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『偽物の恋人だったはずなのに、君を本気で好きになってしまった』  作者: 雨宮 怜


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第5話 偽物の彼氏と、本物の嫉妬

学校一の美少女と付き合うことになった。


 ただし、ふりである。


 昨日から何度も自分に言い聞かせているが、教室に入った瞬間、俺はその言葉を疑い始めていた。


「黒沢、ちょっといいか?」


「……何だ?」


 席に着く前に、クラスメイトの男子三人に囲まれた。


 全員、妙に真剣な顔をしている。


 嫌な予感しかしない。


「お前、篠原と付き合ってるって本当か?」


「……誰から聞いた?」


「本人がお前の机まで来て、『一緒にお昼食べようね』って言ってたぞ!」


「それだけで付き合ってることになるのか?」


「普通はならない」


「じゃあ、どうして聞いたんだよ……」


「でも、あの篠原が男子にあんな顔するか!?」


 俺は黙り込んだ。


 あんな顔、というのがどんな顔なのかは分からない。


 ただ、昨日のあかりはいつもどおりよく笑っていた。


 少なくとも、俺にはそう見えた。


「黒沢。お前、何か隠してるだろ?」


「……人間、誰だって秘密の一つや二つある」


「かっこつけるな!」


 三人が同時に叫んだ。


 朝から騒がしい。


 俺の平穏な高校生活は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。


「おはよう、樹くん!」


 その声が聞こえた瞬間、男子三人がぴたりと黙った。


 あかりが、俺の席まで歩いてきたのだ。


「みんな、どうしたの?」


「い、いや、何でもない!」


 男子の一人が慌てて答えた。


 あかりは不思議そうに首を傾げ、それから俺に視線を向けた。


「樹くん、今日のお昼、約束覚えてる?」


「ああ」


「よかった! じゃあ、またあとでね!」


 彼女は笑顔で手を振り、自分の席へ戻っていった。


 残された三人は、ゆっくりと俺に視線を戻した。


「……黒沢」


「何だ」


「お前、いつの間にあんな関係になったんだ?」


「俺が聞きたい」


 これは本心だった。


     *


 一時間目の授業中。


 俺は黒板を見ながら、先生の話を聞いていた。


 正確には、聞こうとしていた。


 机の端に置いたスマートフォンが震えたからだ。


 授業中に確認するのはよくない。


 そんなことは分かっている。


 だが、昨日から妙に連絡が増えたせいで、つい画面を確かめてしまった。


『樹くん、今日のお昼、屋上に行かない?』


 あかりからだった。


 続けて、もう一通。


『二人で食べたいな』


「……っ」


 俺は慌ててスマートフォンを伏せた。


 危うく変な声が出るところだった。


 二人で食べたい。


 ただの昼食だ。


 昼食を一緒に食べるだけ。


 そう考えれば、何も問題はない。


 問題はないはずなのに、どうして俺はこんなにも落ち着かないのだろう。


「黒沢」


「はい!」


 突然、先生に呼ばれた。


「今、どこまで説明したか分かるか?」


「……すみません。聞いていませんでした」


「正直なのはいいが、授業には集中しろ」


 教室から小さな笑い声が起こった。


 俺は机に額をぶつけたくなった。


 篠原あかり。


 お前は自分の影響力を、少しは自覚してくれ。


     *


 昼休み。


 俺は弁当を持って屋上へ向かった。


 もちろん、あかりとの約束があるからだ。


 扉を開けると、彼女はフェンスから少し離れたベンチに座っていた。


 俺を見つけると、ぱっと笑顔になる。


「樹くん、こっち!」


「……お前、もう少し普通に呼べないのか?」


「え? 普通に呼んでるよ?」


「教室中に聞こえるくらい大きな声だったぞ」


「だって、樹くんが見えたから!」


 あかりは当然のように言った。


 俺は返す言葉を失った。


 この女子は、時々、何のためらいもなく人の心臓に悪いことを言う。


 俺たちはベンチに並んで座り、弁当を広げた。


「いただきます」


「いただきます」


 しばらく、穏やかな時間が流れた。


 風が吹き、あかりの長い髪が頬にかかる。


 彼女は髪を耳にかけながら、俺の弁当をのぞき込んだ。


「樹くんのお弁当、おいしそう」


「普通だぞ」


「卵焼き、もらってもいい?」


「……一個だけな」


「やった!」


