—3—「論破の神、降臨」
全生物平等教――東京本部。
灰色の雲が垂れ込める空の下、駿河は巨大な教会施設を見上げていた。無機質な白い外壁は、まるで要塞のように冷たくそびえ立っている。
だが、駿河は怯むことなく正門へ歩み寄った。
鉄製の門扉へ手を掛けた瞬間、入口付近で警備をしていた信者たちが異変に気づき、慌てて駆け寄ってくる。
「おい、君――」
訝しげな声を上げた信者は、次の瞬間、顔を強張らせた。目の前の男が、現在指名手配されている駿河光太郎その人だと気づいたのである。
信者たちは一瞬顔を見合わせたあと、どこか安堵したような表情を浮かべた。どうやら、自首しに来たのだと勘違いしたらしい。
無警戒のまま門扉が開かれる。
「抵抗するな――」
拘束しようと伸ばされた腕を、駿河は半歩だけ身体をずらして躱し、次に男の顔面へ掌を触れさせる。
次の瞬間――信者の姿が消えた。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように、音もなく、忽然と。
駿河に宿った神の力は、基本的にガラクタしか生み出せない能力である。
それは、ある意味では“あべこべ”の力でもあった。
この能力も例外ではなく、“飛ばされたくない”と思っている人間にしか効かない。つまり、逃げたくない者、ここに留まりたいと思っている者ほど、容易くどこか遠くへ飛ばされる。
ある意味では、チート級の理不尽な能力だった。
残された信者たちが息を呑む。一瞬、誰も状況を理解できなかった。
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
だが、駿河はその反応に見向きもしない。
外の警備を次々と“どこか遠く”へ飛ばし、そのまま正面玄関から堂々と教会の中へ踏み込んだ。
内部は静謐そのものだった。白い大理石の床が照明を鈍く反射し、高い天井には荘厳なシャンデリアが吊るされている。宗教施設らしい厳かな空気が漂っていたが、駿河の侵入によって、その静けさは一瞬で掻き乱された。
「き、君は誰だ!? 外の警備はどうし――」
最後まで言葉は続かなかった。
駿河の掌が触れた瞬間、その信者もまた唐突に姿を消す。
悲鳴すら残らない。まるで空間ごと切り取られたような消え方だった。
それから先は、一方的だった。次々と現れる信者たちを、駿河は片っ端から消していく。
「侵にゅ…」
「お前は何者だ。いま…」
侵入者だと叫ぼうとした者も、警報を鳴らそうとした者も、駿河へ掴みかかろうとした者も、触れられた瞬間、例外なく視界から消え去った。
教会中に広がっていくのは、悲鳴よりも混乱だった。
甲斐の居場所を把握していない駿河は、一階を手当たり次第に探し回った。
だが、どこにも姿はなく、次に二階へ上がる。
その頃には、教会中が完全に騒ぎになっていた。異変を聞きつけた信者たちが、馬鹿正直に次々と駿河へ群がってくる。
しかし、結果は一方的だった。
駿河へ触れようとした瞬間、信者たちは次々と“どこか遠く”へ飛ばされていく。悲鳴を上げる暇すらない。
神の力を与えられた駿河に敵う者など、この場には存在しなかった。
まさに無双状態である。
二階にも甲斐の姿はなかったため、駿河は迷うことなく、さらに三階へ足を踏み入れた。
奥へ進むにつれ、人の気配が不自然なほど薄れていく。やがて突き当たりに、重厚な扉が現れた。
そこには、金色のプレートが掲げられている。
【教祖室】
駿河は鋭い目つきで、その扉を見据えた。
この際だ。一言くらい挨拶をしてやろう――そんな妙な余裕からか、駿河は調子づいた様子で教祖室のドアノブへ手を掛けた。
だが、回らない。鍵が掛かっていた。
駿河は一瞬だけ眉をひそめると、「フンッ」と鼻で笑った。
そして、神の力を発動させる。次の瞬間、扉は内側から爆ぜたように粉々へ砕け散った。鈍い破壊音が廊下へ響き渡り、鍵ごと吹き飛んだ木片が周囲へ飛散する。
駿河は、その残骸を踏み越えながら、堂々と教祖室へ足を踏み入れた。
室内は高級ホテルの一室を思わせる空間だった。重厚な木製デスクに壁一面の本棚。宗教施設というより、成功した実業家の執務室めいている。
その中央、デスクチェアへ腰掛けていた兵藤が、静かに駿河へ視線を向けた。
突然の襲撃に、多少は取り乱した顔でも見られると思っていた。だが、兵藤は顔色一つ変えず、それどころか、駿河の姿を認めると薄く口角さえ吊り上げた。
「やぁ、初めまして。君が駿河光太郎だね。でも、その様子だと自首をしに来たわけではなさそうだ」
兵藤は穏やかな口調のまま、次に砕け散った扉へ目を向ける。
「それにしても、少々手荒い真似は控えてもらいたいね。その扉はいずれ修理しなければならない。余計な出費だ」
そこで小さく肩をすくめた。
「その金があれば、飢えに苦しむ子供を一人救えたかもしれないのに。君は今、一つの命を救う機会を失わせたわけだ」
本来なら窮地に立たされているのは兵藤のはずだった。しかし、この男には焦りも恐怖も見えない。余裕綽々の態度で飛躍した理論を並べ立て、当然のように駿河を“人殺し”扱いする。
その瞬間、駿河の血圧は一気に跳ね上がった。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ!」
