賑やかな日 ②
白い箱の蓋を、ゆっくりと持ち上げる。
「…………」
ごくり。
思わず唾を呑み込んだ。
そして――
「……うわぁ」
間の抜けた声が漏れた。
そこには、一人の少女が眠っていた。
……いや。
正確には、少女の姿をした小さなアンドロイド。
【御子】。
「……これが、御子……」
思わず息を呑む。
……綺麗だった。
銀色の髪が、くるくると巻かれながら肩へ流れている。
人肌に近い、柔らかそうな外装。
小柄で華奢な身体を包むのは、飾り気のない簡素なプロテクトスーツ。
金属の塊を想像していたわけじゃない。
でも、ここまで人間に近いとは思わなかった。
「……すげぇ」
俺は、ただそれだけを呟いた。
「おいおい……本物かよ」
「うわぁ、懐かしいなぁ……」
いつの間にか、常連たちも俺の背後へ集まっていた。
酒を片手に、みんなが箱を覗き込んでいる。
「……お前ら、近いって!」
「いいじゃねぇか! ちょっと見せろよ!」
「俺にも見せてくれ!」
「押すな押すな! 壊れたらどうすんだよ!」
騒がしい連中だ。
……でも、気持ちは分かる。
何しろ、御子なんてそう簡単に手に入るものじゃない。
ましてや、これは半世紀も前の機体だ。
よく見ると、関節の継ぎ目や接合部には、現行機とは違う古めかしさが残っている。
それなのに、外装には目立った傷ひとつない。
まるで、つい昨日まで誰かが丁寧に手入れしていたかのようだった。
「……大事にされてたんだなぁ」
俺は思わず呟いた。
……いや。
そもそも、どうしてこんな綺麗な状態で残ってるんだ?
それに、この髪型。
妙に凝ってるよな……。
前の持ち主の趣味だろうか。
「……シンさん」
「ん?」
福ちゃんが、にこにこと笑っている。
「いつまで眺めとるんじゃ?」
「……あっ!」
そうだった!
起動!!
まずは起動しなきゃ始まらねぇ!!
「よっしゃ! ちょっと待ってろよ!」
俺は慌てて箱の説明書を取り出した。
「えーっと……初回起動時は、専用端末と接続して……」
「シンさん、スマホ逆さまだぞ」
「分かってるよ!!」
……分かってなかったけど。
***
説明書と格闘すること数分。
ようやく端末との接続に成功した。
画面に表示されたのは、初期化の案内。
「……初期化、か」
どうやら、前の持ち主の情報を消去して、新しいマスターを登録する必要があるらしい。
「……これ押せばいいんだな?」
画面に指を伸ばす。
……いや、待て。
本当に押していいのか?
一瞬だけ、手が止まった。
だが、説明書には初回登録に必要な操作だと書かれている。
「……よし」
俺は、初期化を実行した。
ピッ。
【初期化処理中……】
「…………」
……長い。
【初期化処理中……】
「…………」
……まだ?
【初期化処理中……】
「……おっせぇぇぇ!!」
思わず叫んだ。
「なんじゃ、まだ終わらんのか?」
福ちゃんが覗き込んでくる。
「全然終わんねぇ!」
「ほっほっほ。古い機械じゃけんのぅ」
「いや、それにしたって……」
半世紀前の機体だからか?
それとも、保存されていたデータが多いのか?
……まぁ、考えたところで分かんねぇけど。
俺は端末を睨みつけた。
時間が進まない。
まるでカップ麺が出来上がるのを待っているときみたいだ。
……いや。
二十分も待たされるカップ麺なんて、麺が伸びきっちまうわ。
「シンさん、酒飲んで待とうぜ!」
「いや、俺は……」
「ほらほら、一杯!」
「……じゃあ、一杯だけ」
結局、俺もジョッキを手に取った。
御子を囲んで、酒を飲んで、くだらない話をして。
そうしているうちに――
「おい! もうすぐ年越しだぞ!」
誰かが叫んだ。
「えっ!? もうそんな時間か!?」
店の時計を見る。
日付が変わるまで、あとわずか。
「おいおい、御子はまだかよ!」
「もうちょいだって!」
「十!」
「九!」
「八!」
いつの間にか、店内でカウントダウンが始まっていた。
「七!」
「六!」
「五!」
俺は端末と時計を交互に見つめる。
「四!」
「三!」
「二!」
「一!」
「「「あけましておめでとぉぉぉ!!!」」」
ドッと歓声が上がった。
「今年もよろしくなぁ!」
「おう! よろしく!」
「シンさん! 酒追加!」
「年明け早々それかよ!!」
……まったく。
年が変わっても、こいつらは変わらねぇな。
そう思った、そのとき。
ピロンッ。
「……ん?」
端末が震えた。
画面に通知が表示されている。
【初期化完了】
「……おっ!!」
だが、その下には小さな文字が続いていた。
【※削除できないデータがあります】
「…………え?」
削除できないデータ?
