第8話 失われた記憶の少女
第8話 失われた記憶の少女
黒い炎が、遺跡の天井まで届くほど燃え上がった。
ゴォォォォォ……!
「……熱っ!」
アルトは腕で顔を覆った。
「レグナス! あれ、本当に大丈夫なの!?」
「大丈夫ではない」
「ですよね!」
魔物がゆっくりと立ち上がる。
さっきまでとは明らかに違う。
身体中から黒い炎が噴き出し、赤い目が不気味に輝いている。
「……あれを倒すには?」
「ティールだけでは足りぬ」
「…………」
アルトは嫌な予感しかしなかった。
「じゃあ……別のルーンを?」
「おそらくな」
「それってつまり……」
「記憶を失う」
「分かってるよ!!」
思わず叫んだ。
レグナスが少しだけ目を細める。
「元気があるな」
「元気じゃない! ヤケクソです!」
魔物が突進してきた。
「来るぞ!」
「うわっ!」
ドゴォォン!!
アルトがいた場所の床が粉々になる。
「速すぎる!」
アルトは必死に走る。
魔物の爪が背後から迫る。
「アルト!」
レグナスが炎を放った。
ゴォォッ!!
魔物の動きが一瞬止まる。
「今だ!」
「今って言われても!」
アルトは振り返る。
その瞬間――。
魔物の胸に刻まれたルーンが光った。
黒い炎が巨大な腕となってアルトへ伸びてくる。
「――っ!」
アルトはとっさに横へ飛んだ。
炎が肩をかすめる。
「熱っ!」
服の一部が焦げた。
「……お気に入りだったのに」
アルトは焦げた服を見つめる。
「母さんに直してもらおうと思ってたのに……」
その言葉に、胸が痛んだ。
「…………」
母。
その顔は、もう思い出せない。
声は覚えている。
温かさも覚えている。
けれど顔だけがない。
「……母さん」
アルトは小さく呟いた。
その瞬間。
また、頭の中に映像が浮かんだ。
――少女。
長い髪。
白い服。
こちらを見ている。
「……また……」
少女が何かを言っている。
今度は、ほんの少しだけ声が聞こえた。
『……アルト』
「…………!」
少女が自分の名前を呼んだ。
『忘れないで』
「誰なんだ……?」
少女の顔がぼやけていく。
『あなたは――』
そこで映像が途切れた。
「……待って!」
アルトは手を伸ばした。
しかし、何もない。
「誰なんだよ……!」
レグナスがアルトを見る。
「今のは?」
「分からない……」
「少女だったか?」
「……うん」
レグナスの表情が変わった。
「そうか」
「何か知ってるの?」
「いや」
「その顔、絶対何か知ってるでしょ!」
「…………」
「教えてよ!」
レグナスは黙ったままだった。
「レグナス!」
「今は戦いに集中しろ」
「絶対あとで聞くからね!」
「好きにしろ」
魔物が再び襲いかかる。
「来た!」
アルトは走る。
ティールの力によって、身体は以前より速く動ける。
爪をかわす。
炎を避ける。
床を蹴る。
「右!」
魔物の腕が振り下ろされる。
「左!」
かわす。
「今度は上!」
「えっ!?」
上から黒い炎。
「うわああっ!」
アルトは転がって避けた。
ドゴォン!!
「……危なかった」
息を切らす。
するとレグナスが叫んだ。
「アルト! 胸だ!」
「胸?」
「ルーンが弱点だ!」
アルトは魔物の胸を見る。
赤黒いルーン。
確かに、そこだけ光が弱くなっている。
「でも、どうやって……」
アルトの手が光った。
新しいルーンではない。
今まで使った――。
ᚲ(ケナズ)。
炎。
そして――。
ᛏ(ティール)。
戦い。
「二つを……合わせる?」
アルトは直感的に理解した。
「やってみる!」
ティールの力を身体へ。
ケナズの炎を右手へ。
「うおおおおおっ!」
アルトが走る。
魔物が腕を振る。
アルトはギリギリでかわす。
さらにもう一撃。
跳ぶ。
魔物の肩を踏み台にして――。
「ここだ!」
胸元へ飛び込む。
「ᛏ(ティール)――!」
赤い光が拳を包む。
「ᚲ(ケナズ)――!」
炎が重なる。
「これで……!」
アルトは拳を叩き込んだ。
「うおおおおおおっ!!」
ドォォォォォン!!
爆発。
黒い炎と赤い光がぶつかり合う。
魔物が咆哮する。
「グォォォォォォッ!!」
胸のルーンに亀裂が入った。
「もう一度!」
アルトは拳を振り抜く。
バキィィィン!!
ルーンが砕けた。
瞬間。
魔物の身体を覆っていた黒い炎が、一気に消えた。
巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
ドォン……。
「…………」
静寂。
アルトは荒い息を吐いた。
「……勝った?」
レグナスが頷く。
「勝ったな」
「…………」
「どうした?」
「……疲れた」
アルトはその場に座り込んだ。
「ものすごく疲れた……」
そして――。
ズキン。
「……っ!」
頭に激痛が走った。
アルトの顔から笑みが消える。
「……また……」
ルーンを二つ重ねた。
その代償は大きかった。
「何を失った……?」
アルトは記憶を探す。
母。
父。
村。
友達。
自分。
「…………」
また、一つ抜け落ちている。
だが。
今回は違った。
「……少女」
アルトは呟いた。
「さっきの少女……」
名前は分からない。
顔も思い出せない。
でも――。
なぜか胸が痛かった。
「僕……あの子を知ってたんじゃ……」
レグナスが静かに答える。
「おそらくな」
「やっぱり……」
「そして、その記憶はかなり重要なものだ」
アルトはレグナスを見上げる。
「どうして?」
「汝が失った記憶だからだ」
「…………」
「ルーンは無意味な記憶を奪うわけではない」
レグナスの言葉に、アルトの顔が青ざめる。
「じゃあ……」
「ああ」
レグナスは石棺の方を見る。
「その少女は、汝の過去とルーン魔術に関係している可能性が高い」
アルトは立ち上がった。
「……探さないと」
「何を?」
「あの少女を」
アルトは自分の胸に手を当てる。
「僕が忘れてしまったものを」
その時。
遺跡の奥で、また一つの文字が光った。
今までとは違う。
青く、優しく。
まるで誰かがアルトを導いているように。
アルトはその文字を見つめた。
「……あれは?」
レグナスが目を見開く。
「……まさか」
「知ってるの?」
レグナスは答えなかった。
ただ、初めて――。
その顔に、明らかな動揺が浮かんでいた。
そして光の中から。
少女の声が、かすかに響いた。
『……アルト』
「……!」
『今度こそ……見つけて』
声が消える。
アルトは呆然と立ち尽くした。
「……僕は、あの子を知っている」
失った記憶の向こう側に――。
アルト自身も知らない、千年前から続く秘密が眠っていた。




