Episode.15 見えない部下たち
警察庁刑事局、特殊捜査部に存在する霊監こと霊魂監察室はいつものように薄暗く、入り口から最も離れたデスクに座る室長の一色夜彦もまた、いつものようにブラックスーツに身を包み、黒いネクタイを締めていた。
室内にはいくつかのデスク、そして応接ソファとテーブルもあるが、在室しているのは一色ただ一人に見える。
しかし霊監にはまことしやかに囁かれているウワサがあった。
――一色室長には、幽霊の部下が何人もいる。
誰も真偽は確かめていないし、確かめようもない。ただウワサというものは風に乗って広まるものだ。そして、真偽が定かではないからこそその風は勢いを増す。
一色は肯定も否定もせず、楽しそうにその風を眺めているが、実のところ――幽霊の部下が何人もいる、これは紛れもない真実であった。
一色夜彦はいわゆる霊能力者である。必要とあらば霊魂を呼び出し、対話し、事象の解決に繋げる。またある時は悪しき霊を祓う。霊監とはそういう部署だ。
デスクでコーヒーを飲みながら端末に向かい、解決したばかりの事象の報告書を纏めていた一色は、ふと顔を上げた。
「どうしました、有賀さん? ――猫?」
霊的存在である部下の一人、有賀の声なき声を聞き取り、彼は彼女の視線――一色にはその存在が実体として視認できるのである――の先に目を向けた。黒猫と白猫の姿をした、異次捜――異次元捜査室の長である黒野漆の使い魔たちが、ドアをすり抜けて入ってきたのであった。
「ああ、大丈夫ですよ、この子たちは引っ掻いたりしません、ご存知でしょう?」
一色は有賀に視線を戻し、穏やかな表情と声音で告げる。
有賀は生前の幼い頃、猫に引っ掻かれたことで猫を怖がるようになった、という経緯がある。漆の使い魔は厳密には猫ですらないのだが、姿としては猫だ。有賀はその姿を認める度に怯えてしまうのだった。
一色には、デスクから飛び上がって素早く猫たちから距離を取り、怯えた様子で黒猫と白猫を指差す有賀の姿が見えていた。ついでに、それぞれのデスクや書棚の前から有賀や猫たちに視線を向ける、他の霊的存在の部下たちも見えている。そして幽霊同士は、互いにその姿が認識できるのだった。
――それでも猫は怖いです、一色室長、どうにかして下さい!
有賀は涙目でそう伝えた。
「ふふっ、そんなに怖がらなくても良いと言っているでしょう。ですが、判りました、黒野室長にお知らせして、迎えに来て頂きましょうか」
微笑して一色は、端末を介して漆にチャットを飛ばした。
――有賀サン、猫ハ怖くありまセンよ?
元々は北欧でその生涯を閉じ、縁あって一色の部下になった霊であるエステルが、有賀に優しく声をかけ、それから二匹の使い魔を撫でようと猫たちに寄っていく。しかし霊体であるがゆえに、実際に触れることは叶わなかった。
――怖いですってば、猫は!
有賀は頑としてその主張を譲らない。
――有賀、そこでじっとしてろ。室長が連絡してくれたみたいだし、すぐに黒野室長が連れに来るだろ。
自分のデスクで成り行きを見守っている掛水――無論幽霊である――もそう助言した。
――そもそもその子たち、猫でもないんじゃなかったっけ?
そう口を挟んだのは、書棚の前に立っていた――浮遊していた、と言うべきか――真田である。
――けど真田さん、見た目は完全に、猫です! 怖いです!
一色はそんな部下たちをどこか微笑ましく見やってから、
「そうですね、黒野室長もすぐにお見えになるそうですから」
チャットの返事を確認し、そう告げた。
そこへ、霊監部屋のドアがノックされた。どうぞ、と応じ、
「黒野室長にしては早いですね?」
一色は首を傾げる。ドアが開いて姿を見せたのは、部長の早乙女だった。
「おや、早乙女部長」
一色は立ち上がり、敬礼する。
「うふふー、ご苦労様ですー、少しー、様子をー、見に来ましたー」
相変わらずの間延びした口調で、早乙女はにこやかに言った。
「――皆さんもー、問題はー、無さそう……おやー?」
室内を確認した早乙女は状況を認識し、
「いえー、うふふー、ハプニングがー、発生しているようですねー」
楽しそうに言った。
――早乙女部長、面白がらないで下さいよ! 私は猫はダメなんです!
