第7話 Aliceとアリス
翌日の午前中。
休日の雪夜は自宅にいたが、1人ではなかった。
朱里を家に招いての、以前から約束してあった勉強会である。
自身の勉強道具も準備万端な彼は、テーブルに着いて早速とばかりに、取り掛かろうとしたが――
「それで、あの情報が嘘って本当なの?」
「いきなりか」
開口一番、朱里が放った話題は生存戦争のことだった。
雪夜は昨晩、就寝前に連絡していた訳だが、朱里はそこをはっきりさせたいらしい。
勉強会の目的をわかっているのか、雪夜は心配になったものの、彼女の気持ちも理解出来る。
小さく溜息をこぼした彼は、対面に座る朱里に向かって、言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「絶対とは言わないが、ほぼ間違いない」
「絶対じゃないんだ。 あたしもSCOを代表して聞くからには、曖昧な情報は持ち帰りたくないんだけど」
「そうだろうな。 だが、貴音ちゃん……CBO運営の分析が100%正しいとは、言い切れない。 また、情報自体は嘘だったとしても、実際のGENESISクエストと一致してしまう可能性は、ゼロじゃないからな」
「うーん。 それを言い出したら、キリがないけど……」
「とにかく俺から言えるのは、広まっている情報の信憑性は低いと言うことだ。 その上でどうするかは、フレンや他の仲間たちと決めてくれ」
「……うん、わかった。 有難う、セツ兄。 対状態異常用のアイテムとか装備を揃えるのって、意外と手間だしお金も掛かるから、事前に防止出来たのは助かるよ」
「礼を言うなら、CBO運営にしてくれ。 俺は何も気付けなかったからな。 さぁ、そろそろ勉強を始めるぞ」
「う、やっぱりそうなるよね……」
「当たり前だろう。 何しに来たと思っているんだ?」
呻く朱里にジト目を向ける雪夜。
縮こまった朱里は上目遣いで何かを訴え掛けていたが、彼は微塵も動じない。
諦めた朱里は嘆息して、大人しくノートと参考書を開いた。
それを確認した雪夜も自身の勉強を始め、ページをめくる音とペンを走らせる音だけが響く。
暫くはそのような時間が続いたが、不意に視線を上げた雪夜は、眉根を寄せて悩んでいる様子の朱里を視界に収めた。
どうやら難問に当たったらしいと察した彼は、何ともなしに声を掛ける。
「どこかわからないところがあるのか?」
「え? あ、うん、そうなんだけど……」
「そうか、見せてみろ」
「……良いの?」
「何がだ?」
「いや、だって、凄く集中してるみたいだったから……」
もごもごと声を発する朱里を眺めた雪夜は、呆れ返った様子で溜息をついた。
そんな彼を朱里は不安そうに見ていたが、彼は当然の如く言い放つ。
「そんなこと、気にするな。 今日は元々、朱里の勉強を見る予定だっただろう?」
「そ、そうだけど、セツ兄の邪魔したくないし……」
「邪魔なんかじゃない。 人に勉強を教えるのは、自分の為にもなるんだ」
「え? そうなの?」
「あぁ。 人に教えるには、まず自分が理解していなければならない。 つまり、自分の確認作業になるってことだ」
「なるほど……」
「これは、何も勉強に限った話じゃない。 誰かに何かを教えると言うのは、そう言うことだと俺は思っている」
「……ホント、セツ兄って高校生らしくないよね」
「それは、良い意味か?」
「あはは、どうだろうねー。 そんなことより、早く教えてよ!」
「引っ掛かるが……まぁ、良いだろう」
僅かに不服に思いつつ、雪夜は朱里の隣に座って手元を覗き込んだ。
見たところ、彼にとっては大した難易度ではなかったが、確かにそれなりに面倒な問題ではある。
思考を巡らせた雪夜は問題を噛み砕いて、理解し易いように順序立てて朱里に説明した。
ただ公式や答えを教えるのではなく、自分の力として吸収させるように。
真剣に聞いていた朱里は逐一頷きながら、なんとか自力で答えに辿り着く。
