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魔術的鍵師物語  作者: mono
第十

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109/119

世界‐むっつめ

 自分以外だれもいない空間。

 アスカはその瞳をゆっくりと開く。

 胸のあたりに手を当てても、傷なんてものは見当たらない。

 体を起こし、暗がりの景色をぼんやりと見つめる。


「・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・」


 まとわりつく湿気をどかすように肌を2、3回擦る。

 きしきしの髪に指を通しながら、ブチギチと泣く髪の悲鳴を聞いていく。


「・・・・・・生きてます?」


 アスカの首は反射的に声のするほうに動く。


「こんにちは。昨日ぶりで。傷も問題なさそうですね。」


「ええ、まぁ。こちらだけで、すみませんね。」


 鼻で笑いながら、アクティの顔をまじまじと見る。黙ったままじっと見ると、アクティは眉をぴくりと動かしながら、にこりと笑う。


「いえいえ、お気遣いなく。」


「・・・・・顔赤いですよ。風邪でも引いたんですか?」


「・・・・・お気遣いなく。」


 アクティは唇に触れ、舌先をほんの少し出すと、自分を頷かせるように言う。


「お構いなく。すぐに戻りますから。こんなもの。」


「へぇ、そうですか。で、ここへは何しに?ずいぶん身軽ですけど。」


 アスカはきょろきょろと大きく目線を動かし、誰もいないアクティの周りを確認する。


「様子を見に来ただけですよ。死なれたら困りますから。」


「のわりには、食事を何も用意がないのですが。」


「食事・・・・・・確かにそうですね、伝えておきますよ。」


 アクティは唇に人差し指を添え、静かに闇のほうに後退していく。

 コツコツと鳴らしていた足音は、ひとつのタイミングを機にペタペタという音に変わる。

 そして遠ざかり、消える。


「・・・・・・・・はぁ?」


 アスカは眼を凝らす。

 しかし暗がりは暗がりである。どれだけの解像度をもってもあるのは黒の景色だけである。

 背後にあるぼんやりとした照明、それだけで牢のなかにおいては明るい。

 牢の中においては。

 

「おい。」


 返事はない。


「いるのか?」


 黙りこくった暗闇。

 アスカは舌打ちをするとともに、ごろんと寝転がる。

 寝返りを打ち、壁に顔を向ける。

 そしてもう一度牢の外を見る。

 ピチャっと水が落ちる音が聞こえてくる。

 ぞわっとする背中を手の甲で触れる。

 鳥肌が走り、毛根に寒気が入り込む。

 そうして、アスカに眠気が襲ってくるまで、何も起きずに時間が過ぎるのだった。

 ほんの数時間が経ち、アスカは腰の痛みで目を覚ます。

 口の中は水分のない気持ち悪さに囚われ、血の味に似た感触を持つ。


「おい、まだいるのか。」


 返事はない。


「・・・・・・・・・・」


 無言になるアスカ。そんな懐疑的な目線にも無音の返答が返される。

 ピチャピチャと連続しておちる水の音。

 アスカの耳に足音がちらつく。

 ピチャッピチャッピチャっ。

 いるのか、いないのか、アスカは黒塗りにされた鏡を見ている気分にさせられる。

 大胆になる肺の起伏。

 いまだ呼吸は荒くない、アスカはそう言い聞かせながら納得させる。


「ふぅぅぅうう。」


 大きく吐かれた息、アスカの瞳は挙動不審になる。次第に眼球が取れるのではないかと思うほどに、そこに力がこもっていく感覚になる。

 そんな中、足音が届いてくる。


 コツっ 


 アスカは視線をそこに向ける。

 アクティ、手には食物が乗っかている。


「ご飯ですよ。」


 牢の前に放り投げる。

 荒ぶる皿は、汁を溢し、汚さのあるスプーンは食器に傷をつけていくが、それも次第に落ち着く。


「牢は開けるつもりはありませんから、顔を擦りつけながら食べててください。・・・・・・では。」


 そう言うとアクティは、再び暗闇のなかへとゆっくりと静かに消えていく。

 再び静かになる空間。

 アスカはまた、じっと目の前の空間を想像で補完していく。


「いただきます。」


 アスカは痛みに紛れる空腹に気づく。

 格子に顔を押し当て、何とか食事を進めていく。

 やけに短いスプーンに濁ったような色のそれ、アスカは抵抗なく口に運んでいく。

 歯にあたる小さな石、思わず唾を吐き出す。

 不快感を取り除くと再びその曲げた腰のまま、無様にその供物を手でかき集める。


「ぷっ・・・・・・」


 アスカは視線をあげる。

 笑われた。

 いた。 

 そこには誰かがいるのだ。

 アクティか、それともほかの誰かなのか、目前の暗闇には人の目がある。

 アスカは頬が熱くなる感覚になる。

 遠くに聞こえたその零れたような笑い声も、なんとなく耳元で笑われたような感覚を持った。

 背筋に悪寒が走り、耳がざわざわと興奮する。

 

「見るな・・・・・・・・・おい、アキナとイエレナはいまどうしてる。」


 思い出したかのような問いに返答はない。

 それでもアスカはむさぼるように口の中でそれを噛み砕いていく。

 そして飲み込む。

 ぐっと、飲み込む。

 肺と肺の間でとどまりながら、ゆっくりとその塊が滑っていく。

 体の筋肉は弛緩し、強まり、それを胃に押し込んでいく。

 徐々に引いていく顔の火照り、アスカはまた腰を曲げ、喉に流し込んでいく。


「ごちそうさまでした。」


 アスカは、猛烈な眠気に襲われるとともに、瞼が震える。

 どっと意識が落ち、格子に顔を押し付けながら、ずるずると体が落ちていく。


「では、また伺います。」


 コツコツコツとアクティはわざとらしく足音を鳴らす。

 そうしてアスカはまた一人になる。

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