Episode.12 ドレスの秘密
幕間「貪婪の悪神」で明かされる設定が前提となるエピソードです。
宵宮暁音が日傘をたたんでから足を踏み入れたのは、郊外の住宅地に溶け込むようにひっそりと存在するアトリエだった。店主の住居を兼ねたそこは、一見してごく普通の住宅にしか見えない。アトリエとしての看板も出るには出ているが、普通の人間ならば気付かない。
だが暁音には判る。何故ならば彼女は魔術師であるし、
「あら、宵宮さんじゃないですか。お待ちしていましたよ」
にこやかに出迎えた店主の綾村紗織もまた、その筋の者だからだ。
外観からは判らないアトリエの内部は、壁に作り付けられた棚の至るところに生地の反物やレース、リボンなどが整然と並び、片隅にミシンなどの道具、それからアンティーク調のカウンターも存在していた。その内側の椅子に座っていた紗織は、暁音の姿を認めて立ち上がったところであった。
「ごきげんよう、綾村さん。ふふっ、ドレスが仕上がったと伺ったものですから」
「ええ、お弟子さんの分が六着、宵宮さんの分が二着、しっかり仕上がっていますとも」
紗織はにこやかに応えた。
暁音の衣装室――魔術で拡張された実質無限に広がる部屋――に増殖し続けるドレスは、紗織によってあつらえられたものだった。
ただのドレスではない。魔術で強化された素材を使い、魔術で錬成された特別な物である。暁音の好みである中世ヨーロッパ風にほぼ忠実なデザインの本格的な物で、しかし着る者の魔力を引き出す作りでもあった。
縫製などの工程に関しては、オートクチュールのそれよりも格段に速いが――それは魔術で錬成しているからである――その錬成には特殊な力が必要だ。信じられないような短期間で暁音好みのドレスが次々と納品されるのは、紗織の実力の裏返しでもあった。
「ああ、楽しみだわ、デザインを見せて頂いたときから、わくわくして仕方なかったの」
暁音は胸の前で両手の指先を組んで少し傾け、たおやかに微笑む。
現在彼女が着ているのは、上品なレースがたっぷりとあしらわれた生成りのブラウスに、たっぷりと生地が使われたダークブラウンのロングフレアスカートだった。外出するに当たってそれほど目立たないように、との彼女なりの選択である。ちなみにこの服も紗織の手によるものだった。
暁音のその元々の整った外見も相まって、絵画から抜け出してきたかのような彼女の姿はここに来るまでにそれなりに人目を引いていたのであるが、本人はそれにまったく気付いてはいなかった。
「では早速ご確認頂きましょう。こちらです」
紗織はぱちん、と指を鳴らす。
それを合図に空間がゆらめき、合計八着のドレスが二人を囲むように空中に現れた。魔術によってその場に固定され、トルソーなしでも立体感を持ってディスプレイされた形になる。
「まあ、素敵!」
暁音はきらきらと両の目を輝かせ、
「……触れても?」
紗織に確認する。
「もちろんです。お確かめください」
にっこりと応じられ、暁音は幸せそうなため息を吐きながらそっと一つ一つのドレスの質感を確かめるように触れた。
「……これはきっと夕鷹に似合うわ。夕鷹はちょっと嫌がる素振りを見せるけど、ちゃんと着こなしてくれるのよね、ふふ、可愛い子。こっちは螺旋にぴったりね。あの子にはこういう深い青が似合うのよ。このリボンも素敵だわ……」
うっとりしている暁音を、満足そうな笑みを浮かべた紗織が見守っている。
「それから、これは私の……あらあら、まあ……」
「うふふ、力作なんですよ」
ルネサンス様式とヴィクトリア様式ドレスに近いデザインの豪奢な二着のドレスを前に、暁音は幸福に満ちた表情で佇む。色はそれぞれ、上品なワインレッドと黒を基調としていた。
「……やっぱり綾村さんは天才だわ」