そのことに安堵した彼女は息をつき、次いで満面の笑みを雪夜に向けた。
「有難う、セツ兄! なんか、パズルみたいで楽しかった!」
「そう思えたなら、朱里はもっと成績が伸びると思う。 元々、頭は良いんだ。 あとは本人のやる気と、勉強方法の問題だからな」
「……あたし、セツ兄が先生なら満点取れるかも」
「調子に乗るな」
「えへへ、ごめんなさい! でも、本当にわかり易かったよ。 セツ兄、先生にも向いてるんじゃない?」
「どうだろうな……。 子どもたちに剣道を教えるのは、楽しいが」
「うんうん。 皆と稽古してるときのセツ兄、いつもより表情が柔らかいもん!」
「そう言う朱里は、一緒になって遊んでたりするな」
「あ、何それ!? あたしが子どもだって言うの!?」
「そんなつもりで言った訳じゃないが……」
「ふんだ! セツ兄が大人っぽ過ぎるだけで、あたしが一般的なんだからね!」
頬を膨らませて、プイっと顔を背ける朱里。
この辺りが子どもっぽいと思った雪夜だが、流石にそれを言うのが下策なのはわかっていた。
こっそりと嘆息した彼は朱里の頭を撫でて、噛んで含めるかのように言葉を連ねる。
「悪かった。 お詫びに、昼食は朱里が好きなものを作る」
「……ホントに?」
「本当だ。 何が良い?」
「じゃあ……ふわとろなオムライス。 ケチャップで」
「わかった。 じゃあ、街に買い出しに出て来る。 他にも補充しておくものがあるからな」
「え。 だったら、あたしも一緒に行く!」
「駄目だ。 お前が付いて来たら、そのまま遊びに行くって言い出しかねない」
「そ、そんなこと……ないですよ?」
思い切り目を逸らす朱里を前に、雪夜は溜息を堪えられない。
再び彼女の頭を撫でた雪夜は、優しく言い聞かせるように声を発した。
「なるべく早く帰って来るから、大人しく勉強しておいてくれ」
「うー……。 わかったよ」
「良い子だ」
「こ、子ども扱いしないでってば」
などと言いつつ、顔を赤らめて気持ち良さそうに、朱里は撫でられ続ける。
そのことに苦笑した雪夜は手を止めて、朱里の視線を背に浴びつつ家を出た。
足早に通りを歩き、宣言通り短時間で街へ。
スーパーで食材を中心に購入し、両手に袋をぶら下げて帰路に就く。
このとき彼がこの場にいたのは、本当に偶然だった。
だが人は、それを運命と呼ぶのかもしれない。
「……! 何だ……?」
向かって左手。
路地裏の方で、騒がしい足音が聞こえた。
無視しようかと思った雪夜だが、なんとなく気になってしまう。
迷った末に彼は、路地の奥へと足を踏み入れた。
それにつれて足音がはっきり聞こえるようになり、人数は2人。
何が起きてるかはわからないが、走っていることは確か。
そしてもう1つ。
雪夜の方に近付いて来ていた。
嫌な予感を抱いた彼は、買い物袋を地面に置いて、すぐに動ける態勢を作る。
そして、遂に――
「きゃ……!?」
前を走っていた人物が曲がり角から現れ、雪夜を見て悲鳴を上げそうになった。
しかし、何やら驚愕した様子で目を見開いており、口をあんぐり開けている。
どうしたのかと疑問に思いつつ、雪夜はその人物を観察した。
肩より少し長いプラチナブロンドの髪で、身長は160㎝ほど。
帽子とサングラスで隠しているようだが、非常に可愛らしい少女である。
それだけでも衝撃的だが、雪夜が感じているのは別のものだった。
「Alice……?」
無意識のうちに、彼の口からこぼれた名前。
それを聞いた少女は、雷に打たれたかのようにビクリと震えた。
そして、何かを言おうと口を動かしたが、そこに無粋な声が響く。
「ま、待ってよ、アリスちゃん! 僕はただ、アリスちゃんに想いを受け取って欲しいだけなんだ!」
遅れてやって来たのは、若い男性。
息を荒らげていることもあるが、どうにも尋常ではない雰囲気を発している。
