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『最弱魔術師、神の文字を刻む』 ――最弱魔術師。その正体は、千年前の大罪人。  作者: 雨宮ぐみ


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第36話 奪われた名前

第36話 奪われた名前


 ――バキッ。


 アルトの命の光に、二本目の亀裂が走った。


「うっ……!」


 胸の奥を掴まれたような痛み。


 目の前に浮かぶ光には、確かに文字が刻まれている。


 ――アルト・レイン。


 それが、少しずつ黒く染まっていく。


『その名は、お前の本当の名ではない』


 黒きᚦの声が、神殿全体に響いた。


『千年前のお前には、別の名があった』


「……!」


 アルトの呼吸が止まる。


 ずっと追い続けてきたもの。


 千年前の自分が何者だったのか。


 なぜ黒きᚦを使ったのか。


 そして――。


 なぜ少女が、自分を未来へ送ったのか。


 その答えが、目の前にある。


「僕の……本当の名前」


 アルトが呟く。


 すると、祭壇の古い本が勝手にめくれた。


 ――バラッ。


 ページが次々と開いていく。


 最後のページ。


 そこには、千年前の文字で一つの名前が刻まれていた。


 しかし。


 黒きᚦがその文字を覆っている。


「見えない……」


 アルトは目を凝らした。


「どうして……!」


 少女が悲しそうに首を振る。


「黒きᚦが、あなたの『名前』との繋がりを切っているの」


「じゃあ、名前を取り戻すには……」


「思い出すだけでは駄目」


 少女はアルトを見る。


「あなた自身が、その名前を受け入れなければならない」


「受け入れる……?」


「その名前を持っていたあなたが、何を望み、何を恐れ、何を守ろうとしたのか」


 アルトは黙った。


 そして、目を閉じる。


 すると――。


 また、記憶が流れ込んできた。


 千年前。


 エルナ神都。


 少年だった自分。


 少女。


 黒いローブの男。


 三人で神殿を歩いている。


『お前は、人を救いたいのか?』


 黒いローブの男が尋ねる。


 少年のアルトは笑った。


『うん』


『たとえ、自分が傷ついても?』


『うん』


『たとえ、誰かに恨まれても?』


 少年は少し考えた。


 それから――。


『それでも、誰かが助かるなら』


 黒いローブの男は黙った。


 少女が少年の手を握る。


『あなたは優しすぎる』


『そうかな?』


『ええ』


 少女は悲しそうに笑った。


『だから、いつか自分を犠牲にする』


 その言葉が、今のアルトの胸に突き刺さる。


「……僕は」


 アルトは目を開いた。


「昔から、何でも一人で背負おうとしてたんだ」


 レグナスが静かに言う。


「だが、今は違う」


 アルトが振り返る。


 レグナスは杖を構えていた。


「お前は、もう一人ではない」


 少女も頷く。


「私もいる」


「……二人とも」


 アルトは小さく笑った。


「ありがとう」


 その瞬間。


 ――ドォォォン!!


