ママ‐むっつめ
誰!?
アキナが扉に力を加えてから初めて届いた言葉はそれだった。
その言葉によってアキナの手は緩んだはず、それでもアキナの体は前に進んでいく。ゆっくり開く、その表情を見せるために。
「えっ!・・・・・・・・・えっ・・・・・・・アキナ。アキナ?」
母親。
アキナの顔をみると、驚きなんて言葉では収まらないほどの顔を見せる。皺を深め、一粒の涙を落とすと、両手で娘を抱こうとしたのか無意識で腕が伸びる。
そうしてたどり着き、巻き付く。
アスカは、そんな景色に顎の力が抜け、ほんの少しばかり口が開く。迫りくるアキナの背中に押され、後ずさりをしながらも、それを支える。
アキナの顔を見る。
ひきつっている。
娘は、母の中に収まり、抵抗なんてことはしなかった。
口を紡ぎ、じっとじっとこらえる。
アキナは母を眺め、その体温を感じる。
細い腕に、見下ろせば見える肌色のつむじ、血管のみえる皮の薄い肌、古された派手めの服、彼女は老いている、アキナはそう感じざる負えなかった。
「ただいま。少し気になって様子を見に来た。」
「あら、そうなのね。ありがとうね。で、でいつまでいるの?」
「あ~今日中には。」
「・・・・ああ、そうなのね。そうよね。ま、ま、まずはどうしましょ!」
「お父さん・・・・・あの人は?」
「・・・・あの人なら、隣の部屋にいるわよ。」
アキナは、ペタペタと触れてくる母の腕を優しくどかすと、床を軋ませていく。
キィキィと喚く床は、どこか軽さを与えてきていた。
「父さん。」
アキナは、声に出してから扉を叩く。
コンコン、コンコンと指で打つ。
「入るよ。」
扉を開くと、締め切った窓のせいか、嫌な温もりの風がアキナの赤毛を揺らす。
「・・・・・・・」
「お父さん?」
父は、首を傾げ、少し考える。
うつろな目は、彼女をとらえきれていなかった。
アキナの肺は膨れ、瞳孔が開く。しかしそれを抑え、一息ついてから言う。
「アキナ、アキナだよ。」
「・・・・・・・・ああ。アキナか。よく帰ってきたな。」
アキナは髪が怒りで浮かび上がらぬようにと片方の腕で頭を抱え、頬をひくつかせながら笑う。
ありあまる力は、指へと流れ、行き詰ると熱さとともに手の血管にじんわりと平がっていた。
震え、握りこむ。
しかしそこに母が割って入る。
「ごめん、ごめん。そう・・・・そうよね。仕方がないの、仕方がないのよ。だからごめんね。」
母は、一度扉を閉めると、アキナを椅子に座るよう促す。
そしてアスカにも、
「あなたも、ほら、早く入ってきて。あなたがいたからアキナは治ったんだから。」
と言いながら、椅子を用意し、キッチンにコップをゆすぎにいく。
小さな小さな湯飲みが、ひとつづつ丁寧に置かれていく。
アスカは虚をつかれた顔のままいたが、静かに腰を椅子に落とす。
アキナ、アスカ、そしてイエレナには二人とは中身の違うものが出されている。
「・・・って椅子に座らせたけど、何をしたらいいのかしらね。へへ、ママ分かんないや。どうしたの?様子がみたいだなんて。ママはうれしいけどね。」
アスカは出会った時のことを思い出していた。しかしこんな表情は初めて見るものだった。
「別に。ほんと少し気になってきただけだよ。特になんてことはない。まぁでもあんまり変わっていないみたいだから。まぁうん。」
そう言葉を区切り、喉に水分を通していく。そしてコップを置き、再び話す。
「というかなんでこんなところで住んでるのよ。村に近いなら、村にいればいいでしょ。」
「そう・・・・ねぇ。まぁあの人が村長を下りたからねぇ。仕方がなかったのよ。」
母に聞いたところで、と思いながら話していたアキナは、また喉を潤していく。
すると、扉が勢いよく開かれ、父が出てくる。
ズカズカと歩き、机に向かってくる。
アスカがイエレナを抱え、静かに移動すると、父は空いた椅子にスムーズに座る。
「なんで引っ越したのよ。」
「?・・・・・俺の勝手だろ?」
話題は止まり、しんとした音が広まる。
父の口はそれから開こうとはしなかった。黙ったまま、椅子に座り、じっと前を見つめていく。次第には窓の外を眺める始末。反対に母の口は饒舌だった。なんとかアキナから話を引き出そうと必死である。
アキナも黙っていたというわけではなかった。聞かれれば答え、反応する。そこに積極というものはないけれど。
アキナは過去を振り返り、自分の足をさする。
あの日着替えたようなズボン。
足に添い、余白はない。これ以上自分の体が大きくなる余白などはなかった。
あの日、母は何とか口を開き、アキナにいつでも帰ってきていいのよと声をかけた。
あの日、父はただ茫然として、アキナの姿に、反旗を覆した娘の姿にその指を指しているばかりであった。
何ら変わりない、あの日と変わらない。
アキナはそう思ったのだった。
そしてあの日よりも前、故郷を離れる前の日常も思い出すのであった。




