—4—「敗北」
駿河は勢いよく顔を上げると、真正面から兵藤を睨みつけた。
「お前たちは、これまで散々法律違反を繰り返してきたじゃねぇか!」
先ほどまで追い込まれていたとは思えない勢いだった。
「恫喝なんて日常茶飯事だ。不真面目な態度を取ったってだけで暴力を振るったこともある。立派な暴行罪だろうが!」
駿河は一歩前へ踏み出す。
「しかも、職務中の相手を襲ったこともあった。だったら公務執行妨害にも該当する。交番の看板への落書きもそうだ。あれは公共物だろ。つまり器物破損だ!」
言葉が止まらない。今まで押さえ込まれていた反動のように、次々と怒りが溢れ出してくる。
「神社も壊した。寺も壊した。他の教会だって破壊した!」
駿河の額には青筋が浮かんでいた。
「そもそも、お前たちは公的機関じゃない!それなのに“不真面目病”とか勝手に決めつけて、人を捕まえて、監禁して、暴力まで振るってる!」
拳を強く握り締める。
「もう一度言うぞ。お前たちには逮捕権なんてない。人の自由を奪う権利もない。だったら、それはただの監禁だ!」
駿河は兵藤を指差した。
「監禁罪だよ!」
怒声は止まらない。
「いいか!? この国は法治国家なんだ! お前たちは今まで、数え切れないほど法律違反を繰り返してきた!」
そして最後に、吐き捨てるように言い放つ。
「誰がなんと言おうと、法律がお前たちを認めてねぇんだよ! お前たちは正義じゃない。ただの犯罪組織だ!!」
――あの劣勢から、よくここまで立て直したものだった。
駿河は肩で息をしながら、兵藤を睨み続ける。
そして、返答が返ってこないことを、“言い返せなくなった”のだと解釈して「……フン」と勝ち誇るように鼻を鳴らす。
だが、勝利を確信するには早すぎた。
兵藤は微塵も動揺していなかった。
数々の法律違反を真正面から突きつけられてなお、その余裕は崩れない。
それどころか――。
「くくく……」
兵藤は、愉快そうに笑っていた。
「論点のすり替えか。まぁ、いいだろう」
兵藤は肩をすくめ、静かに椅子へ背を預けた。
「確かに、我々の活動には一部法律違反があったことは認めよう」
あまりにもあっさりした口調だった。
「そして、君の言う通り、この国は法治国家だ。法律へ従うべきだという主張にも、一理ある」
兵藤はそこで一度言葉を切る。
そして、ゆっくりと目を細めた。
「だがね――この国は、法治国家である以前に“民主主義国家”なんだよ」
「民主主義だと?」
駿河が思わず声を荒げる。
議論において相手の発言を遮るのは本来マナー違反だ。だが、そんなことを律儀に守っていられる余裕は、今の駿河にはなかった。
兵藤が何を言おうとしているのか――その方向性を察した瞬間、嫌な汗が背筋を伝ったのである。
「多数派なら何をやってもいいって言いたいのか!?」
駿河は語気を強める。
「そんな理屈、通るわけねぇだろ! 民主主義の上に法律が成り立ってるんだ!」
勢いのまま言葉を叩きつける。
「選挙で選ばれた政治家が法律を作る! だから国民には、その法律を守る義務があるんだよ!」
駿河が言い終えた瞬間だった。
「――くくっ」
兵藤が肩を震わせた。次の瞬間、教祖室へ大きな笑い声が響き渡る。
「はははははっ!!」
兵藤は机を叩きながら笑っていた。あまりに笑いすぎたのか、目尻には涙まで滲んでいる。
その態度は、もはや露骨な嘲笑だった。
駿河のこめかみがひくりと痙攣する。
腸が煮えくり返りそうだった。
だが、ここで怒鳴れば負けだと、本能的に理解していた。
駿河はどうにか表情を取り繕う。
しかし、目だけは誤魔化しきれていなかった。
兵藤は笑いを収めると、机へ両肘をつき、試すような視線を駿河へ向けた。
「その“政治”というものは、本当に機能しているのかな?」
