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『最弱魔術師、神の文字を刻む』 ――最弱魔術師。その正体は、千年前の大罪人。  作者: 雨宮ぐみ


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第34話 本当に消える故郷

第34話 本当に消える故郷


 神殿の最深部。


 アルトは、祭壇に置かれた古びた本を見つめていた。


 表紙には、千年前の神聖文字。


 けれど、その文字を読もうとした瞬間――。


 ――ドクン。


 胸の奥で、黒きᚦが脈打った。


「っ……!」


 アルトは胸を押さえた。


 黒い亀裂が、皮膚の下を走っている。


「アルト!」


 少女が駆け寄る。


「大丈夫……」


「大丈夫じゃないわ」


 少女はアルトの胸を見る。


「黒きᚦが、あなたの中から外へ出ようとしている」


「……でも」


 アルトは本へ手を伸ばした。


「この本に、僕の本当の名前がある」


 レグナスが本を見つめる。


「ならば開け」


「え?」


「お前が恐れているものが、そこにある」


 アルトは息を吸った。


 そして――。


 本の表紙に手を置いた。


 ――パァァァッ!


 神殿全体が光に包まれる。


 視界が白く染まった。


 次の瞬間。


 アルトは、千年前のエルナ神都に立っていた。


「……ここは」


 壊れていない街。


 人々が歩いている。


 鐘が鳴っている。


 子どもたちが笑っている。


 そして、その中央に――。


「僕……?」


 千年前のアルトがいた。


 その隣には、白い服の少女。


 そして黒いローブの男。


 三人は、まだ何も失っていなかった。


 少年のアルトが笑っている。


『この街を守ろう』


 少女が不安そうに尋ねる。


『本当に……できる?』


『できるよ』


 少年は頷いた。


『僕には神の文字が読めるから』


 黒いローブの男が言う。


『だが、神の文字には代償がある』


『分かってる』


『一つ刻むたび、何かを失う』


『それでもいい』


 少年は街を見た。


『僕は、この人たちを守りたい』


 アルトは、その光景を見つめていた。


「……昔の僕も、同じだったんだ」


 そして記憶は、突然暗転した。


 黒い裂け目。


 押し寄せる魔物。


 燃える街。


『アルト!』


 少女の叫び声。


『黒きᚦを使えば、この災厄を止められる!』


『でも……』


 黒いローブの男が叫ぶ。


『それを使えば、エルナ神都との繋がりまで切れる!』


『分かってる!』


 少年のアルトが叫ぶ。


『でも、他に方法がない!』


 黒きᚦが膨れ上がる。


 そして――。


 街から、一つ。


 また一つ。


 人々の名前が消えていった。


「……やめて」


 今のアルトが呟く。


「もう、見たくない……」


 しかし記憶は止まらない。


 人々の顔が消える。


 声が消える。


 思い出が消える。


 最後には――。


 エルナ神都そのものが、世界から切り離された。


 アルトは膝をついた。


「僕が……やった」


 少女が少年のアルトへ駆け寄る。


『アルト!』


『……ごめん』


 少年のアルトは泣いていた。


『僕は……守れなかった』


『違う!』


 少女が叫ぶ。


『あなたは守ろうとした!』


『でも、消してしまった!』


 少年は黒きᚦを見る。


『僕が全部、背負う』


 少女が首を振る。


『それだけは駄目』


『え?』


『一人で全部を背負ったら、あなた自身まで黒きᚦに奪われる』


 少女は少年の胸へ手を当てる。


『だから、記憶を封じる』


『君は……?』


『私は、あなたとの繋がりを守る』


 黒い力が二人を包む。


『いつか、もう一度――』


 少女が涙を浮かべる。


『あなた自身の答えを見つけて』


 記憶が崩れていく。


 アルトは叫んだ。


「待って!」


 少年のアルトが振り返る。


『お前は、俺とは違う』


「……え?」


『千年後のお前には、俺が知らない思い出がある』


 父。


 母。


 リーネ村。


 レグナス。


 少女。


『だから、俺の罪をそのまま生きる必要はない』


「でも……僕は、あなたなんだろ?」


『そうだ』


 少年は笑った。


『でも、お前はもう、お前自身だ』


 その言葉とともに、記憶が光へ変わった。


 アルトは手を伸ばす。


「待って!」


 しかし、少年の姿は消えた。


 代わりに。


 一冊の本だけが残った。


 アルトは現実へ戻る。


 神殿の祭壇。


 本が開いている。


 だが――。


 名前のページは空白だった。


「……名前がない」


 アルトが呟く。


 レグナスが答える。


「まだ必要ないのだろう」


「どういうこと?」


「お前は、すでにアルト・レインとして生きている」


 アルトは自分の手を見る。


「この名前も……僕の人生なんだ」


 少女が微笑む。


「ええ」


 その瞬間。


 ――ゴォォォン!!