まるで正気を失っているようで、口の端から涎が垂れていた。
反射的に身を引いた、アリスと呼ばれた少女。
それとは逆に、前に進み出た雪夜。
彼の行動にアリスは戸惑っていたが、彼は構わず告げた。
「下がっていろ」
「う、うん!」
初対面にもかかわらず、至極当然のようなやり取り。
欠片も違和感を抱かなかった雪夜は不思議に思いながら、今はそれどころではないと考え直した。
目の前の男性は、明らかにおかしい状態ではあるものの、なんとか対話を試みた――が――
「何があったか知りませんが、取り敢えず落ち着いて――」
「何だテメェッ!? 僕とアリスちゃんの仲を、引き裂こうってのかぁッ!?」
「いえ、そうではなく――」
「アリスちゃん! 僕と言うものがありながら、なんでこんな奴とッ!?」
「話を聞いて――」
「うるさいうるさいッ! 邪魔するって言うなら、ぶっ飛ばしてやるッ!」
目を血走らせて、今にも雪夜に跳び掛かりそうな男性。
これ以上の問答は無意味と悟った雪夜は、最近荒事に良く巻き込まれると、内心で嘆きながら構えを取った。
彼の迫力に男性は一瞬気圧されたようだが、すぐに立ち直って、喚きながら掴み掛かる。
後ろで見ていたアリスが息を飲むのを感じつつ、雪夜は余裕を持って躱し――
「正当防衛です」
「うぐ!?」
男性の腹部に、膝を叩き込んだ。
凄まじい威力に男性は悶絶し、腹を抑えて蹲っている。
ひとまず無力化出来たと判断した雪夜が安堵していると、路地の奥から新たな足音が複数聞こえて来た。
新手かと思った雪夜は、逃げるべきかと考えたが、その必要はない。
「アリスちゃん! 大丈夫!?」
「ば、馬場園さん!」
駆け付けたのはスーツ姿の女性と、2人の警官。
なんとなく状況を把握した雪夜は構えを解いたものの、どう説明するべきか困っていた。
馬場園と警官も雪夜に警戒心を露にしていたが、アリスが大慌てで口を開く。
「ま、待って! せ……こ、この人が助けてくれたの! あたしを狙ってたのは、こっち!」
未だに沈んでいる男性にビシッと指を突き付けて、馬場園たちに告げるアリス。
それを聞いた馬場園は警官たちと話し、倒れた男性を担いで連行させた。
事態は解決したと思った雪夜は、買い物袋を持ってその場を辞そうとしたが――
「あ、あの!」
どこか必死なアリスに呼び掛けられて、肩越しに振り返る。
そんな彼にアリスは、何を言えば良いかわからないようで、ほとんどパニック状態。
だからと言って、雪夜からアクションを起こすつもりもなかった。
何とも言い難い沈黙がその場に落ち、収拾が付かなくなりそうになったとき、馬場園が動く。
「アリスちゃんを助けてくれて、有難う。 えぇと……」
「如月雪夜です」
「如月くんね。 わたしは馬場園と言って、アリスちゃんのマネージャーよ」
「マネージャー……。 と言うことは、この子はやはり……」
「たぶん、思ってる通りね。 いろいろ聞きたいこともあるだろうけど、今は時間がないの。 ごめんなさい」
「いえ、特に詮索するつもりはありませんから。 無事で何よりです」
「そう言ってもらえると、こっちも助かるわ。 そうだ。 せめてものお礼に、これを受け取って?」
「これは……?」
「アリスちゃんのライブの、チケットよ。 もし良かったら、遊びに来てね」
「……はい、都合が付けば」
「有難う。 じゃあ、わたしたちは行くわね。 ほら、アリスちゃん。 取り敢えず移動して、そこでゆっくり休みましょう。 打ち合わせ時間は、少しずらしてもらうから」
「え……? あ……う、うん。 えっと……ま、またね……せ、雪夜くん……」
顔を真っ赤にして、アリスは馬場園と去って行った。
残された雪夜は、いろいろと複雑な心境だったが――
「……早く帰って、オムライスを作らないとな」
と言う結論に至る。
そうして足を踏み出した彼は、渡されたチケットを、大事そうに懐に仕舞うのだった。




