Episode.16 古巣の仲間
本編初期の、とある昼休み
そろそろ冬と呼ぶ季節の、とある昼休み。高瀬藍一郎が昼食を手に入れるために近くのコンビニに向かっていると、
「あら、高瀬くん」
今となっては懐かしい声が聞こえた。声の主を振り返りつつ、
「雨野先輩じゃないすか」
かつて警視庁捜査一課に所属していた頃、同じ係に所属していた先輩の名を口にする。
「――と、国見先輩も。お疲れ様です」
雨野怜香の隣には、同じく五係の刑事、国見一沙の姿もあった。
「よお高瀬、お前何やら急に異動になったけど、元気でやってるか?」
国見は気軽な調子で問う。
実際、急な異動ではあった。名目上は人事交流、しかしその実態は極秘部署への転属である。
警察庁刑事局特殊捜査部、魔力捜査室、通称魔捜。それが高瀬が放り込まれた部署だった。どうにか慣れてきたものの、依然としてその部署での仕事は常識から逸脱するものだ。
「えー、と、はい、まあ……」
だから高瀬は曖昧な笑みを浮かべて濁した。いずれにせよ、その部署の存在を知られるわけにはいかないのである。同じ警察関係者であっても、だ。
「何だぁ高瀬、その返事は」
からかうような笑みを浮かべる国見に、高瀬はただただ曖昧な笑みを返すことしかできない。国見は直感力に優れる先輩刑事だ。下手なことを言えばぼろが出る恐れがある。十二分にある。
「まあまあ、国見さん」
怜香がにこりとたしなめた。それから、
「そこそこやれてる?」
高瀬に柔らかな目を向ける。高瀬は少し迷ってから、
「やれ……てんすかね、自分は……」
「……高瀬、何かあったか?」
国見の光を帯びた目が細められた。観察する目だ――刑事として。
「あ、いや?」
内心冷や汗を浮かべつつ、高瀬は必死に取り繕う。
「ええ、と、まだそこまで慣れてないんで、足を引っ張っていないかな、と」
魔捜という部署の主な職務は、悪魔の逮捕――封印である。当然高瀬にそんな能力はない。その主戦力は魔術師を名乗る上司、羽佐間螺旋であるが、一体何のために自分がその部署に呼ばれたのか、高瀬はまだ理解していない。
――高瀬にそんな能力はないし、他のメンバーが持っているような超能力とも無縁なのだ。あくまで高瀬は一般人で、普通の刑事のはずなのだ。
「ふふ、五係に帰って来たくなってない?」
怜香に問われ、また僅かな時間彼は考えた。
「……あー、いや、とりあえず必要とされてる間は、警察庁でやっていくつもりではあるんすけど……」
――本当にあの特殊な部署に自分が必要とされているのかどうかは、判断しかねるのだが。
「おー、頑張れよ高瀬」
「あざっす、国見先輩……ところで、お二人が組んでるってことは、そっちまた何か抱えてますね?」
「まあな、何かと起きるからなー、毎日」
国見の言葉で、まだそれほど過去にはなっていない強行犯捜査五係での日々が蘇ってきた。事件の度に走り回り、聞き込みや張り込みに勤しんでいたのが遠い昔のことのようだ。現在の高瀬が相手にしているのは、彼自身には視認することができない悪魔なのである。改めて考えると、ファンタジーにも程がある。
「…………」
急に黙り込んだ高瀬を少し気の毒そうに見やってから、怜香が口を開いた。
「けど、元気そうで安心した。ね、国見さん」
「だな。五係どころか両隣まで、高瀬が潰れてないかって話題になってたからな」
ニカッと国見が笑い、怜香も困ったように微笑む。
「……あざっす。皆さんも変わりないんすね」
「ああ。みんな相変わらずだよ。そういや雨野、一昨日だったよな? 課長の雷が落ちたの」
「はい。久々でしたね」
「うわあ……」
捜査一課の隠れた名物、原木課長の雷。それすらも高瀬には、既にひどく懐かしい。
