—1—「和奏の珍事件」
駿河が乗り込んだ電車は、池袋へ向かう彼にとって、まったく逆方向だった。
とはいえ、上野へ引き返すのも気が引けるため、いくつか乗り継ぎを重ね、ようやく池袋駅に降り立った。
そのまま足を向けたのは、飯島教の教会がある、あの映画館だ。
正面入口に立った駿河は、思わず足を止めた。
【本日は休館日です】
看板が掲げられ、扉には鍵がかかっている。
――おかしい。
駿河はこの映画館の常連だ。
ここに定休日など存在しないことも、今の時間帯で営業が終わるはずがないことも、よく知っている。
胸の奥に、わずかな違和感が広がる。だが、ここで立ち止まって考えていても仕方がない。
駿河は建物の脇へ回り込み、裏口へと向かった。
インターホンを押す。
すると、わずかな間のあと――中から応答があった。
インターフォン越しに、かすかなノイズが混じる。
「どちらさんですか?」
聞き慣れた声――和奏だ。
「駿河です」
一拍の間。
「あっ、駿河さんですか!」
途端に声が弾む。
「どうでした? うまく行きましたか? 他の方もご一緒ですか?」
矢継ぎ早の質問に、駿河は小さく息をついた。
「いや、まず中に入れてくんない?」
「あっ、そうですよね。失礼しました。すぐに開けに行きます」
通話が切れる。
しばらくして、内側から鍵の外れる音が響いた。金属が擦れる乾いた音が、静かな裏路地にやけに大きく響いた。
やがて扉が開き、和奏が顔を覗かせた。
「お疲れ様です。どうでした? うまく行きましたか?」
「ん? あ~なんとか。最後は逃げ切るのに必死だったけど…」
駿河はそう言いながら、自然な流れで中に入ろうとする。
だが――和奏はその場から動こうとしない。
結果、扉の前で立ち止まる形になった。
「他の方は一緒じゃないんですか?」
「そう。追手を振り切るために分かれたんだ。それで、ここで待ち合わせってことにしてる」
「そうなんですか。他の人も無事に逃げ切れていればいいですね」
和奏は頷きながら、なぜかその場で話を続ける。
「わたし、今日は大学が午前中だけだったんですよ。そしたら甲斐さんが――」
「このまま玄関先で話すの? 中に入れてくれよ」
堪らず、駿河が不満を口にした。
和奏は一瞬ぽかんとしたかと思うと、次の瞬間には慌てふためきながら扉の取っ手に手を伸ばした。
「あっ、そ、そうですよね。失礼しました」
指摘されて、ようやく状況に気づいたらしい。
そして――急に思い出したかのように、勢いよく扉を引き開ける。
――その瞬間。会話するため顔を近づけていた駿河の額に、扉の角が綺麗に直撃した。鈍い音が、小さく響く。
「いたっ! なんで?」
思わず額を押さえ、顔をしかめる駿河。
和奏は一瞬ぽかんと固まり、状況を理解した直後――
「あっ、ご、ごめんなさいっ!」
慌てて手を動かしたかと思えば、今度は勢いよく扉を閉めてしまう。
バンッ、と乾いた音が辺りに虚しく響いた。
取り残された駿河は、しばし呆然と立ち尽くす。
やがて、深いため息をひとつ。
「……あいつは、何がしたいんだ?」
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