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暦は月をまたぎ、季節としては秋に当て嵌まる時期。しかしながら、まだまだ夏の暑さは残っており、額に浮かぶ汗は拭ってもなお噴き出してくる。
駿河たちはこの日、先日打ち合わせした作戦を実行すべく、上野の美術館を訪れていた。実行する面子は、駿河、甲斐、美緒、ダニエルの四人である。和奏は、目立つ活動には参加したくないとの希望から、今回は外した。高山は乗り気だったが、美緒がやんわりと否していた。
彼女としては、高山に手伝ってもらうことが恐れ多く、現場は手下に任せてほしいという意味合いだったのだが、駿河としても、高山は年齢が年齢だけに足手まといになる可能性がある。いいぞいいぞ、そのまま黙らせろと、陰ながら美緒を応援していた。
チケット売り場で大人四枚を購入し、緊張の面持ちで入館する。
自動ドアを抜けた瞬間、外の熱気が嘘のように引き、ひんやりとした空気が肌を撫でた。どこか乾いた静けさと、微かに漂うワックスと石の匂いが鼻を掠める。
事前に建物の構造は確認しており、間取りは凡そ把握していた。
上野にあるその美術館は、地上三階、地下三階の建物である。地下一階~地下三階は主に機械室や事務室、それと保管庫などの裏方がメインで、一般客は入れない。
正門のある中央館が西館、東館とそれぞれ直通で繋がっており、全体的に横長な構造の建物である。
一階の中央館は、受付やお土産売り場が主で、こじんまりとした喫茶店もある。観光客らしき人々が静かに行き交い、足音だけがやけに響いていた。
展示物は一階の西館と東館、それと二階と三階全域にある。一階は主に古代石などを扱っており、無機質な展示物が整然と並び、どこか時間の止まったような空気が漂っている。
ここにはあまり用はなかった。
駿河と甲斐は三階へ、美緒とダニエルは二階へ向かう。
更に西館、東館とそれぞれ分岐し、配置を目指した。
「これが芸術というわけか…。うん。なにが良いのか全然わからないや。いや、これいいぞ可愛い。これだこれ最高だよ。ん?これはおっさんか?興味ねぇー」
お互いが状況を確認できるように、一人一人がイヤホン式の無線機を持っているのだが、甲斐が興奮気味の様子で無線を飛ばした。
「おい、うるさいぞ。下らない感想をいちいち無線で飛ばすな」
堪らず、駿河が注意する。
「だってさぁ。はじめてなんだよ。美術館なんて。こんなにエロに包まれているなんて、ぐふふ、わくわくするね」
「気持ち悪い。笑い方をするな」
「これがヲタクの笑い方なんだよ。最近学んだ」
「それはズレていないか?」
甲斐は、かつてあったヲタクという文化を、相変わらず勘違いしている節がある。だが、それも致し方ないことなのかもしれない。彼がかつてのヲタク文化を知るには、どうしても書籍に頼るしかない。しかし、この時代に販売されている本は、全て批判的に書かれたものばかりなのだ。
つまり、ヲタク文化がもたらした経済効果や、日本経済が停滞して各国に遅れを取っていた時期に、唯一世界に羽ばたき、存在感を保っていたといった光の側面には、一切触れられていない。
更に言えば、ヲタクに対する偏見を詰め込んだものを、彼は読んでいるのだ。
――それに影響されてしまったのが、甲斐なのである。
忘れてはならないのは、彼がかつていたヲタクを尊敬しているということだ。彼は揶揄しているのではなく、尊敬する彼らに少しでも近づこうと、真似事をしているに過ぎない。
「ねぇ、思った以上に監視の人が多いんだけど、大丈夫かな?」
美緒が不安げな声を出した。
「一、二、三、四、五…五人もいるんですけど。こんなに狭いエリアなのに、なんでこんなにいるの?あたしが中学の時に来た時は、こんなにいなかったはずだけど…」
「暇なんだよ」
「うん、そう。暇なんだよ」
ゲームセンターの現状を知っている駿河と甲斐からすれば、想定内であった。それにしても、こんな下らないことを無線で逐一連絡する連中も珍しい。
「暇って言ったって、絵が三枚しかないのに五人って…。隣の展示室にも同じくらいいたし、どうなってるの?」
「お客様、お静かにお願いします」
「あっ、すみません」
無線でのやり取りのため、傍から見れば一人言をぶつぶつ言っている怪しい奴にしか見えない。ついには監視員から注意を受ける体たらくであった。
美緒の失態に、駿河と甲斐は腹を捩らせて笑いを堪えたが、それもまた不審な動きと判断され、同じように監視員から注意を受けるのだった。
「一通り見終えたでしょうか?」
唯一大人しくしていたダニエルが、諫めるような真面目な口調で本題を切り出した。
「これからでーす」
「自分もです」
「ごめん、ダニエル。まだなの…」
ようやく各自、本題に身を乗り出すのだった。
駿河の管轄の一角は、西洋の印象派が展示されていた。
印象派は十九世紀後半に起こった芸術運動を指し、モネやルノワール、ゴッホなどが代表される。
当時は宗教画や貴族の肖像画を描くのが主流だったのに対し、一般の街の様子や一般人の肖像画など、型に嵌らない自由な題材を描き、自ら展示会を開催して世に芸術を示し、人気を博した。
特徴としては、明るい色彩が多く、木漏れ日など光を描き、また人物画もタッチを荒くすることで、肌の事細かい色の違いを表現している。
「これは酷いな…」
目的に沿う絵を探すために展示作品を見て回っていた駿河は、とある絵の前で立ち止まり、絶句していた。
舞踏会の様子を描いた絵画。
本来は男女が手を取り合い、笑みを浮かべながら踊る様子が描かれているのだが、人々の顔のほとんどがモザイクで塗られている。絵画の下にタイトルが記されているのだが、その更に下に注釈が書かれている。
【不謹慎に笑みを浮かべているため、一部モザイク加工を施しております】
完全に芸術を侮辱している。
男性が女性にキスを迫っている絵画。
これには男性と女性の間に木板が加筆されている。
注釈は【不埒な行いをする男性から我々は女性を救った。永い時を経て、これでようやく女性は報われただろう】
なぜ、女性が嫌がっていると断言できるのだろうか。
他にも、ソファーで寛ぐ少女と犬の絵画は【さぼってはいけません】と、少女にモザイク加工が施されている。
それなのに、なぜか犬はモザイク加工されていない。
どうやら人類は犬以下の扱いになったようだ。
他にも、水辺で座って佇む裸体の女性。
これは女性の陰部周りがモザイク加工されている。理解できなくもないため、もはやこれは可愛い方だ。
中には絵画一面がモザイクのものもあった。
注釈はこうだ。
【この画家はのちに犯罪を起こしました】
だったら展示するなよって話である。
特に酷い扱いだったのは、ゴッホのひまわりだろうか。
花瓶にさしてあるひまわりを描いた有名な作品だが、ひまわりを描いているだけなのに、なぜか全面モザイク扱いである。
注釈【絵で金儲けをした卑しい気持ちがあるため】
それはひまわりに限ったことではなく、ここにある名画全てが該当する。もはやこじつけの境地である。
そもそも、ゴッホの絵は死後に評価されたものであり、本人は生涯貧しい生活をしていた。それなのにこの扱いは、死者に対する冒涜である。
「高山さんの予見通りだな。こちらは問題なさそう」




