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『偽物の恋人だったはずなのに、君を本気で好きになってしまった』  作者: 雨宮 怜


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第12話 幼なじみが隠していた本当の気持ち

 水曜日の朝。


 教室に入った俺は、いつもとは少し違う光景に気づいた。


 篠原あかりが、窓際の席でスマートフォンを見つめていたのだ。


 普段なら、教室に入ってきた俺を見つけると、すぐに手を振ってくる。


 けれど、今日は違った。


 画面を見つめる表情は真剣で、時折、困ったように眉を寄せている。


「……おはよう、あかり」


 声をかけると、彼女は少し驚いたように顔を上げた。


「えっ? あ、樹くん! おはよう!」


「……何かあったのか?」


「ううん、何でもないよ!」


 いつもの笑顔。


 けれど、どこかぎこちなさが残っていた。


「……本当に?」


「ほ、本当だよ!」


 あかりは慌ててスマートフォンを鞄にしまった。


「それより、今日の数学の宿題やった?」


「やったけど」


「よかった! あとで教えてね!」


「……自分でやれよ」


「えー! そこは彼氏として助けてくれてもいいのに!」


 彼女は冗談っぽく笑った。


 そのやり取りを見ていたクラスメイトたちが、こちらを見てくすくすと笑っている。


 いつもの会話。


 いつもの距離。


 それなのに、俺は彼女が何かを隠しているような気がしてならなかった。


 昨日、帰り道で交わした会話が頭をよぎる。


『文化祭が終わったら、私たち、どうするんだろうね』


 あかりは、俺との関係をどう考えているのだろう。


 俺自身も、まだ答えを出せていない。


 だからこそ、彼女が何かに悩んでいるのなら、その理由を知りたいと思った。


 ……もちろん、本人が話してくれるまでは無理に聞くつもりはない。


 それくらいのことは、守りたいと思っていた。


     *


 昼休み。


 購買で買ったパンを手に教室へ戻ると、あかりの姿がなかった。


 机の上には、彼女の弁当箱だけが置かれている。


「……どこに行ったんだ?」


 近くにいた女子に尋ねると、彼女は廊下のほうを指さした。


「朝倉くんに呼ばれて、外に行ったよ」


「……朝倉?」


「うん。何だか真剣な話みたいだったけど」


 俺は手に持ったパンへ視線を落とした。


 別に、気にする必要はない。


 悠真はあかりの幼なじみだ。


 二人が話すのは自然なことだし、俺が口を挟む理由もない。


 ……そう考えた。


 それなのに、胸の奥がわずかにざわついた。


「……くだらないな」


 自分に言い聞かせるようにつぶやき、席に座る。


 パンの袋を開けたものの、なぜか食欲が湧かなかった。


     *


 校舎裏にある小さな庭。


 あかりは、悠真と向かい合って立っていた。


「……急に呼び出してごめん」


 悠真が申し訳なさそうに言った。


「ううん。どうしたの、悠真?」


 あかりは不思議そうに首をかしげた。


 幼いころから、何度も見てきた表情だった。


 困っているとき。


 うれしいとき。


 そして、何かを隠そうとしているとき。


 悠真には、あかりの表情のわずかな変化が何となく分かった。


 だからこそ、今日は簡単に話を終わらせるつもりはなかった。


「……最近、樹と一緒にいることが多いよね」


「……うん」


 あかりは少し照れたように笑った。


「文化祭の準備もあるし、一緒に帰ることも多いから」


「そっか」


 悠真は一度、視線を落とした。


 言葉を探すように、少しだけ間を置く。


「……あかりは、樹のことが好きなの?」


 突然の質問に、あかりは目を見開いた。


「えっ……?」


「ごめん。急にこんなこと聞いて」


「……どうして、そんなこと?」


 悠真は、どこか寂しそうに笑った。


「何となく、分かるから」


 あかりは黙り込んだ。


 すぐに否定することも、肯定することもできなかった。


 樹と一緒にいると、自然体でいられる。


 無理に笑わなくてもいい。


 弱い自分を見せても、勝手に決めつけたりしない。


 そんな樹のことを、もっと知りたいと思っている。


 けれど、それが恋なのかどうか。


 自分でも、まだはっきりとは分からなかった。


「……まだ、自分でもよく分からない」


 あかりは正直に答えた。


「樹くんと一緒にいると楽しいし、これからも一緒にいたいって思う。でも……」


「……うん」


「それが、どういう気持ちなのか、今はまだ考えているところなの」


 悠真は静かにうなずいた。


「……そっか」


 その声は穏やかだった。


 けれど、制服の裾を握る指先には、わずかに力がこもっていた。


「……じゃあ、俺も正直に話すよ」


 あかりが顔を上げる。


 悠真は、まっすぐ彼女を見つめた。


「俺は、あかりが好きだ」


 一瞬、周囲の音が遠のいたような気がした。


 あかりは何も言えなかった。


「……ずっと前から」


 悠真は続けた。


「小学生のころから、ずっと一緒にいたよな。中学のとき、あかりがつらそうにしていたことも知ってる。無理して笑っていたことも、誰にも相談できずに一人で抱え込んでいたことも」


