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『最弱魔術師、神の文字を刻む』 ――最弱魔術師。その正体は、千年前の大罪人。  作者: 雨宮ぐみ


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第40話 最弱魔術師、神の文字を刻む

第40話 最弱魔術師、神の文字を刻む


 朝の光が、リーネ村を照らしていた。


 昨日まで人の気配を失っていた村には、少しずつ声が戻っている。


「ゴウじいさん!」


「おお……ダンか」


「鍛冶場、めちゃくちゃになってるぞ!」


「村が戻っただけマシだ!」


 笑い声。


 泣き声。


 誰かを呼ぶ声。


 それらが重なり、村は少しずつ「いつものリーネ村」へ戻っていった。


 アルトは丘の上から、その光景を眺めていた。


 その隣には、セレナ。


 少し離れたところには、レオンとレグナスがいる。


「……戻ったんだね」


 アルトが呟く。


 セレナは頷いた。


「ええ」


 すべてが元通りになったわけではない。


 エルナ神都が完全に昔の姿を取り戻したわけでもない。


 消えていた千年という時間を、なかったことにすることもできない。


 それでも。


 失われていた名前は戻った。


 人々の記憶も戻り始めている。


 そして何より――。


 リーネ村の命の光は、今も輝いていた。


 アルトは胸に手を当てる。


 そこには、黒きᚦの小さな痕跡が残っていた。


 もう、暴れることはない。


 誰かの繋がりを奪うこともない。


 ただ静かに存在している。


「……不思議だね」


「何が?」


 セレナが尋ねる。


「千年前は、これを使って全部を消そうとしたのに」


 アルトは手のひらを見る。


「今は、これを抱えたまま生きていこうとしてる」


 セレナは微笑んだ。


「それが、あなたの答えなんでしょうね」


 アルトも笑う。


「うん」


 そのとき。


「アルト!」


 村の下から声がした。


 振り返る。


 走ってくる少年の姿。


「ユイ?」


 ユイが息を切らしながら駆け上がってくる。


「みんなが呼んでる!」


「僕を?」


「うん!」


 ユイはアルトの手を引いた。


「早く!」


「ちょ、ちょっと待って!」


 引っ張られていくアルト。


 セレナが笑う。


「ふふっ」


 レグナスが無表情で言う。


「人気者だな」


「……レグナス、絶対面白がってるでしょ」


「普通だ」


「その返し、便利すぎない?」


 久しぶりの、いつもの会話。


 それだけでアルトは嬉しかった。


     ◇


 村の広場。


 そこには、村人たちが集まっていた。


 ゴウ。


 ダン。


 サナ。


 ロウ。


 ミナ。


 そして――。


 カイル。


 アルトの父だった。


「父さん……」


 カイルは何も言わず、アルトを見つめていた。


 しばらくして。


「……大きくなったな」


 その一言で。


 アルトの目から涙が落ちた。


「……うん」


 ずっと失っていた声。


 忘れていたと思っていた声。


 それでも、心の奥に残っていた声。


「父さん」


「ああ」


「僕……」


 言葉が続かない。


 カイルはアルトの頭に手を置いた。


「よく帰ってきた」


 アルトは俯いた。


「……ただいま」


「ああ」


 カイルは笑った。


「おかえり、アルト」


 その言葉を聞いた瞬間。


 アルトの胸の奥で、何かが温かく繋がった。


 千年前の記憶。


 現在の記憶。


 父の声。


 自分の名前。


 全部が一つになった。


 もう失いたくない。


 そう思った。


 けれど。


 同時にアルトは理解していた。


 これから先も、神の文字を使えば代償はある。


 記憶を失う可能性もある。


 いつか、また何かを忘れるかもしれない。


 それでも――。


「僕は、刻むよ」


 アルトは空を見上げる。


「神の文字を」


 セレナが隣に立つ。


「また失うかもしれないのに?」


「うん」


 アルトは頷いた。


「でも、今度は一人で使わない」


 レグナスが腕を組む。


「賢くなったな」


「レグナスに言われると、なんか複雑……」


「普通だ」


「だからそれ何なの!?」


 村に笑い声が広がった。


     ◇


 数日後。


 リーネ村の外れ。


 アルトたちは旅の準備をしていた。


 エルナ神都はまだ完全には戻っていない。


 千年前に消された人々の記憶も、すべてが一度に戻ったわけではなかった。


 だから。


 アルトには、まだやるべきことがある。


 失われた名前を探す。


 残された記憶を繋ぐ。


 エルナ神都を、もう一度この世界の歴史へ戻す。


 それが――。


 アルトが千年前に残した罪への答えだった。


「行くの?」


 セレナが尋ねる。


「ああ」


 アルトは頷く。


「まだ、全部は終わってないから」


 レオンが背負った荷物を直す。


「俺も行く」


 アルトが笑う。


「もちろん」


 レグナスも歩き出す。


「では行くか」