冷たい声だった。
まるで、すべてを見透かしているかのような目だった。
駿河は思わず息を呑む。
「この国は、法治国家の皮を被っているだけだ」
兵藤は静かに続ける。
「その根底にあるのは、民主主義などという綺麗なものじゃない。実態は、全体主義だよ」
教祖室の空気が、わずかに重くなる。
「つまり、たとえ法律違反だったとしても、“民衆が許せば”それは許容される。逆もまた然りだ」
兵藤は椅子へ深く腰掛けたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「この国では、過去に何度も冤罪事件が起きた」
そこで兵藤は、駿河をまっすぐ見据えた。
「人々は、そのたび警察や司法を批判した。だが、本当に悪かったのは国家だけなのかな?」
兵藤の口元が、ゆっくりと歪む。
「犯人だと決めつけ、家族へ“正義の鉄槌”を下し、寄ってたかって誹謗中傷を繰り返していたのは誰だ?」
そして、静かに言い放つ。
「――民衆さ」
「……黙れ」
駿河の口から、掠れた声が漏れた。先ほどまでの勢いは、もう残っていない。
兵藤の言葉に押し切られ、駿河の目からは、徐々に光が失われ始めていた。
「この国では、多数派こそが正しい」
兵藤は静かに言う。
「多数派こそが、“絶対の正義”なんだよ」
「……黙れって、言ってんだろ……」
駿河の声には、怒りよりも疲労が滲んでいた。
しかし、兵藤は構わず続ける。
「君、警察官なんだろう?」
その言葉に、駿河の肩がぴくりと揺れた。
「だったら私を逮捕してみればいい」
兵藤は薄く笑う。
「もっとも、私は直接手を下してはいない。せいぜい、“教唆”程度が関の山かな?」
そこで、わざとらしく首を傾げる。
「ほら。君の大好きな“法律”で、裁いてみたらどうだ?」
「……黙れ」
駿河の拳が震える。
「そのまま上司へ引き渡せばいい。だが、きっと私は釈放されるだろうね」
兵藤の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「それどころか――」
「黙れぇぇぇっ!!」
怒号が爆発した。
駿河は目をひん剥き、兵藤へ飛びかかる。
そして、兵藤の顔面へ掌を叩きつけた。
そして、兵藤の姿が、音もなく消える。
教祖室には、駿河の荒い呼吸だけが残された。
「はぁっ……はぁっ……」
肩が激しく上下する。
完全に論破された。
追い詰められた。その現実を受け止めきれず、駿河の中で何かが切れていた。
「クソがぁっ!!」
近くにあったスタンドライトを蹴り飛ばす。金属音が響き、照明が床を転がった。
続けざまにファイルを掴んでは投げつけ、モニターを叩き落とす。
破壊音が、次々と教祖室へ響き渡った。
だが、暴れても暴れても、胸の奥の苛立ちは消えない。むしろ、自分が惨めになるだけだった。
やがて時間の経過と共に、どうにか駿河は冷静さを取り戻していく。
しかし、兵藤に刻み込まれた言葉だけは、黒い染みのように胸へ残り続けていた。
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その後、駿河は教会の地下へ降りた。
薄暗い通路を進んだ先には、鉄格子の並ぶ牢屋があり、その一角で、甲斐が床へ座り込んでいた。
見張りの信者が振り返るより早く、駿河は掌を向けた。
次の瞬間、見張りの姿が掻き消える。
「おぉ! 駿河!」
甲斐が勢いよく立ち上がった。
「助けに来てくれたのか!」
「あぁ……」
だが、返ってきた声には覇気がなかった。
甲斐は呑気に笑っている。
しかし、駿河の心はまるで晴れていなかった。
―――こうして、甲斐の奪還自体は成功した。
それなのに――駿河の胸に残ったのは達成感ではなく、重苦しい敗北感だけだった。