 俺が卵焼きを差し出すと、あかりは箸で受け取った。


 一口食べると、彼女の目がぱっと輝いた。


「おいしい!」


「母さんが作ったやつだからな」


「樹くんが作ったんじゃないの?」


「俺に料理の才能があるように見えるか?」


「うーん……」


「考えるな。否定しろ」


「あははっ!」


 あかりは楽しそうに笑った。


 その笑顔を見ていると、教室で見せる表情とは少し違う気がした。


 みんなに向ける、明るくて隙のない笑顔。


 それに比べて、今の笑顔は少しだけ無防備だった。


「……何?」


 視線に気づいたあかりが、こちらを向いた。


「いや、楽しそうだなと思って」


「うん。楽しいよ」


 彼女は即答した。


「樹くんといると、変に気を使わなくていいから」


「俺は、そんなに気を使わせる人間に見えるか?」


「そうじゃなくて!」


 あかりは慌てて首を振った。


「みんなといると、いつも明るくしていなきゃって思うんだ。私が笑っていれば、周りも楽しくなるから」


 彼女は弁当のふたを指先でなぞった。


「でも、本当は疲れている日もあるし、何も話したくない日もある。そういうときでも、つい笑っちゃうんだよね」


 俺は黙って聞いていた。


「だけど、樹くんは私が静かでも、無理に話しかけたりしないでしょ?」


「……何を話せばいいか分からないだけだ」


「それでも、私は楽なの」


 あかりは小さく微笑んだ。


「だから、ありがとう」


 そんなことを言われるとは思っていなかった。


 俺は視線を弁当に落とした。


「……別に、何もしてない」


「うん。そういうところも、好きかも」


「ぶっ……!」


 飲みかけていたお茶を、危うく吹き出すところだった。


「ちょ、樹くん!? 大丈夫?」


「お前な……!」


「え? 何?」


「そういうことを、簡単に言うな!」


 あかりは一瞬きょとんとしたあと、耳まで赤くなった。


「……そ、そういうことって?」


「だから……!」


 言えるわけがない。


 好きかも、なんて言われたら、偽物の恋人だと分かっていても意識してしまう。


 俺が言葉に詰まっていると、あかりは弁当を抱え直した。


「……ごめん。ちょっと恥ずかしかった?」


「かなりな」


「そっか……」


 彼女は頬を赤くしたまま、うつむいた。


 そして、小さな声でつぶやいた。


「……私も、ちょっと恥ずかしかった」


 その声は、風の音に消えてしまいそうなくらい小さかった。


     *


 屋上から教室へ戻る途中。


 階段の踊り場で、俺たちは一人の男子生徒と出会った。


「あかり?」


 その男子は、あかりを見るなり足を止めた。


 背が高く、整った顔立ちをしている。


 制服もきちんと着こなしていて、誰が見ても人目を引くタイプだった。


「あ、悠真!」


 あかりが驚いたように声を上げた。


「久しぶり。最近、全然話せなかったね」


「そうだな。ちょっと忙しくて」


 彼は穏やかに笑い、それから俺に視線を向けた。


「……そちらは?」


「あ、紹介するね。黒沢樹くん。同じクラスなの」


「黒沢です」


 俺が頭を下げると、彼も軽く会釈した。


「朝倉悠真。よろしく」


 朝倉。


 名前くらいは聞いたことがある。


 成績優秀で、運動もできる。


 しかも、あかりとは中学時代からの知り合いらしい。


 つまり、俺とは正反対の人間だ。


「それで、二人は一緒にいたの?」


 悠真が尋ねた。


「ああ、お昼を一緒に食べてたんだ」


 俺が答えると、あかりが少しだけ身を乗り出した。


「そうなの! 樹くんと一緒に食べてたの!」


 ……なぜ、そんなに強調する。


 悠真はあかりを見つめた。


 ほんの一瞬だけ、彼の笑顔が消えたように見えた。


 だが、すぐに元に戻る。


「へえ。仲がいいんだな」


「うん!」


 あかりは笑顔でうなずいた。


「私たち、付き合ってるんだ」


 時間が止まった。


 俺は彼女を見た。


 あかりも俺を見た。


 そして、悠真がゆっくりと目を見開いた。


「……え?」


「えっと……」


 あかりの顔が、みるみる赤くなった。


「そ、その……そういうことになったの!」


 説明になっていない。


 まったく説明になっていない。


 ……そうだった。


 俺たちは、付き合っているふりをしている。


 分かっていたはずなのに、彼女の口からその言葉を聞いた瞬間、なぜか胸の奥が少しだけざわついた。


 悠真はしばらく黙っていた。


 それから、俺に視線を向けた。


「……そうなんだ」


 彼は笑った。


