責ではあるけど……選び取った立場でもある」
千早は言って、手入れしていた魔法銃をデスクに置いた。
「冷静に考えると色々ヤバい気もするけど――規格外じゃん、真山も少年も」
「それはそう」
智歩は苦笑してから続ける。
「けどさ、ちはちゃん。あたしたちみたいな人間がこんな風に影で動かなくていい正常さが保たれてる世界だったとしたら――たけるんも華火ちゃんも、ふつーの高校生とか中学生、できてたんじゃないかなあって時々考えちゃうんだよね」
それを受けて、千早は目を細めた。
「……どうしたんだよ室長、何かあったか?」
時間というほぼほぼ神の領域を扱う能力を持つ智歩の、常に迷いを持たずに覚悟を背負う姿からは似合わない言葉に、普段の彼女の姿には僅かな虚勢も混じっているのかもしれない、と、千早は今さらのように思い至ったのだ。
「あー、ごめんごめん、別に何もないよ」
智歩は笑顔を作り、顔の前で両手を振った。
千早は智歩の部下である。しかし年齢は千早の方が六つほど上だ。重責を負っているのは智歩も――そして千早もであるが――例外ではない。
「…………」
千早は無言でデスクの上に置いてある小さな缶を開け、中からキャンディを三つほど取り出した。それを片手に握って智歩のデスクに向かい、
「……手、出して」
「ん?」
「はい」
差し出された智歩の手のひらに、キャンディを載せた。
「おー、ありがと、ちはちゃん」
智歩はキャンディを見て、おかしそうに笑う。千早のお気に入り、謎キャンディ。個包装の袋には独特なフォントで『謎』の文字が記されている。見た目からして市販品のはずだが、智歩はそれがどこで売られているのかは知らなかった。少なくとも智歩の生活圏内のコンビニやスーパーでは見かけない。千早がそれをどこで調達しているかも含めて謎である。
「異能持ちに生まれた時点で、一般的に言われる普通とか正常とかはそもそも私らの基準にはなんないじゃん。あんま気に病むなよ室長」
「あはは、まあそれもそうだね。ありがと」
「それに――少年も楽しそうじゃん? 演算してるときとかさ」
実際、尊が数式に対峙する姿は活き活きとしている。普段の彼の、何かに怯えるような口調からは想像もつかないくらいに。
尊は誰かと会話をすることが得意ではないのだ。数学の神に愛されるがゆえに周囲とあまり話題が合わないことも理由の一つであったし――彼の頭の回転速度はいっそ異常値と呼べるほどなのだ――人見知りな正確がそれに拍車をかけてしまう、というある意味悪循環が成立してしまっている面がある。
「確かにね、楽しそう。うん、それは確かに」
謎キャンディを早速一粒口に入れ、その独創的な味わいに無意識に首を傾げながら智歩は返した。
「……いやー、あたしも疲れてたのかな。だよねー、何が正常か、なんて、そんなの視点次第で変わっちゃうものだしねぇ。ま、それでも最低限の基準値を守るために、あたしたちがこんな部署であれこれやってるわけだけど。っていうかちはちゃん、このキャンディって何味?」
「ま、秩序と安全の最低ラインはあるからこそ、こんな部署でだけど私らは警察官やってるわけだし。ちなみに謎味な」
「いやちはちゃん、このキャンディ最早……概念じゃん……」
不味いとも言えないが、美味しいと呼ぶのも微妙に違うキャンディを口の中で転がしながら、智歩は笑った。
「そこが癖になるわけ」
にや、と笑って、千早は自分もキャンディを口に入れた。
「……聞いていい? ちはちゃんこれ、どこで買ってるの?」
「秘密」
「市販品だよね?」
「……ノーコメント」
「ちょっと今の間は何!? 違法なやつだったらシャレになんないよ?」
「ははっ、さすがに公僕としてそんなモンには手ェ出さないよ」
千早が噴き出し、智歩も冗談だよ、と笑う。
「駄菓子屋。実家の近くの――けどあのばあさん、私が子供の頃から変わんないんだよなぁ。能力者だったりして」
「ちはちゃんってちょこちょこ実家の方に帰ってんの? ちょっと遠くなかったっけ?」
「んにゃ、たまに帰ったときに大人買いしてる。大体もう実家には誰もいないし、そもそもあの田舎も――」
そこで千早は言葉を止めた。
「――駄菓子屋のおばあさんは年を取らない……なるほどねぇ」
智歩は興味深そうに引き取って、
「ホントさ、二・五階に限らないよね。超能力と地続きの世界」
意味ありげな笑みを湛えた。
「……だな。私らが慣れすぎてるから逆に不思議に思わないだけで、何かと――時空も次元も異界も……ちょこちょこ交錯してるのかもな。まあだからこそ、こういう部署が必要とされるわけか」
千早も得心したように頷いた。
未解も含め、警察庁刑事局特殊捜査部とは秘匿された部署である。一般には超常現象とされるような事象を秘密裏に解決し、世界の表面上の秩序を整えるためだ。
一般的に何でもない日常と認知される中に侵入してくる、あるいは干渉してくる良からぬモノを排除または断絶し、人々が認識する正常な、現代の科学で説明できるような日々を密かに守る――それがこの部署に課された使命だった。
それは裏を返せば、異常とされる――例えば科学で説明できないような物事も、何食わぬ顔で正常とされる世界に紛れ込んでいるとも言えた。
「あたしたちが干渉する必要があるレベルになると厄介なんだけど――ま、無害な分には様子見、が鉄則だしね。にしても謎味、ねぇ……あ、たけるんからメッセ」
短い受信音を発したスマートフォンを、智歩は手に取った。
「お、熱も下がったみたい、明日から復帰できそう、って――明日はまだ様子見た方がいいんじゃないかなぁ、っと」
素早く返信する智歩に、千早もうんうんと頷く。
「ま、熱下がったんなら一安心。さってと、にしても今日は久々に静かだよね……とか言っちゃうとフラグが立つわけだけど」
謎キャンディを舐め終わり、智歩は伸びをした。
「フラグ立てんなよ、室長。最近何かと立て込み過ぎてたんだから」
それを受けた千早は苦笑して、二個目の謎キャンディに手を伸ばした。