「レグナス」


「何だ」


「食料、ちゃんと持った?」


「……」


「まさか」


「問題ない」


「その顔、絶対問題ある!」


 レグナスは無言で歩き続けた。


 アルトはため息をつきながら追いかける。


 セレナとレオンが顔を見合わせ、笑った。


 そして。


 四人は歩き出した。


     ◇


 村を出る前。


 アルトは一度だけ振り返った。


 リーネ村。


 自分が生まれた場所。


 父の声を思い出した場所。


 笑った場所。


 泣いた場所。


 そして。


 自分が「アルト・レイン」として生きてきた場所。


 そのすべてが、今は確かに繋がっている。


 アルトは胸の奥で呟いた。


「……ありがとう」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 父へ。


 村へ。


 レグナスへ。


 レオンへ。


 セレナへ。


 そして――。


 千年前の自分へ。


 アステル・レインへ。


 過去の自分が間違えたからこそ。


 今の自分は、違う道を選べた。


「アステル」


 セレナの声がした。


 アルトは振り返る。


「……どうしたの?」


「呼んでみただけ」


 セレナは微笑んだ。


「千年前のあなたも」


「今のあなたも」


「私にとっては、同じ大切な人だから」


 アルトは少し照れくさそうに笑う。


「……そっか」


 そして。


「ありがとう、セレナ」


 今度は迷わず、その名前を呼べた。


     ◇


 森を抜ける。


 丘を越える。


 朝日が四人の背中を照らしていた。


 アルトは歩きながら、自分の手のひらを見る。


 そこには、一つの神の文字が浮かんでいた。


 「繋ぐ」。


 それはもう、ただの魔法ではない。


 人と人を。


 過去と未来を。


 記憶と現在を。


 失ったものと、残されたものを。


 そして。


 自分自身と、自分の過去を。


 繋ぐための文字。


 アルトはその文字を見つめる。


 昔の自分なら。


 力が足りないことを嘆いていた。


 普通の魔法が使えないことを恥じていた。


 誰より弱い魔術師だと思っていた。


 けれど。


 今は違う。


「僕は――」


 アルトは前を向く。


「最弱魔術師でいい」


 レグナスが振り返る。


「開き直ったか」


「違うよ」


 アルトは笑う。


「最弱だからこそ、見えたものがあるんだ」


 普通の魔術師には見えなかった古代文字。


 誰にも読めなかった神の文字。


 失われた記憶。


 忘れられた人々。


 そして。


 繋がり。


「強い魔法だけが、人を救うんじゃない」


 アルトは手を握る。


「誰かを忘れないことも、きっと力なんだ」


 セレナが頷く。


「ええ」


 レオンも笑う。


「その通りだ」


 レグナスは少しだけ口元を緩めた。


「……悪くない答えだ」


 アルトは空を見上げた。


 青い空。


 遠くには、かつて存在を消された神都。


 そのさらに先には、まだ知らない世界が広がっている。


 もう、怖くない。


 失うことを恐れて、立ち止まる必要もない。


 過去を消す必要もない。


 罪から逃げる必要もない。


 全部を背負って、一人で苦しむ必要もない。


 誰かと繋がりながら。


 忘れそうになったら、誰かに呼んでもらえばいい。


 そして。


 誰かが忘れられそうになったら、自分がその人の名前を呼べばいい。


 アルトは歩きながら、最後に一度だけ神の文字を刻む。


 地面に浮かんだ光が、道の先へ伸びていく。


 その光は、四人を包み込んだ。


「行こう」


 アルトが言う。


「僕たちの未来へ」


 四人の姿が、朝日の向こうへ消えていく。


 その背中には。


 千年前の罪も。


 失われた名前も。


 取り戻した記憶も。


 そして――。


 新しく繋がった絆も。


 すべてが刻まれていた。


 アルト・レイン。


 かつてはアステル・レインと呼ばれた少年。


 千年前、世界から多くを消してしまった大罪人。


 そして今。


 失われたものを取り戻し、誰かと共に未来へ進もうとする――。


 一人の魔術師。


 最弱と呼ばれた少年は、もう自分の弱さを恥じなかった。


 むしろ。


 その弱さがあったからこそ、見つけられたものがある。


 誰かの痛み。


 誰かの名前。


 誰かとの繋がり。


 そして。


 自分自身。


 アルトは振り返らない。


 ただ前を向いて歩いていく。


 その手には――。


 神の文字が刻まれていた。


 ――最弱魔術師。


 その正体は、千年前の大罪人。


 けれど。


 それが、すべてではない。


 罪を抱え。


 失ったものを忘れず。


 誰かと繋がり。


 それでも未来を選ぶ。


 それが――。


 アルト・レインという、一人の人間の物語だった。


 そして彼は今日も。


 新しい世界へ向かって歩いていく。


 神の文字を、その手に刻みながら。


 ――完――

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