第32話 千年前の戦友
第32話 千年前の戦友
神殿の奥へ進むたびに、アルトの胸の奥が重くなっていった。
壁には無数のルーンが刻まれている。
その一つ一つが、千年前の記憶を閉じ込めているようだった。
「……この先に何があるの?」
アルトが尋ねる。
「千年前の記録よ」
少女が答えた。
「黒きᚦが、どうして生まれたのか。そして、なぜあなたがそれを使ったのか」
「……」
アルトは黙って歩いた。
背後からは、かすかに地鳴りが聞こえている。
リーネ村で黒きᚦが動いている。
時間がない。
そのとき――。
壁のルーンが一斉に輝いた。
ᛋ(ソウェイル)――「光・太陽・勝利」。
白い光が通路を満たす。
そして壁に、映像が浮かび上がった。
千年前のエルナ神都。
まだ人々が暮らしている。
市場には店が並び、子どもたちが走り、神殿から鐘の音が響いていた。
「……これが」
アルトは息を呑む。
「昔のエルナ神都」
「ええ」
少女が答えた。
「あなたが守ろうとした場所」
映像の中に、若いアルトが現れる。
そして、その隣には少女。
さらに――。
「……あの男」
アルトが呟いた。
黒いローブ。
千年前と同じ姿。
「そう」
少女の表情が曇る。
「彼も、あの頃から私たちと共に戦っていた」
「じゃあ、あの人は……」
アルトが記憶を探る。
だが、名前だけが思い出せない。
「なぜ名前が出てこないんだ?」
レグナスが答えた。
「黒きᚦの影響だろう」
「名前まで……?」
「お前と同じだ」
アルトは胸を押さえた。
その瞬間。
映像の中で、黒いローブの男が若いアルトに何かを渡していた。
『これを使え』
『……これは?』
『黒きᚦの欠片だ』
アルトの目が見開かれる。
「……あの人は、黒きᚦを持っていた?」
「そう」
少女が頷く。
「でも、敵ではなかった」
「じゃあ、味方?」
「……少なくとも、千年前は」
映像が切り替わる。
巨大な黒い魔物が神都へ侵入してくる。
人々が逃げる。
神殿の鐘が鳴り響く。
若いアルトが黒きᚦを手にする。
『アルト! 待って!』
少女が叫ぶ。
『まだ早い!』
『もう時間がない!』
アルトは走る。
その背後から、黒いローブの男が叫んだ。
『アルト!』
若いアルトが振り返る。
『もし、お前が戻れなくなったら――』
男は黒きᚦの欠片を握った。
『俺がお前を止める』
映像が途切れた。
「……止める?」
アルトが呟く。
「どういう意味?」
少女は答えなかった。
代わりに、レグナスが口を開いた。
「奴は、お前が黒きᚦに飲み込まれた場合に備えていた」
「つまり……」
「お前を殺す覚悟があったということだ」
アルトは息を呑む。
「……だから、今も僕を待っていた?」
「恐らくな」
そのとき。
神殿の外から、轟音が響いた。
――ドォォォン!
アルトは振り返った。
「リーネ村……!」
少女が目を閉じる。
「黒きᚦが、村の中心へ到達した」
「戻らないと!」
「まだよ」
「でも!」
「アルト」
少女はアルトの手を握った。
「村を救うためにも、ここで止まってはいけない」
「……」
「この神殿の最奥に、黒きᚦの術式を止めるための『核』がある」
「核?」
「千年前、私たちはそこに封印を施した」
レグナスが神殿の奥を見る。
「つまり、これを止めれば村も助かる」
「そう」
アルトは歯を食いしばった。
「……分かった」
三人は走った。
神殿の奥。
巨大な扉が現れる。
その中央には、アルトの手形。
「ここだ」
アルトが手を置く。
扉が開く。
そこには――巨大な円形の部屋があった。
中央に一つの石柱。
石柱には、三つの黒い亀裂が刻まれている。
「これは……」
「黒きᚦを分けた痕跡よ」
少女が言う。
「千年前、私たちは黒きᚦを三つに分けた」
「僕、あの男、そして君」
「ええ」
少女は自分の胸に手を当てる。
「あなたの中には『記憶』」
「……記憶?」
「彼の中には『力』」
そして――。
「私の中には『繋がり』が残された」
アルトは目を見開いた。
「だから僕が『繋ぐ』の文字を使えるの?」
「そう」
少女は頷く。
「あなたの中にある記憶と、私の中にある繋がりが重なったから」
アルトは石柱を見る。
「じゃあ、あの男の中にあるのは……」
「黒きᚦを動かすための力」
その瞬間。
石柱が大きく震えた。
バキッ!
黒い亀裂が広がる。
「まずい!」
レグナスが叫ぶ。
石柱から黒い光が噴き出す。
そして、その中に人影が浮かび上がった。
黒いローブの男。
『急げ、アルト』
声だけが響く。
『俺だけでは、もう抑えられない』
「……!」
アルトは拳を握った。
『お前が神殿の核を目覚めさせれば、村への道は開く』
「あなたは……僕に何をさせたい?」
『千年前と同じだ』
男の声が低くなる。
『黒きᚦを――終わらせろ』
映像が消える。
アルトはしばらく動かなかった。
「……あの人は、敵じゃない」
少女が言う。
「でも、味方とも言い切れない」
レグナスが続けた。
「奴は自分の命を使って黒きᚦを抑えている」
「じゃあ……」
アルトは顔を上げた。
「僕たちが急がなきゃ、あの人も消える」
「そういうことだ」
アルトは石柱へ手を伸ばした。
ᛗが輝く。
ᛋが輝く。
そして――。
「繋ぐ」の文字が、強く光った。
「待ってて」
アルトは静かに呟いた。
「千年前に僕を止めようとしてくれたなら……」
拳を握る。
「今度は僕が、あなたを止める」
その瞬間。
神殿全体が光に包まれた。
石柱の黒い亀裂が、一本ずつ白い光へ変わっていく。
そして地下深くから――。
巨大な黒きᚦの咆哮が響き渡った。
『――アルト』
地面が揺れる。
『次は、お前の故郷だ』
アルトは村の方向を見つめた。
「……行こう」
少女とレグナスが頷く。
三人は神殿の最奥へ向かって走り出した。
その頃――。
リーネ村では。
誰もいないはずのアルトの家の中で。
一つの椅子が、ゆっくりと動いた。
そして。
誰もいない場所から――。
『……アルト』
父の声がした。
だが、その声には。
黒きᚦとは違う、何かの意思が宿っていた。