 彼は小さく息を吐いた。


「だから、あかりが笑っていると安心するし、悲しそうにしていると放っておけなかった」


「……悠真」


「最初は、それが幼なじみとしての気持ちだと思ってた。でも、いつからか、それだけじゃなくなっていたんだ」


 悠真は少しだけ目を伏せた。


「他の男子と楽しそうに話しているのを見ると、どうしても気になった。誰かのことを好きだって聞いたら、きっと、すごく落ち込むと思う」


 そして、もう一度あかりを見つめた。


「……今も、樹の話をしているときのあかりを見るのが、少しつらい」


 あかりの胸が、ぎゅっと締めつけられた。


 悠真は、いつだって優しかった。


 自分が困っているときには、そばにいてくれた。


 笑えないときも、無理に笑わせようとはしなかった。


 そんな大切な幼なじみが、ずっと自分を好きでいてくれた。


 その気持ちを知って、何も感じないはずがなかった。


「……ごめん」


 あかりは、思わずそう口にしていた。


 悠真は静かに首を横に振った。


「謝らなくていいよ」


「でも……」


「俺が勝手に好きになったんだから」


 悠真は少しだけ困ったように笑った。


「ただ、一度ちゃんと伝えておきたかったんだ」


 あかりは彼の顔を見つめた。


「何も言わないまま、あかりが誰かと付き合うことになったら、きっと後悔すると思ったから」


 あかりは唇を結んだ。


 すぐに答えを出すことはできなかった。


 悠真を傷つけたくない。


 でも、だからといって、自分の本当の気持ちを偽ることもしたくなかった。


「……悠真」


「うん?」


「話してくれて、ありがとう」


 あかりは、ゆっくりと言葉を続けた。


「ちゃんと考えたい。悠真の気持ちも、私自身の気持ちも」


「……うん。それでいいよ」


 悠真は小さくうなずいた。


 それから、少しだけ寂しそうに笑った。


「……でも、今すぐ返事がほしいわけじゃないから」


「……ごめんね」


「だから、謝らなくていいって」


 彼はいつものように笑おうとした。


「俺たち、幼なじみだろ? これからも普通に話してくれたら、それでいいよ」


 あかりは、その笑顔を見て胸が痛くなった。


 いつもと同じ笑顔。


 けれど、今はその奥に隠されていた気持ちを知ってしまった。


 もう、以前と同じようには見られない。


     *


 昼休みの終わり。


 俺は教室の窓から、校舎の外を眺めていた。


 すると、庭のほうに二人の姿が見えた。


 あかりと悠真だった。


 二人は何かを話している。


 あかりは真剣な表情で、悠真もいつもより静かな様子だった。


 やがて、悠真が笑った。


 あかりも、それに応えるように小さく笑った。


 その光景を目にした瞬間、胸の奥がざわついた。


 理由は分かっていた。


 ……いや、分かっているつもりだった。


 俺は窓から離れ、自分の席に座った。


 別に、二人が何を話していても関係ない。


 あかりが誰と話すかは、あかりの自由だ。


 俺は偽物の恋人なのだから。


 そう自分に言い聞かせた。


 それなのに。


「……何やってるんだ、俺は」


 小さくつぶやいた声は、教室のざわめきに紛れて消えていった。


     *


 放課後。


 文化祭の準備をしていると、あかりが教室に戻ってきた。


「樹くん、お待たせ!」


「ああ」


 彼女はいつものように笑っていた。


 けれど、よく見ると、目元が少し赤くなっているように見えた。


「……大丈夫か?」


「え?」


「……いや、何でもない」


 聞きかけて、やめた。


 悠真と何を話したのか。


 どうして目元が赤いのか。


 本当は知りたかった。


 けれど、彼女が自分から話してくれない限り、無理に聞くべきではないと思った。


「……樹くん?」


「何だ?」


「今日、一緒に帰れる?」


「……ああ」


 あかりは、ほっとしたように笑った。


「よかった」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 彼女は、俺と一緒に帰りたいと思ってくれている。