 神殿が大きく揺れた。


「何!?」


 壁に、リーネ村の光景が映し出される。


 村の中央に浮かぶ巨大な黒きᚦ。


 そこから黒い亀裂が村中へ走っている。


「村が……!」


 アルトが駆け寄る。


 家々は無事だった。


 道もある。


 畑もある。


 けれど――。


 人の姿が、少ない。


「みんなは?」


 少女が目を閉じる。


「まだいる」


「なら、どうして……」


「見て」


 少女が村を指差した。


 すると。


 村人たちの身体から、淡い光が浮かび始めた。


 老人から一本。


 農夫から一本。


 子どもから一本。


 母親から一本。


 鍛冶職人から一本。


 村にいる一人ひとりから――。


 それぞれ違う光が生まれていた。


 アルトは息を呑む。


「……あれは?」


「命よ」


「命……?」


「神殿から伸びた力が、村人一人ひとりの命を世界に繋ぎ止めているの」


 光はすべて神殿へ向かって伸びている。


 しかし、その形は同じではなかった。


 老人の光は、ゆっくり揺れる。


 子どもの光は、弾むように動く。


 鍛冶職人の光は、火花のように激しく瞬く。


 母親の光は、子どもの光を包むように寄り添っている。


「一人ひとり……違う」


 アルトが呟いた。


「そう」


 少女が答える。


「命は、同じじゃないから」


 そのとき。


 ――バチッ。


 一本の光に黒い亀裂が走った。


「!」


 老人の光だった。


 ゆっくり揺れていた光が、止まる。


 その姿が薄くなる。


『……わしは……』


 声が響く。


『わしは……誰だった?』


「名前が……」


 レグナスが低く言う。


「黒きᚦが、名前との繋がりを切っている」


 アルトの顔が青ざめる。


「名前を失ったら?」


「記憶が消える」


「その次は?」


「存在が消える」


 ――バチッ。


 また一本。


 今度は子どもの光。


 母親の光が必死に追いかける。


 けれど黒い力が二つを引き離そうとする。


「やめろ!」


 アルトが叫ぶ。


 さらに一本。


 さらに一本。


 命の光が、次々と黒く染まっていく。


 そして――。


「……父さん」


 アルトの目が止まった。


 村の奥。


 一際暖かな光があった。


 アルトの父の命の光。


 その光は、周囲の人々へ手を伸ばしている。


 まるで、


 「ここにいる」


 と伝えるように。


 しかし、その光にも黒い亀裂が入った。


『……アルト』


「父さん!」


『……聞こえるか』


「聞こえてる!」


『帰ってこい』


「今、行く!」


 父の光が弱くなる。


「待って!」


 アルトは手を伸ばした。


「絶対に消させない!」


 その瞬間。


 神殿の床に、村人一人ひとりの命の光が、はっきりと映し出された。


 老人。


 農夫。


 鍛冶職人。


 子ども。


 母親。


 そして父。


 誰一人として同じではない。


 それぞれの光が、それぞれの鼓動を刻んでいる。


 ――ドクン。


 ――ピカッ。


 ――パチッ。


 ――ふわっ。


 ――ドクン。


 まるで、村そのものが生きているようだった。


 アルトは、その光景を見つめる。


「……これが、みんなの命」


 少女が頷く。


「ええ」


「神殿の力が切れたら……この光も消える?」


「そう」


 少女の声が震える。


「そして、完全に消えた光は――二度と繋ぎ直せない」


 アルトは息を呑んだ。


 時間がない。


 村人一人ひとりの命が、今この瞬間にも失われている。


 黒きᚦが嗤った。


『選べ、アルト』


 巨大な黒い亀裂が神殿へ伸びる。


『神都を救うか』


『村を救うか』


『千年前と同じだ』


 アルトは拳を握った。


「……違う」


『何?』


「もう、僕は一人で選ばない」


 アルトの右手に、最後の神の文字が浮かび上がる。


「神都も」


 神殿の光が強くなる。


「村も」


 無数の命の光が輝く。


「一人ひとりの命も――」


 アルトは父の光を見る。


「全部、守る」


 黒きᚦが咆哮した。


『ならば、まずその命の光から消してやろう!』


 黒い力が一斉に村へ向かう。


「させるか!」


 アルトが「繋ぐ」の神の文字を掲げる。


 ――ドォォォン!!


 光が神殿から村へ走った。


 しかし。


 黒きᚦの力が、それを押し返す。


 アルトの身体が震える。


「ぐっ……!」


 レグナスが叫ぶ。


「アルト!」


「大丈夫!」


 少女もアルトの隣へ立つ。


「一人で支えないで!」


「……うん」


 アルトは二人を見る。


 そして再び、村を見る。


 無数の命。


 無数の光。


 その一つ一つが、違う動きをしている。


 違う人生を持っている。


 違う名前を持っている。


「……そうか」


 アルトは気づいた。


「一つにする必要なんてない」


 光が震える。


「みんな違ったままでいい」


 最後の神の文字が輝く。


「そのままの命を――」


 アルトは手を伸ばした。


「全部、繋ぐ!」


 ――パァァァァッ!!


 村人一人ひとりの命の光が、一斉に輝いた。


 その光は、次の瞬間――。


 それぞれ違う動きを保ったまま、神殿へと繋がっていった。


 老人の光は、ゆっくりと揺れる。


 子どもの光は、弾む。


 鍛冶職人の光は、火花を散らす。


 母親の光は、子どもを包む。


 父の光は、アルトへ向かって伸びる。


 黒きᚦが叫んだ。


『なぜだ……!』


 アルトは答える。


「僕は、誰一人として同じにはしない」


「誰一人として、切り捨てない」


 そして――。


「だから、この村を消させない!」


 神殿の奥で、巨大な黒い腕が動いた。


 黒きᚦの本体が、ついに姿を現そうとしていた。


 リーネ村では、最後の鐘が鳴る。


 ――ゴォォォン。


 命の光が揺れる。


 まだ消えてはいない。


 まだ、生きている。


 そしてアルトは、そのすべてを見つめた。


 次の瞬間から始まるのは、神殿を守る戦いではない。


 一人ひとりの命を、世界から消させないための戦いだった。

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