世界‐ここのつめ
三人目、四人目、アスカは治療をこなしていく。
そのたびに、傷はふえ、満足そうなアクティを顔を記憶に刻めなければならなくなる。
数か月がたった頃だろうか、アスカはアクティの声に気づかずに眠り呆ける日があった。
カチャッ、そう音がなる。
鼻息が漏れる。
「おい、起きてるか?」
アスカは唸り声を出しながら、耳障りな声を誤魔化そうとする。
「おい。」
アスカははっと目を覚まし、アクティを前に縮こまる。
「すみません・・・・・・・・すみません。治療、ですか?」
「ううん、飯。」
そうしてアスカは、ごくりと液体を飲む。顎を使い、口を開く。
咥え、また飲み込む。
飲み込んだ後、息を吐き出し、口を拭う。
粘っこい。
すべてを放り込んで煮詰めたような感触のそれ、腹ペコなアスカは息を荒くし、また口を開く。
アクティは椅子にどかっと座り、くたびれた様子でアスカを眺める。
「そんなにおいしい?」
「はい。」
「そうですか。」
「次の・・・・・・次の治療はいつですか。」
「さぁ、分からない。選別に時間がかかってるから、まぁ待ちなさい。」
「はい。」
アスカは、魔法の鍵を握りしめる。存在意義を握りしめる。
「そういえば、あなたの連れ、逃げ出したそうだぞ。女性の方。」
「え!?」
「可哀そうに、逃げられた、なんてね。」
アスカは、久しぶりに頭のなかにアキナを思い浮かべる。そして連続して弟のことも思い浮かべる。
「イエレナは、もうひとりの子供のほうはどうなりました?」
「そっちにほうは、しっかり働いてもらってるよ。それも逆らえないように。あなたをとどまらせる材料だから。まぁそれが女性のほうが逃げ出してもそこまで慌ててない理由。実際あの人も・・・・・もう駄目そうだったからね。仕方がない。」
「・・・・・・・・・・・・はい。」
「それに戦争も大詰めだから、そろそろトラオムのやつらも観念するだろう。どっちの技術力が秀でているか、ようやく示しがつく時だ。」
ぺらぺらとアクティの口は止まらない。
「ノーデンからの物資の配給も問題ないから、いよいよ負ける未来が見当たらないな。」
「はい。」
アスカは意識のない返事をしながら、口元をなんども拭う。
会話が途切れるとアクティは、再び闇の中に身を隠す。
しんとなる空間。
水っぽい地下は、纏わりつくような湿り気とうっとうしいぬる温かさがある。
耳元で風が吹く。
神経を通り、脳に届く。
アスカの口が無意識に開き、中途半端に止まる。
じっとじっと動きを止める。
そしてひらひらと紙切れが落ちてくる。
それは突然現れたように見えるだろうが、少し違う。その紙切れは、その途中で姿が見えるようになっただけである。
すなわち、それは透明になっていたのだ。魔法の効果によって透明になっていたのだ。
であるから、アスカの耳には、風が舞い込み、その手元に新たな魔法の筆跡の残る紙を手に入れることができた。
アスカの隣、なにもないはずのそこから一人の老人が喋る。
「逃げ出すぞ。」
闇の中で、カタッと椅子から立ち上がったような音が聞こえる。
しかし遅い。
アスカは既に新たな魔法の紙を指でなぞっている。
筆跡はひかりだし、地下はさんざめいていく。
刹那的な光はしだいに暖かさのあるふんわりとした黄金のひかりとなる。
そして唱える。
アスカが牢に向かって、手を突き出しながらその魔法を唱える。
”ララ・ハマー”
アスカの手先から、じわじわと魔法の光が形を成していく。
バチバチと雷を鳴らしながら、それは一つの塊となり、アスカを囲う闇に鉄槌を下す。
ガラスの割れたような衝撃音とともに、魔法の塊は帯電しながら勢いよく放たれる。
牢は破られ、勢いよく迫っていたアクティもろとも目の前を一掃していく。
陽の光が地下にも届き始める。
天井を削り、ぼろぼろと世界が広がっていく。
天井に大きな穴をつくって、アスカの放った魔法の光は消えていくのだった。
アスカは隣に視線を送る。
そこにはいる。
一人の老人が優しさのある眼差しで、アスカを見てくれている。
「じいさん。」
シュパース、アスカは思わず抱きつく。
「おっとっと、このご老体には若者の愛情は大きすぎるわい。」
いかにも老人を思わせる微笑みをしながら抱きつくアスカの頭を撫でる。
「アスカよ、もうしばらく辛抱じゃ、アスカもこの錠剤を飲んでくれ。そして逃げるぞ。おぬしらとは関係のないこの国から、逃げるぞ。」
「うん。」
アスカの声は涙ぐみ始める。
「・・・・・イエレナが・・・・・・」
「おお、そうじゃったな。先に言っておくべきじゃったのかもしれん。イエレナはな、先にアキナに救出してもらっている。あっちは・・・・・・だからおぬしら、一緒になってここから逃げるのじゃ。」
走る。
アスカはシュパースと一緒になって走る。
透明になった体は誰にも見向きはされない。
零れる涙だけが可視化され、アスカはミリテアを後にする。
そして、見たことのある景色、井戸の中に飛び込み、また太陽の届かない場所へと潜り込む。しかしそれでもアスカの顔が暗がりに包まれることはなかった。
迎えられる。
両手を広げ、決して離さぬようにと鷲掴む。
ぐっと引き寄せ、頬と頬でお互いの温もりを渡し合う。
「アスカ・・・・・おかえり。」
「うん、会いたかった。アキナ、イエレナ。」
騒がしい上の世界。
しかしこの空間だけは誰にも邪魔されることはなかったのだった。