 それだけのことが、今は妙にうれしかった。


 ……本当に、単純な人間になったものだ。


     *


 夕方。


 俺たちは並んで帰り道を歩いていた。


 いつもなら、あかりが学校であったことを楽しそうに話してくれる。


 けれど、今日はなかなか口を開かなかった。


 俺も無理に話題を作ろうとはしなかった。


 しばらく歩いたあと、あかりが小さな声で言った。


「……今日ね、悠真に告白されたの」


 俺は、思わず足を止めそうになった。


「……そうか」


 それだけ答えるのが精いっぱいだった。


 あかりは、俺の表情をうかがうように見つめた。


「……驚いた?」


「……まあ、少し」


「そっか……」


 彼女は視線を落とした。


「悠真は、ずっと私のことを大切にしてくれてたの。私がつらいときも、いつもそばにいてくれた」


「……ああ」


「だから、私にとってすごく大切な人なの」


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 あかりにとって、悠真は大切な人。


 当たり前のことだ。


 幼いころから一緒にいて、つらいときも支えてくれた相手なのだから。


 俺が知らない時間を、二人は共有している。


 それは、今さら変えられない事実だった。


「……返事はしたのか?」


 できるだけ平静を装って尋ねた。


「ううん。まだだよ」


 あかりは首を横に振った。


「ちゃんと考えたいって伝えたの」


「……そうか」


 会話が途切れた。


 俺は、何を言えばいいのか分からなかった。


 応援するべきなのだろうか。


 悠真はいいやつだ。


 あかりのことを本当に大切に思っている。


 もし二人が付き合うことになったら、きっと彼女を大切にしてくれるだろう。


 それなのに。


 そう考えた瞬間、胸の奥がひどく重くなった。


 あかりが悠真と付き合う。


 二人で帰る。


 一緒に写真を撮る。


 楽しそうに笑い合う。


 そして、そこに俺はいない。


 ……想像したくなかった。


「……樹くん?」


 あかりの声で、我に返った。


「……何だ?」


「……怒ってる?」


「……いや」


「本当に?」


 彼女は不安そうに俺を見つめた。


「……悠真のこと、話さないほうがよかった?」


「そんなことはない」


 俺は首を横に振った。


「話してくれて、よかったと思う」


 それは本心だった。


 彼女が自分から話してくれたことは、うれしかった。


 けれど、自分の中に生まれた感情を、どう扱えばいいのか分からなかった。


「……ただ」


「……ただ?」


 俺は言葉を探した。


「……お前にとって、悠真が大切な人だってことは分かってる」


「……うん」


「だから、ちゃんと考えて決めればいいと思う」


 あかりは静かにうなずいた。


「……ありがとう」


 その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。


 けれど、本当は別のことを言いたかった。


 悠真のことを、どう思っているのか。


 俺と一緒にいることを、どう感じているのか。


 そして――。


 俺のことを、どう思っているのか。


 本当は、聞きたかった。


 でも、今の俺には、その質問をする資格があるのか分からなかった。


 俺たちは、偽物の恋人なのだから。


     *


 駅に着くと、あかりが足を止めた。


「……樹くん」


「何だ?」


「……もし、私が誰かを好きになったら」


 心臓が、強く跳ねた。


「……うん」


「樹くんは、どう思う?」


 俺は答えられなかった。


 彼女は、まっすぐ俺を見つめていた。


 冗談ではない。


 いつものからかいでもない。


 本気で、俺の答えを聞きたいのだろう。


「……それは」


 言葉が出てこなかった。


 もし、あかりが悠真を好きになったら。


 俺は、どう思うのだろう。


 彼女が幸せなら、それでいい。


 今までなら、迷わずそう答えていたはずだ。


 けれど、今は違う。


 彼女が自分以外の誰かを選ぶことを、考えたくなかった。