「そのうち課長、血管切れるんじゃないかって心配なんだけど」
怜香が眉を下げると、
「まあそんときゃ、自業自得ってやつなんじゃね?」
国見が軽口で応じる。
「ちょっと、国見さん?」
「あっはっは、冗談だって」
「ははは……」
腰に手を当てて微かに睨む怜香を、あくまで軽い調子で国見は受け止める。五係での日常に戻ったような空気が漂った。
そう、日常とはこういうものだったはずだ。高瀬はすっかり悪魔やら魔術師やら超能力やらが平然と存在する世界に馴染み始めてしまっているが、それらは本来ならば非日常の、空想と言われても仕方ないものである――はず、だ。
「で、高瀬、そっちはどうなんだ?」
ふいに国見に問われ、高瀬は言葉に詰まった。
――言えない。直属の上司は警視という階級も室長という役職も嫌い、あくまで魔術師を名乗ることも、当たり前のように超能力が飛び交っていることも、悪魔の逮捕現場に立ち会っていることも――何一つ、言えない。言えるわけがない。
「……あー、えー、と……」
「お? どうした高瀬、顔色悪くねぇか?」
「い、いや? 全然、そういう、わけでは……」
「……高瀬?」
誤魔化しきれない。細められた国見の目を見て、高瀬は直感した。国見のカンは――侮れない。
――どうする。
必死で思考を巡らせる高瀬に差し出された救いの手は、
「まあまあ国見さん」
妙に落ち着き払った怜香の声だった。
「異動自体すごく急でしたし、警察庁でしょう? 私たちには明かせないこともありますよ、きっと」
「あー、まあそりゃそうか」
国見は割にあっさりと引き下がる。
「……すみません」
「気にすんな高瀬、こっちこそ悪かった」
からりと言ってから、国見は腕時計をちらりと見た。
「っと、あんま駄弁ってる場合でもなかったな。雨野、そろそろ行くか」
「はい」
「あ、すみません、聞き込みか何かの途中だったんすよね?」
「気にしない気にしない、声かけたのこっちだし」
怜香が笑みを浮かべて明るく言う。先ほど差し伸べられた救いの手は妙に的確すぎる気もしたが、これ以上墓穴を掘りたくない高瀬はそれについては黙っていることに決めた。
「じゃあなー高瀬、元気でやれよ。またなー」
「またね、高瀬くん」
二人は手を振ると、目指すべき方向へ歩き始める。
「お疲れ様っす。皆さんにもよろしくお伝え下さい」
「おー、りょーかい」
後ろ姿のままで国見が片手を挙げ、そのまま歩いて行った。怜香は一度振り返り、どこか困ったように笑ってから国見のあとを追う。
少しの間その姿を見送って、高瀬も腕時計に目を落とした。
「……っと、急いで何か買って戻らねぇと」
午後からは、ここ数日魔捜で扱っている件の捜査に向かうことになっている。現在は束の間の休憩時間だった。相変わらず高瀬には理解しがたい案件で、それに対処できるのは恐らく、魔術師を名乗る羽佐間螺旋くらいのものなのであるが。
――五係に帰って来たくなってない?
つい先ほどの怜香の言葉が蘇った。
ほんの少しの間考えて、高瀬は微苦笑を浮かべる。
「……不思議と、そこまで五係に戻りたいわけでも――ないんだよな」
意味不明な超常部署での理解不能な日々も――高瀬には段々と日常として馴染んできている。完全にファンタジーとしか言えないはずの日々は、徐々に高瀬の常識を侵食している。
数々の事件をともにした五係の仲間たちは特別で、大切だ。それと同じくらい――魔捜の仲間たちも大切になっていた。
そんな自分に苦笑しながらコンビニに辿り着き、手早く昼食を見繕う。
それから高瀬はまっすぐに、魔術師やテレポーター、テレパス、予知能力者、情報のエキスパート――普通では考えられない面々が待つ魔捜部屋に引き返した。