なんだ、それ。
説明書を確認しようとした、その瞬間。
【システム再起動中……】
「……お、おい!?」
画面が切り替わった。
そして――
カチッ。
箱の中で、小さな音がした。
「…………」
御子の指先が、ぴくりと動く。
「……お?」
誰かが声を漏らした。
次に、銀色の髪がわずかに揺れる。
そして。
ゆっくりと。
本当に、ゆっくりと。
少女の瞼が持ち上がった。
「…………」
黒い瞳。
まるで長い眠りから覚めた、おとぎ話のお姫様みたいだった。
「……うわ」
俺は息を呑んだ。
「お、おい……」
「動いたぞ……?」
「「「おおおおおっ!!!」」」
歓声が上がる。
誰もが、箱の中の小さな少女に釘付けだった。
……そりゃそうだ。
この店の常連は、誰ひとり御子を持っていない。
「御子を買う金があるなら酒に使う!」
そんなことを本気で言う連中ばかりだ。
「いやぁ……機械とはいえ、男ばっかりの酒場に花が咲いたなぁ!」
資さんがしみじみ呟く。
すると――
「あらぁ〜ん♡」
みっちゃんが、にっこりと微笑んだ。
「アタシがいるじゃない♡ もぉ〜、資さんったらぁ♡」
「……あ」
「……あ、じゃないでしょ♡」
「いや、その……」
「うふふ♡」
みっちゃんが笑う。
資さんの顔から、笑みが消えた。
……南無。
そんな騒ぎの中。
俺だけは、御子の前で固まっていた。
……やべぇ。
何を話せばいいんだ?
「こ、こんにちは」とか?
いや、今は真夜中だぞ?
じゃあ「こんばんは」?
……いや、御子に挨拶って必要なのか?
頭の中でそんなことを考えていると――
『システム再起動を確認』
「……え?」
澄んだ声が響いた。
『現在位置、照合完了』
少女が、ゆっくりと周囲を見渡す。
そして――
『……私のマスターは、どなたですか?』
「…………」
……しゃべった。
当たり前だ。
御子なんだから、しゃべるに決まってる。
でも。
いざ目の前で話されると、どうしていいか分からない。
黒い瞳が、俺を見上げる。
「……え、えっと!」
俺は慌てて背筋を伸ばした。
「お、俺がマスターのシンです! みんなからはシンさんって呼ばれてます!」
「…………」
一瞬の静寂。
そして――
「ぶはははははっ!!」
店内が爆笑に包まれた。
「おいおい! なんで敬語なんだよ!」
「女慣れしてねぇなぁ、シンさん!」
「機械相手でもキョドってやがる!」
「う、うるせぇ!!」
顔が熱くなる。
「女なんざ、みっちゃんで十分なんだよ!!」
「あらぁぁぁ♡」
……しまった。
みっちゃんが、ものすごく嬉しそうな顔をしている。
「シンちゃぁぁん♡ それって褒めてるのよねぇ♡」
「いや、ちがっ――」
「嬉しいわぁぁぁ♡」
ぎゅううううっ!!
「ぐえぇぇぇ!!」
みっちゃんに抱きしめられた。
……いや。
抱きしめるっていうか、締め上げられてる!!
「み、みっちゃん!! ギブ!! ギブゥゥ!!」
「もぉ〜♡ 照れ屋さんなんだから♡」
「照れてねぇぇぇ!!」
店内が、またしても爆笑に包まれた。
***
その後。
なぜか、常連たちによる自己紹介大会が始まった。
「俺は資治郎! 近くでうどん屋やってんだ! 資さんって呼んでくれ!」
『資治郎さん。登録しました』
「おおっ! 覚えてくれたぞ!」
「次、俺な!」
「いや、俺が先だ!」
「ちょっと待て! 俺まだ挨拶してねぇぞ!」
……お前ら。
どんだけ女に飢えてんだよ。
さっきまで酔いつぶれてたヤツまで起きてきやがった。
「はいはい! 順番な! 順番!!」
俺が必死に整理する横で、御子は一人ひとりの名前を淡々と記録していった。
……すげぇなぁ。
本当に、人間みたいだ。
そうして、ようやく自己紹介が一段落したころ。
「……ところでシンさん」
「ん?」
仁さんが、御子を見ながら尋ねた。
「この子の名前、どうするんだ?」
「……名前?」
「そうそう。まさか、ずっと御子って呼ぶわけにもいかねぇだろ?」
「……ああ、そっか」
名前。
……名前かぁ。
そういや、考えてなかったな。
「なぁ、前の持ち主はなんて呼んでたんだ?」
俺は何気なく尋ねた。
すると、御子は即座に答えた。
『申し訳ございません。前任者に関する情報は初期化されています』
「……あ、そうなのか」
『また、前任者の個人情報を尋ねる行為は、プライバシーの観点から推奨されません』
「……え?」
『人間性を疑われる可能性があります』
「…………」
……冷たくね?