有賀の抗議を受け、早乙女は微笑む。
「うふふー、カナデさんー、面白がったわけではないのですがー、失礼しましたー」
名前で呼び、早乙女は有賀に謝罪する。
早乙女自身の特殊な事情により、彼女もまた霊的存在を視認できる立場であった。声なき声に対して応答も可能である。
「……ちなみに部長、何か問題でもありましたか? お呼び出し頂ければこちらから伺ったのですが……」
一色が問うと、早乙女は謎めいた笑みを浮かべた。
「いえー、特に何もー、ありませんー」
「? そうですか……?」
「久し振りにー、各部署をー、回っているだけなのですー」
早乙女が執務室に在室している、どころか庁内にいることは少ない。それは様々な空間軸を漂っているからなのだが、それを知る人物は限られている。
「なるほど。なら――現在は諸々が、少し落ち着いているのですね」
一色が頷くと、早乙女も頷いた。
「そういうこと、ですー。ふふー」
そこへ、軽やかなノックが響いてドアが開いた。ゴシックロリータを纏った混沌の魔女、漆が童話に出てくる猫のような笑みを浮かべて入室する。
「ふふっ、霊能者、うちの子たちがお邪魔したようね? あらぁ、部長?」
「うふふー、ウルシさんもー、お変わりないようですねー」
「黒野室長、お手数お掛けします、迷子の使い魔さんたちを連れて帰って頂けますかね?」
部下が怖がるので、とは言わず、穏やかな声音で一色は言う。
「判ったわぁ。クロエ、シャルロット、駄目だと言っているでしょう? 勝手に出て行ったりしたら」
猫たちを呼び寄せると、漆は二匹を抱き上げた。
「霊能者、悪かったわぁ、ごめんなさいね?」
言ってから、彼女には見えないはずの有賀の方へ意味ありげな視線を向け、そしてまた一色や早乙女へと向き直る。
「相変わらず、この部屋には興味深いノイズが流れているわね。嫌いじゃないわぁ」
「なるほど、興味深いですか」
「ええ。ふふふっ。じゃあ、失礼するわね――場を乱して、悪かったわ」
もう一度有賀の方へ視線を向けてから、漆は使い魔を連れて退場した。
――一色室長、前から気になってるんですけど、あの方ってもしかして?
書棚の前にいる真田の問いに、一色は、
「どこまで見えているのかは判断できませんが――管轄が次元ですからね、多少は見えているでしょう」
そう分析した。
――私タチが、見えて、いるのデスか? 早乙女部長サンのようニ?
エステルが浮かべた疑問には、
「うふふー、私とはー、また少し違うのですがー」
早乙女が楽しそうに答えた。
――あの猫たち、いつも来ます! 黒野室長、判っててやってるのなら苦手です!
有賀の抗議に、掛水も苦笑を浮かべながら頷いた。
――多分判っててやってるんだろうけどな。
――酷いです!
「まあまあ、皆さん」
一色が宥めるように言って、室内は静かになる――霊的存在である彼らの声は通常、実際には認識できないため、元々静かではあったのだが。
「うふふー、ではー、霊監もー、いつも通りー、問題なく業務を回せているということでー」
早乙女はそう言って頷くと、
「引き続きー、業務の円滑な遂行をー、お願いしますねー」
そんな言葉を残してふわりと姿を消した。
「承知しました、部長」
一色が返事をしたのは早乙女の姿が消えた後だったが、彼は特にそれを気にしなかった。いつものことだ。
「――では有賀さん、もう大丈夫ですね、席に戻れますか?」
――はい。失礼しました。
「さて、と。業務を再開しますよ」
一色の言葉に、部下たちはそれぞれはい、と返事をした。