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「……お前が幸せなら、それでいいと思う」


 あかりの表情が、ほんの少しだけ曇った。


「……そっか」


 彼女は笑った。


 けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。


「……うん。そうだよね」


 俺は、自分の言葉を後悔した。


 嘘をついたわけではない。


 あかりには幸せでいてほしい。


 それは間違いなく本当の気持ちだ。


 でも、それだけではなかった。


 自分が彼女の隣にいたい。


 自分を選んでほしい。


 そんな気持ちが、胸の奥に確かに存在していた。


 なのに、俺はそれを言葉にできなかった。


「……じゃあ、また明日ね」


 あかりは改札へ向かった。


 俺は、その背中を見つめていた。


 何か言わなければ。


 今、声をかけなければ、また何も言えないままになってしまう。


 そう思った。


 けれど、結局。


「……ああ。また明日」


 それしか言えなかった。


     *


 その夜。


 俺は机の前に座り、ノートを開いていた。


 けれど、文字は一行も進んでいない。


 頭の中では、今日の会話が何度も繰り返されていた。


『もし、私が誰かを好きになったら、樹くんはどう思う?』


 俺は、あかりに何と答えたかったのだろう。


 幸せなら、それでいい。


 確かに、そう思う。


 でも。


 彼女が幸せになるために、俺がいなくてもいいのだろうか。


 ……いや。


 違う。


 俺は、彼女の幸せを願っている。


 それと同時に、彼女の隣にいたいと思っている。


 二つの気持ちは、矛盾しているようで、きっとどちらも本物なのだ。


「……俺、あかりのことが……」


 言いかけて、口を閉じた。


 まだ、最後まで言葉にできない。


 けれど、もう分かり始めていた。


 あかりが他の誰かを選ぶことを考えると、胸が苦しくなる。


 彼女が自分以外の誰かと笑い合う姿を想像すると、どうしようもなく落ち着かない。


 そして、彼女と一緒に過ごす時間が、いつの間にか何よりも大切になっていた。


 これを、何と呼ぶのだろう。


 そのとき、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。


 あかりからのメッセージだった。


『今日は話を聞いてくれてありがとう』


『まだ、自分の気持ちがよく分からないけど……ちゃんと考えてみるね』


 俺は、しばらく画面を見つめていた。


 そして、返信を打った。


『……ああ。焦らなくていいと思う』


 送信してから、もう一通だけメッセージを送った。


『何かあったら、いつでも話してくれ』


 少しして、返事が届いた。


『うん。ありがとう、樹くん』


 それだけだった。


 俺はスマートフォンを机に置いた。


 窓の外では、夜風が静かに吹いていた。


 悠真は、あかりに気持ちを伝えた。


 そして、あかりは、その気持ちと向き合おうとしている。


 俺もまた、自分の気持ちから逃げ続けるわけにはいかない。


 偽物の恋人という約束に隠れているだけでは、何も変わらないのだから。


「……ちゃんと考えないとな」


 俺は深く息を吐いた。


 明日、あかりに会ったら。


 今度こそ、自分の気持ちを少しだけでも伝えられるだろうか。


 答えは、まだ分からない。


 ただ、一つだけ確かなことがあった。


 もう、彼女をただの偽物の恋人だとは思えなかった。


 そして、その気持ちを認めることが、何よりも怖かった。


         第12話終了



最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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これからも楽しんでいただける物語をお届けできるよう頑張ります!

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