ため息のようにこぼれ出た賛辞に、紗織は顔を赤らめる。
「……夜明けの魔術師からそのようなお言葉を頂けるなんて、光栄です」
「ふふ、こんなに素敵なドレスを作って下さる綾村さんには、夜明けの魔術師ごときが敵わないわ」
「も、もう、宵宮さん、冗談が過ぎますよ」
紗織は照れたように微笑む。夜明けの魔術師である宵宮暁音は、時代の先頭に立つと言っても過言ではない魔術師の一人なのだ。
「あらあら、冗談のつもりはないのだけれど。ついつい注文をしすぎて、無理をさせていないか心配にはなるのだけど……」
「あら、無理なんて全然してませんよ。夜明けの魔術師とそのお弟子さんが着て下さるドレスですもの、いくらでもお作りしたいです」
「ふふふっ、ミネルヴァにもあの子たちにも、呆れられてしまうのだけどね」
「うふふ、それはそうでしょうね」
暁音と紗織は笑い合った。
拡張を続ける暁音の衣装室には、既に数え切れないドレスが収納されている。そして増殖し続けている。
暁音の使い魔である白梟のミネルヴァはたまに呆れたような目を向けるし、螺旋に関してはその数え切れないはずのドレスの数を把握しているフシがある。夕鷹は呆れて文句を言いながらも、結局きちんとドレスを着こなす。
修行の際に着る、または着させることが多いが、どのドレスもきちんと出番がある。一度も袖を通されていない物はない――数え切れないほど存在し、増殖し続けているというのに、である。
弟子たちの成長に伴いサイズが合わなくなってしまったドレスも、きちんと保管してある。暁音にとってはどのドレスも特別なのだ。
暁音のためのドレスに関しては、夜明けの魔術師としての職務を全うする際にもよく着られている。魔術師界隈で知られる宵宮暁音の名は、その優雅なドレス姿とセットだった。そのドレスの製作者として、綾村紗織の名もそこそこ知られている。それがきっかけで、世界中――の魔術師――から彼女に発注されるドレスもそれなりに存在した。
「では、問題がなければこちらをお納めしたいと思いますが……」
「ええ、お代はこちらで良かったかしら?」
「はい、こちらですね」
空中に光る文字として表示された数字に暁音は頷き、その支払いを終える。オーダーメイドであり、全てが特殊な特注品ということでそれなりの金額ではあるのだが――しかし充分に良心的な価格である――暁音はそれをこともなげに支払える能力を持っていた。それが、彼女の着道楽を支え続けられる一因である。暁音、そして螺旋にも繋がるその由緒ある血筋は、紛う方なき素封家でもある。
「いつもありがとうございます、ではドレスは……」
「ええ、いつものように」
暁音が微笑を浮かべて頷くと、紗織は再び指をぱちんと鳴らした。
それまで二人の周りに浮かんでいた八着のドレスはその場から姿を消し――暁音の衣装室の、指定された場所へと転送された。屋敷で待機しているミネルヴァが、また静かに嘆息したことだろう。
「ふふ、ありがとう、綾村さん。また近々お願いしてもいいかしら?」
「もちろんです、宵宮さんのご注文は、いつだって最優先で製作させて頂きますよ。ありがとうございます、どうぞまたご贔屓に」
「こちらこそ」
暁音は優雅に一礼し、紗織も深く頭を下げる。
「……さて、ではそろそろお暇するわね。ごきげんよう」
「毎度ありがとうございます。お気を付けてお帰り下さい」
挨拶を交わすと、暁音はゆったりとした動作でドアへと向かう。スカートの裾が静かに揺れた。
ドアの前でもう一度振り返って紗織に会釈し、暁音はアトリエを出て、贅沢にフリルがあしらわれた、ほんのりとした朝陽の色を持つ日傘を差す。
そして軽やかでたおやかな足取りで、今に鼻歌でもこぼれそうな笑みを浮かべて帰路に就いた。