 神殿が激しく揺れた。


 黒きᚦの巨大な腕が、壁を突き破る。


 黒い腕の先から、無数の線が飛び出した。


 村人たちの命の光へ向かって。


「来る!」


 アルトが叫ぶ。


 ゴウの光へ。


 ダンの光へ。


 ユイの光へ。


 サナの光へ。


 ロウの光へ。


 ミナの光へ。


 カイルの光へ。


 黒い線が、一斉に伸びる。


「させるか!」


 レグナスが杖を振る。


「炎よ――」


 巨大な炎の壁が現れる。


 しかし。


 黒きᚦの線が触れた瞬間――。


 炎が消えた。


「なっ……!」


 レグナスが目を見開く。


「魔法との繋がりを切ったか」


『その通りだ』


 黒きᚦが嗤う。


『お前の魔法など、私には届かない』


 レグナスは舌打ちする。


「厄介だな」


「レグナス!」


「問題ない」


「いや、問題あるだろ!」


 いつものやり取り。


 だが、レグナスは真剣だった。


「だから、お前がやれ」


 アルトは頷いた。


「うん!」


 アルトの右手に、神の文字が浮かび上がる。


 ――「繋ぐ」。


 アルトはまず、ゴウの光へ手を伸ばした。


「ゴウ!」


 銀色の光が輝く。


「ダン!」


 赤い火花が弾ける。


「ユイ!」


 小さな光が跳ねる。


「サナ!」


 柔らかな光が広がる。


「ロウ!」


 大地のような鼓動。


「ミナ!」


 細い光が強く瞬く。


「カイル!」


 暖かな光が大きく揺れる。


 黒きᚦの線が押し返される。


『なぜだ……!』


 アルトは叫ぶ。


「名前を呼ぶ!」


 一本。


 また一本。


 命の光とアルトが繋がっていく。


「その人が生きてきた時間を思い出す!」


 光が強くなる。


「その人を知っている人の記憶を繋ぐ!」


 さらに強くなる。


「それが――神の文字だ!」


 黒きᚦの腕に亀裂が入った。


『ならば、お前自身の繋がりを切る!』


 黒い線が、アルトへ集中する。


「アルト!」


 少女が叫ぶ。


 ――ザシュッ。


 黒い線がアルトの命の光を貫いた。


「ぐあっ……!」


 視界が暗くなる。


 父の声が遠ざかる。


 村の声が遠ざかる。


 レグナスの声も。


 少女の声も。


「……待って」


 アルトは手を伸ばした。


「僕は……」


 何かを忘れそうだった。


 大切な何か。


 自分自身の――。


「……名前……」


 命の光に刻まれた文字が消えていく。


 アルト・レイン。


 その最後の文字が――。


 黒く染まった。


「アルト!」


 少女が駆け寄る。


「私を見て!」


「……」


「あなたはアルト」


 アルトは少女を見る。


 その声。


 その目。


 千年前からずっと、自分を呼び続けていた声。


「……君は……」


 少女の瞳に涙が浮かぶ。


「忘れないで」


 その言葉を聞いた瞬間。


 アルトの胸の奥で、何かが弾けた。


 ――『あなたの名前を、忘れないで』


 千年前の記憶。


 少女が言った言葉。


 そして。


 少年の自分が答えた言葉。


 ――『僕は、僕だから』


「……そうだ」


 アルトは立ち上がる。


「僕は……誰かに名前を与えられただけじゃない」


 消えかけた命の光を、両手で掴む。


「僕が生きてきた時間そのものが――僕なんだ」


 光が戻る。


 黒く染まった文字の一部が、白く輝く。


 ――アルト・レイン。


 その名前が再び刻まれた。


『馬鹿な……』


 黒きᚦが震える。


「僕はアルト・レインだ」


 アルトは黒きᚦを見据える。


「でも――」


 祭壇の本を見る。


 黒い文字に覆われた、千年前の名前。


「僕は、それだけじゃない」


 黒き文字の隙間から、一文字だけが浮かび上がる。


 少女が息を呑む。


「……見えた」


「え?」


「あなたの、千年前の名前が……」


 アルトはページへ手を伸ばす。


 だが、名前の全てが見える前に――。


 黒きᚦが咆哮した。


『まだだ!』


 神殿が崩れ始める。


 祭壇が割れる。


 地下から巨大な黒い力が噴き上がった。


 そして。


 リーネ村の命の光が、一つだけ大きく揺れた。


「……ミナ?」


 細い光が、今にも消えそうになっている。


 アルトの顔から血の気が引いた。


「ミナ!」


 声が届かない。


 光が弱くなる。


「待って……!」


 アルトは走り出した。


 少女とレグナスも続く。


 だが、黒きᚦはその前に立ちはだかった。


『一つずつ消してやる』


「……!」


『お前が全てを守れると思うな』


 アルトは拳を握る。


 そして、ミナの光を見る。


 小さく。


 弱く。


 それでも――。


 確かに、生きている。


「……守れる」


 アルトは立ち止まった。


「全部を一人で守るんじゃない」


 レグナスを見る。


 少女を見る。


 そして村を見る。


「みんなで守るんだ」


 その瞬間。


 リーネ村から、七つの光が強く輝いた。


 ゴウ。


 ダン。


 ユイ。


 サナ。


 ロウ。


 ミナ。


 カイル。


 そしてその光は――。


 アルトの命の光へと繋がった。


 アルトは静かに笑う。


「僕はもう、一人で全部を背負わない」


 最後の神の文字が、強く輝いた。


「みんなと一緒に――繋ぐ!」


 神殿の奥。


 黒きᚦの本体が、ついに完全に姿を現す。


 その胸には巨大な黒い文字。


 そして――。


 その中心に、千年前にアルトが失った「名前」の光が浮かんでいた。


 黒きᚦが告げる。


『取り戻してみろ』


『お前が捨てた、本当の名前を』


 アルトはその光を見つめた。


「……うん」


 そして一歩、前へ進む。


「今度こそ――取り戻す」


 千年前の罪と。


 奪われた名前と。


 そして――。


 消されたすべての繋がりを。

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