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『最弱魔術師、神の文字を刻む』 ――最弱魔術師。その正体は、千年前の大罪人。  作者: 雨宮ぐみ


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第39話 黒きᚦの正体

第39話 黒きᚦの正体


 黒きᚦが崩れていく。


 無数の名前。


 消された記憶。


 千年前から閉じ込められていた人々の想い。


 それらが光となって、神殿の中を漂っていた。


 アルトは「繋ぐ」の神の文字を掲げたまま、黒きᚦを見つめる。


「……まだ終わってない」


 黒き文字の中心。


 そこに、巨大な目が開いた。


『そうだ』


 低い声が響く。


『まだ、終わってはいない』


 セレナが息を呑む。


「アルト……」


「うん」


 黒きᚦは、今までとは違っていた。


 怒りでも憎しみでもない。


 そこにあったのは――。


 深い悲しみだった。


『我は、神ではない』


 黒い文字が揺れる。


『我は、呪いでもない』


 アルトは黙って聞いていた。


『我は――断絶のために生まれた「神の文字」だ』


 レオンが目を伏せる。


「……やっぱり、そうだったか」


 アルトが振り返る。


「知っていたの?」


「全部じゃない」


 レオンは苦しそうに答えた。


「だが、千年前に俺たちが見たものと、今のお前が戦っているものは、同じだ」


 黒きᚦが続ける。


『かつて人は、繋がりによって栄えた』


 神殿の壁に映像が浮かぶ。


 人と人。


 国と国。


 魔術師と魔術師。


 家族。


 友。


 師弟。


 すべてが繋がっていた。


 しかし。


 映像が変わる。


 争い。


 戦争。


 裏切り。


 憎しみ。


 大切な人を失う者たち。


『繋がりは、幸福だけを生まない』


 アルトは拳を握る。


『愛するから、失う』


『信じるから、裏切られる』


『守りたいから、傷つく』


『過去を背負うから、人は苦しむ』


 黒きᚦの声が神殿に響く。


『だから我は、すべてを断つ』


 アルトの目が見開かれる。


「……すべてを?」


『名前を』


 黒い光が揺れる。


『記憶を』


『故郷を』


『人と人との繋がりを』


『過去と未来の繋がりを』


 そして。


『最後には――存在そのものを』


 セレナが呟く。


「それが……あなたの目的だったの?」


『そうだ』


 黒きᚦは答えた。


『苦しみを消すには、苦しみの原因を消せばいい』


 アルトは静かに首を振った。


「違う」


『何?』


「それじゃ、救ったことにはならない」


『なぜだ』


「苦しみだけじゃない」


 アルトは周囲を見る。


 光になった名前。


 戻り始めた記憶。


 リーネ村の命の光。


「楽しかったことも」


 ゴウの笑顔。


「嬉しかったことも」


 ダンの笑い声。


「誰かを大切に思ったことも」


 サナがユイを抱きしめる姿。


「全部、一緒に消えてしまう」


 黒きᚦが沈黙する。


「それは救いじゃない」


 アルトは言った。


「ただ、何もなかったことにするだけだ」


 その言葉に。


 黒きᚦが激しく震えた。


『……何もなかったことにする』


 その声には、初めて迷いがあった。


『それの何が悪い』


「悪いよ」


 即答だった。


「だって――」


 アルトは胸に手を当てる。


「僕は、千年前の罪を消したいわけじゃない」


 アステル・レイン。


 自分の過去の名前を思い出す。


 黒きᚦを使ったこと。


 エルナ神都を救おうとしたこと。


 そして、多くの人々を歴史から消してしまったこと。


「僕は、忘れたくない」


 アルトは続ける。


「失敗したことも」


「後悔したことも」


「大切だった人たちのことも」


「全部、僕の過去だから」


 セレナが静かに微笑む。


「それが……あなたが千年前と違うところね」


 レオンも頷く。


「アステルは全部を背負おうとした」


 アルトを見る。


「アルトは、誰かと一緒に背負うことを選んだ」


 黒きᚦが低く唸る。


『ならば……なぜ我を拒む』


 アルトは答えた。


「君が間違っているからじゃない」


 黒きᚦを見る。


「君のやり方では、誰も救えないからだ」


『……』


「苦しみを消すために、幸せまで消してしまったら意味がない」


 アルトは「繋ぐ」の文字を握り締める。


「だったら僕は――」


 一歩進む。