いや、間違ったことは言ってないんだろうけどさ。
「おいおい、シンさん! いきなり説教されてんぞ!」
「うるせぇ!!」
笑い声が上がる。
……ったく。
名前、名前……。
女の子っぽい名前なんて、そう簡単に思いつかねぇぞ。
しかも、一度つけたらずっと呼ぶことになるんだ。
適当には決められねぇ。
「…………」
……あ。
ふと、一つの名前が浮かんだ。
「……え」
口に出しかけて、止まる。
……いや。
待て待て。
それは、さすがに……。
「どうした、シンさん?」
資さんが顔を覗き込んでくる。
「なんか思いついたのか?」
「……えっと、その……」
「おう?」
「……え、栄子……ちゃん、とか」
「…………」
静寂。
そして。
「あらぁぁぁ♡」
みっちゃんが、にやりと笑った。
「シンちゃん♡ それ、昔好きだった子の名前じゃなぁい?♡」
「……ッ!?」
「まだ引きずってたのねぇぇ♡」
「「「うわぁ……」」」
「きっしょ!!」
「うるせぇぇぇ!!」
俺は真っ赤になって叫んだ。
「違う!! 今のは違う!!」
「じゃあ、なんで顔真っ赤なのよぉ♡」
「うっせぇ!!」
……くそっ!
余計なこと言った!!
「もういい!!」
俺は御子を指さした。
「ECO!!」
「……え?」
「アルファベットでE・C・O!! ECOだ!!」
「おいおい、急に横文字になったぞ!」
「なんでだよ!?」
「うるせぇ!! 俺がマスターだ!! ECOでいいだろ!?」
みっちゃんが手を叩いた。
「はいっ♡ じゃあ決まりね!」
「……え?」
みっちゃんは御子へ顔を近づける。
「今日からあなたはECOちゃんよ♡ 嫌じゃなければ、ECOって名乗ってね♡」
御子は、しばらく黙っていた。
『……ECO』
小さく、その名前を繰り返す。
『……承知しました』
そして、みっちゃんへ向き直った。
『よろしくお願いします。みっちゃんさん――いえ、マスター』
「いや待てぇぇぇ!?」
俺は思わず叫んだ。
「マスターは俺!! シン!!」
「あらぁ♡ そうよ、ECOちゃん。あなたのマスターは、この子なのよ♡」
みっちゃんが俺の肩をぽんぽんと叩く。
『……失礼しました』
ECOは淡々と答えた。
『この店のマスターという意味かと』
「いや、そっちの意味もあるけど!!」
『それに……』
「……ん?」
『あまりにも影が薄かったので』
「…………」
……あれ?
俺、嫌われてない?
「ぶはははははっ!!」
「シンさん! 初日からナメられてんぞ!」
「御子にも分かるんだなぁ!」
「うるせぇぇぇ!!」
……まったく。
とんでもない御子が来ちまった。
でも。
俺は改めて、目の前の小さな少女を見つめた。
「……まぁ、マスターっぽくねぇかもしれないけどさ」
『…………』
「これからよろしくな。ECO」
俺は、そっと手を差し出した。
ECOが、その手を見つめる。
『…………』
……ん?
どうした?
ほんのわずかに、動きが止まったように見えた。
『……はい』
小さな手が、俺の指先に触れる。
『よろしくお願いします、マスター』
「……おう!」
……なんだ。
ちゃんとマスターって呼んでくれるじゃねぇか。
「……ん?」
ふと、気になった。
「ECO。さっき、ちょっと止まらなかったか?」
『……はい?』
「いや、返事するまでに、ちょっと間があったからさ」
ECOは一瞬だけ沈黙した。
『……微細なノイズを検出しました』
「……ノイズ?」
『旧型機特有の処理遅延と思われます。動作に支障はありません』
「……そっか」
まぁ、半世紀前の機体だしな。
多少の不具合くらい、あるだろう。
……そう思うことにした。
すると――
「おーい! シンさん!!」
仁さんがジョッキを掲げた。
「せっかくだ! もう一回乾杯しようぜ!!」
「……え?」
「新しい家族が増えたんだろ!?」
「……!」
その言葉に、俺は思わずECOを見た。
ECOは、不思議そうに首を傾けている。
『……家族、ですか?』
「ああ!」
俺は笑った。
「今日からお前も、この店の一員だ!」
『…………』
「よろしくな、ECO!」
『……はい、マスター』
「よっしゃぁぁぁ!!」
俺はジョッキを高く掲げた。
「居酒屋『深夜の世界』の!!」
常連たちも、一斉にグラスを持ち上げる。
「新しい家族にィィィ!!」
「「「かんぱぁぁぁぁぁい!!!」」」
ガチャンッ!!
グラスがぶつかり合う。
笑い声が響く。
酔っ払いが騒ぐ。
みっちゃんが歌い出し、資さんが調子を合わせ、福ちゃんが楽しそうに笑っていた。
そんな騒がしい店内の真ん中で。
ECOは、じっと俺たちを見つめていた。
『……家族』
誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟く。
その黒い瞳に、何が映っていたのか。
このときの俺には、まだ分からなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
あの大晦日の夜。
……いや、年が明けたばかりの、あの夜。
居酒屋『深夜の世界』に、新しい家族が増えた。
そして――
俺とECOの、長い長い物語が始まった。