怒声が教祖室へ響き渡った。
「甲斐はどこだ! 居場所を吐かなきゃ、てめぇもどこか遠くへ飛ばすぞ!」
だが、兵藤は微動だにしなかった。むしろ、呆れたように小さく肩をすくめる。
「逆切れかい?」
淡々とした声だった。
「これだから“不真面目病”の者たちは遺憾なんだ。どうやら君たちは、自分たちの行為がどれほど罪深いか、本気で理解していないらしい」
「なんだと……?」
駿河の眉間へ深く皺が刻まれる。
反論しようと口を開く。だが、怒りが先行しすぎて言葉がまとまらない。頭の中で感情だけが暴れ回り、上手く声になってくれなかった。
その隙を逃さず、兵藤は静かに指を一本立てる。
「一つ。君たちは芸術作品を穢した」
まるで講義でも始めるような口調だった。
「これは立派な器物破損行為だ」
「ふざけるな!!」
駿河が怒鳴る。
「俺たちは、芸術作品を“ありのまま”の姿へ戻しただけだ! モザイクを入れたり、過度な修正を加えたり……そんなものの方が、よっぽど作品を壊してるだろうが!」
興奮のあまり、額には青筋が浮かんでいる。
「芸術を侮辱してるのは、そっちだ!!」
だが、兵藤は顔色一つ変えなかった。
駿河の怒号を真正面から受けながらも、その瞳はどこまでも冷え切っている。
「二つ」
そして兵藤は、静かにもう一本、指を立てた。
「君たちは、注意を行った監視員の制止を無視し、美術館で騒ぎを起こした。静謐であるべき空間を破壊し、他の来館者へ多大な迷惑を掛けた」
淡々とした声音だった。だが、その口調には裁判官めいた冷たさがあった。
「さらに、君たちは逃走した。これはつまり、自分たちの行為が悪であると自覚していた証左でもある」
兵藤はそこで一度言葉を区切る。
「加えて、君たちを追跡するため、本来監視業務を行うべき職員たちは現場を離れざるを得なくなった。結果として、無駄な労力を強いられたわけだ」
そして、まっすぐ駿河を見据える。
「申し訳ないとは思わないのかね?」
その言葉に、駿河の足がわずかに後退った。
顔に動揺が滲む。痛いところを突かれた――そんな反応だった。
「そ……それは、お前たちが間違ってるからだ!」
どうにか反論を絞り出す。
「別に好きでやったわけじゃねぇ!」
しかし、その声には先ほどまでの勢いがない。
図星を突かれた動揺からか、言葉は酷く幼稚だった。まるで、叱責された子供が必死に言い訳しているようにも聞こえる。
兵藤は、そんな駿河を見て小さく目を細めた。
「それって、あなたの感想ですよね?」
――それは、論破の神が降臨した瞬間だった。議論において、優勢な者だけに許される必殺の一手。
追い詰められた相手の思考を止め、精神へ直接打撃を与える恐るべき神業である。
この【それって、あなたの感想ですよね?】という禁術は、今から二十年ほど前、議論戦乱の時代に突如として現れた博之之御魂神によって編み出されたと言われている。
なお、この神業は“優勢な側”が放つからこそ絶大な効果を発揮するのであり、劣勢な者が不用意に使用した場合、ただ反感を買うだけで終わる危険な禁じ手でもあった。
「あぅ……」
駿河はまともに神業を受け、言葉を失った。肩を落とし、ぐうの音も出ずに項垂れる。
その様子を静かに見届けると、兵藤は追い打ちを掛けるように、さらに一本指を立てた。
「三つ。君たちは逃走中にも罪を重ねている」
兵藤の声は、相変わらず淡々としている。
「無断で他人の家へ侵入した。不法侵入だ。さらに追跡者の進路を妨害するため、店の商品を故意に散乱させた。器物破損に加え、営業妨害にも該当する」
そこで兵藤は小さく息を吐いた。
「加えて、弁償を求めた店主に対し暴言を吐いた。これは立派な恫喝行為だ」
そして静かに首を傾げる。
「……ここまでしておいて、どうして自分たちを正当化できるのか。私には理解できないね」
明らかに分が悪かった。もっとも、今列挙された行為の大半は、甲斐が勝手にやらかしたことである。
だが、この場で問われているのは“個人”ではなく、“組織としての在り方”だった。
つまり、仲間の行為も全て自分たちの責任として返ってくる。
今さら「それは俺じゃない」と言ったところで、何の意味も持たない。
――あの野郎、余計なことしやがって。行き場のない怒りが、駿河の胸の内で渦巻いた。
それはどこか、理不尽なクレーム対応に似ていた。
部下を庇おうと前へ出た上司が、報告のなかった失態を次々突きつけられ、反論の糸口すら失っていく――まさに、あの感覚だった。
駿河は拳を強く握り締める。
爪が掌へ食い込み、皮膚へ白い跡が浮かんでいた。
怒りと苛立ちで、全身が小刻みに震えている。
「さて――」
兵藤が静かに口を開いた。
「この期に及んで、まだ開き直るつもりがあるなら聞こうじゃないか」
完全に追い詰められていた。
普通なら、ここで心が折れていてもおかしくない。
だが、それでも駿河は諦めなかった。
打ちのめされても、叩き伏せられても、何度でも立ち上がろうとする。
それが駿河光太郎という男だった。
駿河は勢いよく顔を上げる。そして、真正面から兵藤を睨みつけた。
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