 しかし、その笑顔は、さっきまでのものとは少し違っていた。


「おめでとう、あかり」


「……ありがとう」


「黒沢くん。あかりのこと、よろしく頼むよ」


「……はい」


 それだけ言うと、悠真は階段を下りていった。


 彼の足音が聞こえなくなってから、俺はあかりに向き直った。


「……おい」


「は、はい」


「付き合ってることを、あんなに突然言うな!」


「ご、ごめん! つい……!」


「つい、で済む話じゃないだろ!」


「だって、悠真は昔からの友達だし……隠すのも変かなって……」


 あかりは困ったように眉を下げた。


「……怒った?」


「怒ってない。ただ、心の準備が必要だった」


「そっか……」


 彼女はほっとしたように息を吐いた。


 俺たちは再び歩き始めた。


 けれど、俺の頭の中には、さっきの男子の表情が残っていた。


 朝倉悠真。


 彼は、あかりにとってどんな存在なのだろう。


 ただの幼なじみなのか。


 それとも――。


「樹くん?」


「……何だ?」


「手、つないでもいい?」


「……は?」


 またしても、意味が分からない。


 あかりは自分の手を見つめながら、少し恥ずかしそうに言った。


「さっき、悠真に付き合ってるって言っちゃったでしょ? だから、もう少し恋人らしくしたほうがいいかなって……」


「……なるほど」


 理屈は分かる。


 分かるのだが。


「嫌だったら、いいよ?」


 あかりが慌てて付け加えた。


 その表情を見て、俺は小さく息を吐いた。


「……別に、嫌じゃない」


「本当?」


「ああ。ただし、学校の中だけだぞ」


「うん!」


 彼女はうれしそうに笑った。


 そして、そっと俺の手を握った。


 温かかった。


 たったそれだけなのに、心臓がうるさい。


 俺は前を向いたまま、何も言わなかった。


 あかりも、何も言わなかった。


 ただ、つないだ手だけが、さっきより少し強く握られた。


     *


 その日の放課後。


 教室に残っていた俺は、朝倉悠真のことを考えていた。


 あかりの昔からの友達。


 成績優秀で、誰とでも自然に話せる男子。


 俺が彼に勝てるところなど、ほとんど思いつかない。


 そもそも、勝ち負けを考える必要はないはずだ。


 俺とあかりは、本当の恋人ではないのだから。


「……何を考えてるんだ、俺は」


 小さくつぶやいた、そのとき。


 スマートフォンが震えた。


 あかりからのメッセージだった。


『今日はありがとう!』


『手、つなぐの……ちょっと緊張したね』


 俺は画面を見つめた。


 返信しようとして、指が止まる。


 何と答えればいいのか分からない。


 結局、俺は短く打ち込んだ。


『……そうだな』


 送信して数秒後。


『ふふっ』


 それだけの返信が届いた。


 俺はスマートフォンを伏せた。


 ……どうやら俺は、恋人のふりをする才能が絶望的にないらしい。


 いや。


 もしかすると、問題はそこではないのかもしれない。


 俺はまだ、そのことを認めたくなかった。


 偽物の恋人。


 期間限定の関係。


 卒業までには終わるかもしれない、曖昧な約束。


 それなのに。


 彼女が別の男子と話している姿を想像すると、なぜか胸の奥が落ち着かなくなる。


 これは何なのだろう。


 俺には、まだ分からなかった。


     *


 その頃。


 校舎の外では、朝倉悠真がスマートフォンを握りしめていた。


 画面に表示されているのは、あかりと樹が並んで歩いている写真。


 誰かが撮影し、クラスのグループチャットに送ったものらしい。


 悠真はその写真をしばらく見つめていた。


「……そっか」


 誰にも聞こえない声で、彼はつぶやいた。


「本当に、好きな人ができたんだな」


 その表情には、寂しさと、ほんの少しの後悔が浮かんでいた。


 けれど彼は、すぐにスマートフォンをポケットにしまった。


「……まだ、遅くないよな」


 夕暮れの空を見上げながら、悠真は静かに歩き出した。




第5話終了





最後までお読みいただき、ありがとうございます!


皆様の感想やご意見は、今後の執筆の励みになります。


もし作品を気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をしていただけると嬉しいです。


これからも楽しんでいただける物語をお届けできるよう頑張ります!

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