—2—「全平教教祖からの挑戦状」
「えっと……兵藤様……じゃなくて、兵藤が、わたしたちに向けて声明を出したんです」
和奏は言い直しながら、どこか気まずそうに視線を逸らした。長年染みついた呼び方が、まだ完全には抜けきっていないらしい。
「声明? どんな?」
美緒が身を乗り出すように食いつく。先ほどまでの騒動で、和奏の強烈すぎる存在感にすっかり押し流され、危うく影が薄くなりかけていた。どうにか存在感を取り戻そうとしているのか、その反応だけは妙に素早かった。
「えっと……投降しろ、みたいな感じです。だから、その……とりあえず見せたいんです。それを!」
和奏は落ち着きなくその場でぴょこぴょこと跳ねながら、頬をぷくっと膨らませた。思い通りにいかない―そんな不満が、態度にそのまま滲み出ている。
「なるほど、そういうことか」
ようやく話が繋がり、駿河たちは辛抱強くテレビの前で待つことにした。
もっとも、実際には、その声明は先ほど味噌汁騒動でてんやわんやしている最中にすでに流れていた。
それをダニエルだけは知っていたが、この状況でその事実を口にすれば、話がさらにややこしくなる未来しか見えなかったため、彼は静かに口を閉ざしていた。
待つこと十数分後。
先日の美術館襲撃事件と、指名手配写真の報道が流れたあと――画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、全平教の教祖・兵藤だった。
背景は、塗り潰したような黒一色だった。光を吸い込むような闇の中央に、兵藤だけが静かに立っている。
天井から落ちる白いスポットライトが、その姿だけを鋭く浮かび上がらせていた。
白いワイシャツは皺ひとつなく整えられており、その無機質な白さが、かえって異様な印象を与える。ネクタイは締めていない。第一ボタンだけを外したその姿は、どこか宗教家というより舞台役者めいていた。
三十代後半ほどの男だった。
すっと通った鼻筋に鋭く切れ長の目。輪郭は引き締まっており、全体的に端正な顔立ちをしている。
一見すれば、テレビ慣れした知的な実業家にも見えた。だが、その整いすぎた容貌が、逆に人間味を薄くしている。
表情は静かだった。
怒鳴りもしない。
激情を露わにもしていない。
それなのに、画面越しですら息苦しさを覚えるほどの圧があった。薄く細められた瞳の奥には、燃え残った炭火のような怒りが静かに燻っている。
まるで、自らが裁きを下す神だとでも信じているようだった。
兵藤は静かに口を開いた。
「あなた方の心は、神の如く穢れております」
抑揚を抑えた声で、淡々としている。だが、その静けさが逆に異様だった。
厳かな口調には、どこか宗教的な威圧感が滲んでいる。
一見すれば無表情にも見える。しかし、その目の奥には隠し切れない怒りが宿っていた。
燃え残った炭火のような感情が、静かな瞳の底で赤く燻っている。
「今回のあなた方の行為は、大変遺憾であり、極めて罪深い。到底許されるものではありません」
兵藤は淡々と言葉を紡ぐ。
「ですが――私としても、これ以上の被害拡大は避けたい。そこで、慈悲深い私は、あなた方に一つ提案をしましょう」
そこで、不意に画面が切り替わった。
映し出されたのは、薄暗い独房だった。
湿ったコンクリートの壁と裸電球の白い光。床には汚れた水が薄く溜まっている。
その中央に、甲斐がいた。
パンツ一丁の姿で、両腕を拘束され、床へ膝をついている。
そこへ――冷水が勢いよく浴びせかけられた。
「うっ……ぁぁっ!!」
甲斐が小さな悲鳴を漏らす。
身体をびくりと跳ねさせ、歯をガチガチと鳴らしながら震えていた。唇は青白く、顔は苦悶に歪んでいる。
いつもの軽薄さも、呑気さもなかった。
ただ怯え切った男が、そこにいる。
そして、再び画面が兵藤へ戻る。
兵藤は、まるで汚物でも眺めるような冷たい目でカメラを見据えていた。
「ご覧の通り、差別を助長する差別教の一員――甲斐邦也の身柄はこちらで拘束しました」
淡々とした声音のまま続ける。
「今すぐ投降し、更正プログラムを受けることで、今回の件は不問としましょう」
一拍置く。
「明日までに決断することです」
そして最後に、兵藤はわずかに眉を上げた。
「従わなければ――人類は、生きているだけで罪深い。この意味は、分かりますね?」
挑発とも脅迫ともつかない言葉を残し、声明は終わった。
休憩室に沈黙が落ちる。
「なにやってんだよ……あの馬鹿!」
最初に声を荒げたのは駿河だった。
呑気にゲームをしに帰宅した挙句、あっさり捕まった甲斐に腹が立ったのか、拳でテーブルを叩きつける。
鈍い音が室内へ響いた。
一瞬の静寂。そのあと、ダニエルが低く口を開く。
「……どうしますか。期限は明日までと言っていましたね。素直に投降するか、それとも――」
「もう嫌……」
美緒が震える声を漏らした。
「あたし、あんな拷問……耐えられる気がしないよ……」
両腕で自分の身体を抱き締めるようにしながら、小さく肩を震わせている。
その背後では、和奏が髪を垂らしたまま俯いていた。
高山もまた、いつの間にかゲームの手を止めている。
再び訪れる沈黙。
重苦しい空気の中、駿河はゆっくりと拳を握り締めた。
そして――顔を上げた。
「俺が助けに行く」
その目には、鋭い光が宿っていた。
「でも、どうやって!?」
美緒がヒステリックな声を上げる。
「まさか教会を襲撃する気!? そんなの上手くいくわけない! 逃げる時とは訳が違うんだよ!」
「俺の能力を侮ってもらっちゃ困る」
駿河は低く笑った。
「目にもの見せてやる」
「どういうこと……?」
美緒が不安げに上目遣いで駿河を見る。
ダニエルと高山もまた、険しい表情を浮かべていた。
だが、その中で和奏だけは違った。彼女は目を見開いたまま、驚愕したように口をぱくぱくと動かしている。
その表情は、少し不満げであった。
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