「苦しみも、幸せも、全部繋いだまま生きる」


 黒きᚦの奥で。


 千年前のアステルの記憶が蘇る。


『僕が全部消せば……みんなは苦しまなくて済む』


 幼いアステル。


 その前に立つセレナ。


『アステル、それは救うことじゃない』


『でも……』


『あなた一人で、全部を背負わなくていい』


 記憶が消える。


 現在。


 アルトはセレナを見る。


「……あのとき、僕は君の言葉を聞けなかった」


「ううん」


 セレナは首を振る。


「今、聞いてくれた」


 黒きᚦの中心に亀裂が走る。


『……我は』


 その声が小さくなる。


『我は、ただ……人が苦しまぬ世界を望んだ』


 アルトは頷いた。


「分かってる」


『ならば……我は悪なのか』


「分からない」


 アルトは正直に答えた。


「でも、君のやり方は終わらせる」


『……なぜ』


「僕たちには――」


 アルトは仲間を見る。


 セレナ。


 レオン。


 レグナス。


 そして、光の中にいる数え切れない人々。


「繋がったまま生きる方法を選べるから」


 その瞬間。


 黒きᚦの姿が、初めて人のように見えた。


 巨大な怪物ではない。


 そこにいたのは――。


 無数の悲しみを抱えた、ひとつの影。


 それが黒きᚦの正体だった。


 人の願いから生まれ。


 苦しみを断つために、繋がりそのものを断つ力。


 それが千年前、人の手によって呼び起こされ。


 アステルによって使われ。


 そして――。


 制御できなくなった。


『我は……終わりを求めた』


 黒きᚦが呟く。


『すべての苦しみを終わらせるために』


 アルトは静かに答える。


「なら、僕が教えてあげる」


「終わらせなくてもいいんだって」


 黒きᚦの亀裂から、白い光が漏れ始める。


 セレナの「繋がり」。


 レオンの「力」。


 アルトの「記憶」。


 三つの断片が呼応する。


 レグナスが静かに言った。


「ようやく見えたな」


 アルトが振り返る。


「何が?」


「お前が千年前に刻めなかった最後の答えだ」


 アルトは「繋ぐ」の神の文字を見る。


 その文字が、今までにないほど強く輝いている。


 黒きᚦは消えようとしていた。


 しかし。


 完全には消えない。


『……ならば』


 最後に黒きᚦが問いかける。


『我をどうする』


 アルトはしばらく考えた。


 そして。


「消さない」


 セレナが驚く。


「アルト?」


「この文字だって、千年前からずっと存在していた」


 アルトは黒きᚦへ手を伸ばす。


「なら、君との繋がりも切らない」


『……』


「ただし――」


 アルトの手のひらに「繋ぐ」の文字が浮かぶ。


「もう誰も消させない」


 白い光が黒きᚦを包む。


 黒と白。


 二つの文字がぶつかるのではなく――。


 ゆっくりと重なっていく。


『……これが』


 黒きᚦの声が震える。


『繋ぐということか』


「ああ」


 アルトが頷く。


「失うことも、忘れることも、なかったことにはしない」


「それでも、前へ進めるようにする」


 黒きᚦの姿が崩れる。


 最後に残ったのは、小さな黒い文字。


 アルトの手のひらへ落ちてくる。


 そして。


 黒きᚦは静かになった。


 完全に消滅したわけではない。


 だがもう、何かを断つ力として暴れることはない。


 千年前から続いていた役目を――。


 終えたのだ。


 アルトは手のひらの黒い文字を見る。


「……これで終わり?」


 レグナスが首を横に振る。


「まだだ」


「え?」


 レグナスは神殿の外を指した。


 そこには。


 光に包まれたエルナ神都。


 そして、その先に繋がる――。


 リーネ村の無数の命の光。


「今度は、お前が繋がったものを守る番だ」


 アルトは笑った。


「……そうだね」


 セレナが隣に立つ。


 レオンも並ぶ。


 アルトは二人を見る。


「帰ろう」


「どこへ?」


 セレナが尋ねる。


 アルトは少しだけ考えてから答えた。


「僕たちの故郷へ」


 千年前に失われた都。


 今を生きるリーネ村。


 過去と現在。


 失われた人々と、今を生きる人々。


 すべてを繋ぐ道が――。


 今、開かれようとしていた。


 そしてアルトは知らなかった。


 この旅の最後に待っているのが――。


 千年前に失ったものとの、本当の再会になることを。

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